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猛走峠のブログ一覧

2009年11月05日 イイね!

全力加速コーナリングの必要性(環八)

全力加速コーナリングの必要性(環八)敵を知ること。
それは敵の動きの全てを予測し尽くすことである。

突き詰めて言えば、一瞬でその人間の全てを把握し尽くすことを意味する。
もちろん、ファイターとしてはそういう境地を目指すわけだが、そこまで悟りを開くのには、まだもう少しかかりそうである。

だが、「奴」の進路は確実に予測出来ている。
井荻トンネル内の分岐を右に。
そのまま連続した練馬トンネルに入る。
ここまでは確定事項だ。

まだ自分は、
一瞬でその人間の全てを把握し尽くす境地にまでは達していない。
とはいえ、現状、ファイターとしての俺に必要となるのは、その人間の「弱点」である。
だが、まだ、それを読み見切るまでの境地にも至っていない。
自分の現状は、「奴」の「高速走行用機械としての弱点」を見切っているに過ぎない。

我々は、競泳選手とは違う。
「走るのは僕だ」
などと言う連中はこの業界にはいない。
走るのはマシンだ。
我々は、マシンにムチを当てる存在に他ならない。
だから、「剣士」「格闘家」「スポーツ選手」としては、
相手を読みきる能力が不十分だとしても、
「クルマという機械を用いた」、
「ファイターとしての走り屋」としてなら、
「奴」の機械的弱点を読めば、
その程度の読みで、
勝つ可能性の七割以上を手にすることが出来るのだ。


「奴」はここで加速力と最高速を見せつけるつもりでいるらしい。
もちろん、このコースで重要となるのは加速力と高高速走行力なのだが、
実のところ、練馬トンネルは完全な直線ではない。

まず、分岐路のところで大きく右に曲がっているし、その後も、ゆるやかにS字に曲がっている。
実は、このトンネルの最強の攻略法は、これらのカーブを如何にして高高速でコーナリングするかということであるのだ。

このコーナリングが、ストレートでの立ち上がりに大きな差となって、顕著にあらわれる。
しかも、実のところ、「奴」のクルマには、このコーナリングを高高速化するためのメカニズムが付いていなかった。
何せ奴のクルマの設計思想の主軸は、カーブのRを徹底的に駆逐した、アウトバーンなのだから。

もちろん、ニュルブルも攻めてはいたが、それはあくまで、ブレーキングポイントをギリギリまで奥にとった、ドライバーの究極のブレーキング技術を頼りにしたものである。

つまり、ニュルブルへのマッチングを、ドライバーとセッティングとに任せている。
ニュルブルのコースは、あくまでサーキット。
アウトインアウトの走行ラインが可能だ。
ストリート・・・、
特にこの環八「練馬トンネル」は、
道路、しかも管の中をその形状に沿って走らなければならないことが、
ニュルブルとも違う。

その上、ここで高高速を狙うなら、カーブを、全力加速状態で走る必要性がある。
「奴」は、構造的・本質的に、それが苦手だ。
練馬トンネルがカーブを帯びたコースであることが、
間違いなく、奴にとって、敗因となる。
Posted at 2009/11/06 00:01:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月04日 イイね!

NOS(環八)

NOS(環八)呪文はアッという間も無く消し飛んだ。

プシィー 俺のGT―Rは
プシィー 最強のGT―Rだ
プシィー だからして
プシィー 負けることなんて
プシィー ありえねぇんだよ
プシィー!

これは、諸先輩方から習った呪文であるし、自分も数えきれないほどこの呪文を唱えてきた。


プシィー 俺のGT―Rは
プシィー 最強のGT―Rだ
プシィー だからして
プシィー 負けることなんて
プシィー ありえねぇんだよ
プシィー!

NOSシステムとの出会いは俺の人生観そのものを変えた。
呪文はアッという間も無く消し飛んだ。

NOSシステムのボタンを押すと、
亜酸化窒素ガスがエンジン内部に噴射される。
その笑気ガスを受けたエンジンが生み出す暴発的な加速によって、
視界は完全に歪み、
脳髄が後方にずれ、
身体的機能が一瞬停止する。
直後、
「がぁあああああああああああ~~~~~~~~~~~~っ、
がぁあああああああああああ~~~~~~~~~~~~っ」
と、
「感電するとこのような叫びを上げる」という具合に、
10秒ほどであろうか、
叫び続けた。
その間、車体はコントロール不能の寸前域の状態で加速するため、
自分の身体は、反射的に、
今まで培ってきた技術の全てを振り絞って、
何とかクルマを直線ライン上に留まらせようと苦闘している。
しかし、感電した状態と同様、アクセルから足を離すことはできない。
出来ないし許されない。
ここでアクセルを離す者にとってNOSシステムによるチューンなど不要なのだ。

ここから俺の、高高速ステージへの道が一気に開けたのであった。

たしかに、
NOSシステムは俺の人生観を根底から変えた。
だがしかし、こんなものは、高高速ステージのほんの入り口に過ぎなかった。
技術の進化は、
NOSシステムによる脳髄の感電もどきの現象と、
NOSシステムが俺の人生観に与えた影響など、
外部から、俺の身体にほんの少しの刺激を与えた程度のものとなっていったのだった。

それは、
俺の魂の奥にある、
少年期からずっとずっと、
魂が乗り続けてきた一本のレールを、
俺の魂にはっきりと刻み込むものであったのだが、
それについては、
また、別の機会に語ろう。

参考
ナイトラス・オキサイド・システム (NOS)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
Posted at 2009/11/05 00:08:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月03日 イイね!

