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猛走峠のブログ一覧

2009年11月10日 イイね!

ネオバ07・2005、悪い兆候は逆に自らの武器であったりする(環八)

ネオバ07・2005、悪い兆候は逆に自らの武器であったりする(環八)ネオバについては、残念ながら、新品での評価ではない。
ただでさえ、前作の「07」であるのに加え、
製造年は、2005年であった。
だから、相当、ゴムが硬化した状態でのレビューであることをお許し願いたい。
いずれ、予算が潤沢化した暁には、ネオバの新品をレビューしたいところではある。


さて、
最速記録の構築のためには、ブレーキングという要素が必要不可欠だった。
それは、わが国、鉄道界での「東海道における最速にかける戦い」の歴史においても同じことだった。

200km/hオーバーの速域から減速する。
鉄道の車輪の粘着力は極めて低い。
このことが鉄道の高高速走行の理論値を444km/hに頭打ちにしていたが、
実際論としてこのことは、鉄道の高高速を有利にしていた。
だが、ブレーキングにおいては極めて不利だった。
車輪の粘着力を、ブレーキングにおける場面で評するなら、それは氷の上を夏用タイヤで走行するに等しいものだといわれている。
それほどの低μな世界なのである。

もちろん、今では、電磁回生ブレーキの類が発達しているし、摩擦ブレーキにしても、車のものとは比べ物にならないほどの、高度なABSが装備されている。
しかし、かつては、新幹線運転士には、超人級のブレーキング技術が要求されたといわれている。

特に、「一分でも速く」という実験的な「記録樹立運転」のときは勿論そうであるし、究極のブレーキング自体は、営業運転時でも要求されるものだった。
車輪をロックさせない、ギリギリの範囲でブレーキハンドルを締め付けていく。
耐熱性の特殊材によって組成されたブレーキは初期製動力の立ち上がりは遅い。
200km/h超の回転力によってローターが熱せられていく、
車両底部では、ディスクローターがオレンジになり、ついには電球色になって輝きを放つ。
そうなったとき、
ローター摩擦面の温度が1,000℃以上に上昇したとき、
この種のブレーキは最大限に効き始め、
車輪から回転力を奪っていく。
こうしたブレーキングによって、カーブが要求する安全・確実な速度まで落とす、
これを確実に、速く行うようにしていったわけである。
しかも、当然のことながら、鉄道では、速さが求められるなかでも、急制動は原則として禁止されている。
特に旅客列車では、「乗り心地の良さ」も追求されたわけであるから、こうしたブレーキングを行うことが出来る、超人的な技術が要求されていたのだ。

それは、我々、「走り屋の世界」でも、似たり寄ったりで、
「速さを求める」ためには、
最終的にはブレーキングで「タイムを詰める」ということなのであって、
つまり、「究極のブレーキング」ができるようにならなければ、
「速さ」は求めることができない状況が、なお続いていた。

だが、どうだろう?
カーブを、全力加速状態で抜けることが出来るようになったのなら、どうだ?
そうした「トレーニング」、ひいては、レーサー含めた走りを生業とする者、あるいは志す者全てが不要となってしまうではないか。

当時の未熟な俺は、そう感じたのだった。

故に、2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
走り屋を志していた、当時の私にも。

また、2009年の東京モーターショーのコンセプトカーの技術も、
さらにこの兆候に拍車を掛けるものであるように感じもしていた。

しかし、それらは、誤解だった。
まったくもって誤解だった。

速さを、
特に、闘争行為としての速さを求める場合、
全力加速状態でカーブを駆け抜けることが、
大変に好都合な場面が存在した。

それが、環八。
もっと具体的にいうところ、この先の井荻JCT・練馬トンネルなのだ。

つまり、「振り子」は、俺にとっての「武器」だったのであって、
決して、俺を消滅させるものではなかったのである。

ただ、この「武器」が、100%有効に作用するとは思っていない。
今回は、「敵」・「相手」がいるため、
ラインにブロックをかけてくる可能性もあるからだ。
だからといって、
「第一段階の武器」がブロックによって100%効果を発揮できなかったとしても、
その時点でこちらが負けるということにはならない。

「振り子」を、100%活用することができなかったとしても、
その後の立ち上がり性能が全く異なる。

むしろ、
ストリートファイターとしての、この先のことを考えると、
「第一段階のの武器」をフルに見せつけながら、こちらの速さを誇示することは得策ではないかもしれない。
「奴」が「奴ら」の「使徒」であった場合に、こちらの機械的戦闘能力が露呈することになるかもしれないし、もしそうなら、その点を強調して「報告」して欲しくない。

それに、
できれば、
奴のドライバーの、ブレーキング技術とブロッキング技術を見てやりたい気もしているのだ。

当然、
こちらには、「第二段階の武器」が存在するわけである。
Posted at 2009/11/10 23:23:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月09日 イイね!

走り屋放逐の兆候について(環八)

走り屋放逐の兆候について(環八)まずはネオバの第一印象をば。
静か。
スポーツタイヤでありながら、静か。
「路面に喰らいつく」とか「路面にかじりつく」
というより、
「路面に吸い付く」というカンジ。
今まで使ったスポーツタイヤの中で、
もっとも静かで、
それでいてかなり食いつきの強いタイヤであると思う。


さて、
2009年当時の自分の感性に、この鉄道会社の商行為の方法は、「危険行為そのもの」と映っていたのであった。

自分の感性のどの部分か?

それは走り屋としての感性だろう。

「速さ」を、
特に、300km/hの世界を、
ドライバーとして意のままにコントロールできるようになるためには、
それ相応の「キャリア」が必要なのである。

新米運転士を「その世界」の操者とすることは危険行為である、
そう感じたのだ。
だが、実のところ、結論としては、たぶん、「危険行為」には該当しない。

たぶん。

もちろん、「危険行為だ!」という感性も、
全て外れているというわけではないだろう。

本来、「運転士のトレーニング」は、
新米は、オフピーク時の各停で指導を受けながら運転していたり、
田舎の本数の少ない路線に配属されたりしているようではある。
経験・技能と正確性が向上してくるに従って、
過密ダイヤの時間帯や最速電車・特急電車などに配属される。
これが常道であるし、
こうした技術的常道を無視し、
その技術的な穴を、「気合」と「日勤教育」で補完しようとした結果として、
たしかに、日本の鉄道会社は、この数年前に大事故を起こしていた。

だが、この「大事故」での「技術的穴」・ここでいうところの「技術」の内訳は、
カーブに対する経験値・限界値
もっといえば、
「ブレーキング」なのである。

2007年に登場の、N700系はどうだったろうか?

それまで255km/hの制限がかかっていた、
半径2,500mのカーブ区間(60か所)を、
270km/hで走行できるようになり、
東海道新幹線の約3分の2以上の区間で270km/hで走行できるようになったのだ。

つまり、東海道新幹線の高速運転区間のほとんどのカーブを、ほぼ全力で走行できるようになったのである。

これは、ブレーキングにまつわる、
膨大な経験値の必要性を不要と化しつつあった、
そういう兆候ともいえたわけである。


「ブレーキングは走り屋のお家芸である」
そう思っていた。

日本一の走り屋を目指して、必死であった当時の俺は、
この「兆候」を、自分たちの存在が、
もはや無意味なものになると感じて、衝撃を受けたものだった。

だから、

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
もちろん鉄道界の人間には。

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
走り屋を志していた、私にも。
Posted at 2009/11/09 23:52:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月08日 イイね!

貴女は、N700の専属パイロットですか?(←多分、禁句。)(環八)

貴女は、N700の専属パイロットですか?(←多分、禁句。)(環八)今日も冒頭にブログ主自身の現在のカーライフが入る。
まず、備忘録を。昨日、再び千葉の中古パーツ店まで行き、タイヤ交換。
やはり、アドバンネオバ07AD(←まったく、「過去の遺物」にこだわって一体何が面白いのか。こういう指摘を受けることになるのだろう。10/26、27ブログ参照。どーせ、「○○のひとつ覚え」ですよーだ)。
交換距離は75,273km。

○○=元来は、「まるで死んだみたいだ」という意味であり、死を司る神「バー」と再生を司る神「カー」を語源とする。これがわが国では、街道用語で「事故」とか「衝突」を意味するようになり、走る道具の「馬」と野生動物の「鹿」という漢字が当てられるようになった(10/31ブログ参照)。


さて、
2009年のいつ頃だったろうか?
新幹線を扱ったテレビ番組が放送されていた。
車窓や車内販売、車内グルメなど。
続いて、「コクピット」の話に。
ここで、運転士として現れたのは、自分より二歳しか年齢が違わない、若手の女性だった。

今から言いたいのは、男だの女だのという話ではない。
驚愕、マイナスの意味で驚愕したのは、彼女の「運転士としてのキャリア」だった。
彼女は、2007年、25歳で新幹線の運転士となった。
この2009年の時点で二年の歳月が経っていた。

<以下、テレビ視聴時の自分の推論>
彼女は年齢的に若くとも、運転士としてのキャリアは短くなかった。
18歳で鉄道会社に入社し、駅などの勤務を経て、あまり年数を経ずして運転士になり、2007年25歳の時点で、鉄道車両の運転経験は5年を越えていた。そのため、新幹線の運転士に選ばれたことは、至極当然のことなのであった。
<以上、テレビ視聴時の自分の推論>

このように、思っていた。
しかしテレビは、それとはまったく異なる情報を流し始めた。
彼女は鉄道会社に入社後、駅などの勤務を経て、新幹線の運転士の候補者に選ばれた。
研修の後、25歳で新幹線の運転士になった。

・・・・!!!

つまり、新幹線が、彼女が運転する始めての鉄道車両であるというわけなのだ。

殺人行為だ!
この鉄道会社は殺人未遂を毎日繰り返しているのだ!
この会社の商行為の方法は、殺人未遂そのものなのだ!

「走り屋としての私」、
当時の私は、そう思った。
このときの新幹線の営業運転の速度は270km/hに達していた。
走り屋は、日々のトレーニングの中で、地道に、大量の時間とお金と半端ではないガソリンを撒き散らし、そういう日々を繰り返して、自らが持つ速域を上げていく。
300km/hの世界を手中にするには、それ相応の「キャリア」が必要なのである。

ところが、この鉄道会社のやり方はどうだ?
300km/hオーバーのスペックを持つ、新幹線という高高速車両という「超危険物」を、「新米運転士」に運転させているのである。
しかも、それは、何千人もの乗客の命を乗せているのである。
確かに、鉄道会社は、商行為をすることを業とする者、商人だ。
利益を上げることは必要不可欠なのであって、
「走り屋」のように、速さと技術の向上のためだけに、大量の時間とお金と半端ではないエネルギーを消費する、そういう日々を繰り返すことはあり得ない。
とはいえ、それが、「走り屋」・・・、
ときに警察から、「共同危険行為」「危険行為」として摘発される存在であるはずの、「走り屋」の目に、耳に、感性に、
この鉄道会社の商行為の方法が、「危険行為そのもの」と映ったのであった。

「走り屋」・・・時として「危険行為を行う者」と罵られ、生計を支えるわけでもなく、自身の魂の欲求に従うだけの目的のために走りを行う者の「走り」よりも、
商行為として、旅客運送人として走りを行う者の「走り」の方が、より危険であっていい理由など、本来どこにも無いはずであった。

ただ、こうした「危険視」は、全て合っているとは限らない。
「彼女は、2007年、25歳で新幹線の運転士となった。」

「2007年、25歳で新幹線の運転士となった。」
恐らく、彼女は、N700系の「チルドレン」なのだろう。

彼女たちと、
N700系は、
それまでの鉄道界の運転士たちや、
我々、走り屋が「お家芸」としている「技術」から開放されているらしかった。

ただ、今となっては確認する手段は見つからないし、
自分にストーカー性は無かったので、その運転士の名前も覚えていなかった。
仮に覚えていて、
東京駅で先頭車から出てきたところを見かけたとしても、
こんな台詞で声をかけるつもりは、毛頭なかった。
「貴女は、N700の専属パイロットですか?」
この意味が伝わり、
かつ、その運転士の性格が、
「俺より15歳くらい上の世代の女性で、走り屋の世界に身を置いていた方々(←当時、女性で走り屋だった人々は、例外なくケンカっぱやかったと伝えられている。)のような状態」
であったなら、
間違いなく、自分は殴られていたことであろう。
Posted at 2009/11/08 03:43:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月07日 イイね!

振り子、ネオバ、落ち着きのあるペガサス

振り子、ネオバ、落ち着きのあるペガサスひさしぶりに私の登場。
私の現在のカーライフ。
やはり以前の、
アドバンネオバを購入してしまった。

タイヤ脱着待ち中、とあるワゴン車雑誌に載っていた、「動物キャラナビ占い」をやってみる。
自分はペガサス、
「落ち着きのあるベガサス」だった。
意外だ。
このブログの内容から言っても、
自分は、感情的なライオンとか、情熱的な黒ひょうとかになると思っていた。

さて、
練馬トンネルのカーブに対して、「奴」はハンデを負っている。
対して、こちらにはアドバンテージがある。
機械的なアドバンテージなのだが、
それを、俺は
「振り子」
という名で呼んでいる。

つまり俺のGT―Rにも振り子機構が搭載されているわけだ。
この技術は、2009年の東京モーターショーで、このGT―Rを生産するメーカーが「発表」したものである。
「開発」ではなく「発表」である。
車体をカーブの内側に傾けることで、コーナリング性能を高めるための技術で、
2009年の東京モーターショーから数えて、
そのさらに15年くらい前からだろうか、
鉄道界で登場し始めた技術だ。
2009年の時点の鉄道界では、既に特急列車において一般化していた。

もともと、日本の鉄道界でこの技術が普及した理由は、
新幹線が通っていない地域でも、短時間で速く走る特急列車を通してほしいという需要からだった。
こうした機構が搭載された特急は「スーパー特急」と呼ばれ、
最高時速は160km以上に設定され、
カーブの通過速度も100km以上と、
所要時間・平均速度を劇的に吊り上げた。
この効果があまりにも大きかったため、
元来、新幹線の穴を埋めるはずの技術が、
新幹線そのものの車両技術・高速化技術へと入り込んでいったのである。

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。

2007年より前から東海道新幹線の最高速度は270km/hであったが、線路の線形が悪かったため、270km/hを出せる区間は全体の約3分の1程度であった。
しかし、N700系が振り子機構を搭載したことにより、
のぞみ号はこれまで255km/hの制限がかかっていた、
半径2,500mのカーブ区間(60か所)を、270km/hで走行できるようになり、東海道新幹線の約3分の2以上の区間で270km/hで走行できるようになったのだった。


2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
もちろん鉄道界の人間には。

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
走り屋を志していた、私にも。
Posted at 2009/11/07 23:30:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月06日 イイね!

いわゆる「官能的な加速」とトレードオフの関係にあるもの(環八)

いわゆる「官能的な加速」とトレードオフの関係にあるもの(環八)練馬トンネルで高高速を狙うなら、カーブを、全力加速状態で走る必要性がある。
「奴」は、構造的・本質的に、それが苦手だ。

「奴」は、構造的・本質的に、動力機構を、荷重の殆んどを、リヤ側に集中させている。
「奴」の、構造的・本質的なコーナリング性能が、極度に上がる瞬間は、ブレーキングによって荷重が前に移動したときなのだ。

反対に、「奴」の60年超に及ぶ「セールスポイント」は、
加速体勢に入り、荷重が後ろに移動したときの、「官能的な加速」といわれるものであった。

ただ、その副作用として、前は上がってしまい、「ウィリー状態」になるわけだから、そのような状態でのコーナリング性能など、「論外」なのである。
もともと奴らは、RRだったので、こうした傾向は顕著だった。
だが、さすがに今は4WDを採用しているため、この傾向は昔ほど極端な者ではないと言われている。
とはいえ、動力機構の配置から生ずる、構造的・本質的な特性は、未だ解決の糸口見つかっていない。

しかしながら、「奴ら」「あの軍団」には、こうしたネガティブな特性も含めて「官能的だ!」としてこの傾向を愛好する者が多い。
いや、むしろこの傾向を愛好しなければ、あの軍団の一員たる資格がないとまで言われている。

あの軍団の、機械に対する官能性の愛好に対して、
私見を少しだけ示せば、不可解としか言いようがない。
「奴」の車体価格は、新車・中古車を問わずして高額であるから、
あの軍団の構成員には、企業経営者が多い。
おおむね、彼らの感性を、私はまったくもって理解できない。

彼らの感性では、自らの配下となる人間たちに対しては、機械的な完全無欠性を要求してやまない。
それが、彼らの、
人、
特に、「目下」と彼らが判断した人間に対する接し方で、
彼らの人間の使い方だ。
対して、彼らが、「奴」に、そのクルマに向き合ったとき、どうだ?
そのクルマを、
「悪癖」も含めて、
「官能的だ」などと称して全肯定するのだ。

馬鹿馬鹿しい。

おおむね、彼らの感性は「一貫性」を持たない。
ひょっとして、彼らには、多重人格性の者が多いのか、
あるいは、人生と社会の全てを勘違いしている者が多いのか?

もっとも、
これは、あの軍団の構成員の「象徴的な」「キャラクター性」として言われていることであるから、全員に対して言えることでは決してないが。
いずれにせよ、ファイターとしてのクルマというのは、
あくまで機械で、
極端に言えば、
俺の走りのために、最終的には散華・玉砕するためだけの存在なのであるから、
人間に対する感性・感情とは一線を隔す必要性がある。

クルマは機械。
単なる機械。
機械は機械。
この事実に絶対に狂いはない。

そもそも、何だ?
クルマに乗って?
官能的?
意味不明だ。
理解できない。

「排気音が官能的な叫びを上げる」
とか、
「えげつない爆音が官能的だ」
とか、
「排気音がヒステリックで官能的だ」
とか、
そういう意味とは違うのか?
まったく、教えて欲しいところだ。

それはそうと、練馬トンネルのカーブに対して、
「奴」がハンデを持っているとすれば、
こちらにはアドバンテージがある。

それを、俺は「振り子」そう呼んでいる。

たしかこれは、
2009年の東京モーターショーで、どこかの自動車メーカーが発表した技術で、何か俺の呼び方とは違う言い方で呼んでいたけれど、
この自動車界での呼び方を、
俺は、未だに覚えていない。

「振り子」。
もともと鉄道の世界で用いられていた時代の技術名だ。
なぜか、俺の頭が、未だにこれ以外の名称を受け入れていない。
Posted at 2009/11/06 23:06:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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