井荻JCT(環八)

井荻JCT(環八)「江戸っ子意識」。

このGT―Rも、アレキサンダー大王と全く同じで、多摩ナンバーを付けていた。
そのドライバーが喋る言葉も、勿論、上品な山の手言葉でもなければ、イキのいい下町言葉でもない。いわゆる「生粋の江戸っ子」ではない。
ドライバーは、まったく普通に標準語を話しているらしいんだけれども、その喋り方は、いわゆる「関東なまり」といわれる、「東京の田舎」といわれる地域独特の発音であるらしかった。
関東以外の地方に行くと、「関東言葉」と言って、都会者扱い?場合によってはヘンな目を向けてくれたが、
東京の中心部で年配の人々と話すと、「関東訛り」と呼ばれてたちどころに「田舎者扱い」された。
しかし、このドライバーの持つ「江戸っ子意識」のようなものは、
「生粋の江戸っ子」といわれる連中の追随を決して許さなかった。
「田舎者」の彼が強固に持った、
「偏見と妄想によって固められた江戸っ子意識」は、
「闘争心・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識」となっており、
彼の魂の核を形成しており、
彼の魂の最上位に位置づけられているらしかった。
そして、それは同時代の東京中心部に住む誰よりも強かった。

次に、
これから、この先のトンネル内で、このGT―Rの獲物になる「奴」について。

「奴」の行動パターン、これから「奴」がやろうとすることは、分かりきっていた。
深夜のこの時間帯、ちょうど少しだけ、環八が「オールクリア」になるのだ。
高井戸方向から環八を北の方へ。
この四面道の立体をくぐって井荻トンネルへ。
井荻トンネルは中で分岐している。
左車線に乗って直進すると谷原方向へ。そのまま「笹目通」になる。
右斜線に乗って右方向へいくのが環八本線。この分岐から先、高速セクションが存在している。「奴」はそこへ行く。

そういう「奴」を捉えるのに最適な場所が、この四面道なのだ。
しかし、なぜ俺が、「奴」が今日現れることを知っているかって?

それは「奴」の外観を見た時点で、わかる者にはわかる。
「奴」は、俺以上の懐古趣味なのだ。

まず、「奴」の車種選択それ自体にある。
「奴」のクルマ、言い換えれば「奴」・「奴ら」を造り出している自動車メーカーは、もう60年以上も同じようなクルマを、性懲りもなく造り続けている。

第二に、「奴」の外観、つまり、外観に現れるチューニング・・・、ファッション性とでもいうかな・・・、それは、もう60年以上変わっていないスタイルだ。
あの車種で、大径の改造マフラー、横一文字のGTウイング。
もう60年以上前に確立された「走り屋のスタイル」ってやつだ。
この点については、俺も人のことは言えないな。

第三。
「奴」の行動パターンは、平成元年頃まで流行っていた、「伝説のつくり方」に則っているということ。
要は、「同じ曜日の、同じ時間帯に、同じ場所を走る」ということだ。

まあ、今回は、これらの「奴」に関する情報の全てを、自分で集めたわけではないから、100%この通りというわけにはいかないだろう。
しかし、情報としては信頼できるし、
複数の情報源から情報を得て、
かつ、詳細に検討しているから、
これから「奴」が現れることには、蓋然性がある。
Posted at 2009/11/03 22:48:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月02日 イイね!

アレキサンダー的意識とその現実(環八)

アレキサンダー的意識とその現実(環八)「ギリシア人意識」。

歴史上の人物で、「最も強いギリシア人意識」を持っていたのは誰だろう?
ソクラテス?
プラトン?
アリストテレス?
彼らは学者である。
もちろん、学者って職業の人々は、相当強い闘争心をもっているわけだけれども、
「最も強いギリシア人意識」といったとき、もっと闘争的な、別の人物の名が挙がると思う。

アレキサンダー大王。
彼は、マケドニアの王であって、ギリシアからは外れた場所の出身である。
しかし、彼の、「闘争心と密接に結びついたギリシア人意識」は、同時代のギリシア人の誰よりも強かったのだ。

中心が実は周辺だったり、周辺こそが実は中心だったりする。

とあるGT―Rが、この四面道の合流路の片隅で「獲物」を・・・、「奴」を狙っている、

このGT―Rのドライバーは、アレキサンダー大王に似ている。
何が似ている?
その「闘争心」と自意識が、アレキサンダー大王のものと酷似しているのだ。
それはまた明日にでも語ろう。

「奴」はこの「オールクリア」になる時間帯を狙ってくる。
この時間帯に、この先のトンネルへと入って、「世界一の加速」を披露しようというわけだ。
しかし、それはさせない。
俺のGT―Rがさせない。
奴のそれが「世界一」ではないことを、
俺が、
俺様のGT―Rが、
教えてやる必要性があるのだ。

しかし、このGT-Rのファイターには、アレキサンダー大王と明らかに似ていない「現状」があった。
それこそが、不本意だった。
もちろん、こうした「教え込んでやる立場」「思い知らせてやる立場」であることを、
誇りに思ってはいる。
だが、彼らは、アレキサンダー王の如く、「遠征」することを「美学」としているのだ。

俺は、「多摩湖道の走り屋」として、「走り屋意識」を確立した。
次いで、奥多摩エリアを活動拠点として、「青梅街道の走り屋」として「進化」した。
そして、自分の活動範囲を群馬エリアに拡大させることで、
「首都圏一の走り屋」=「日本一の走り屋」となってきたのだ。

しかし何故だ?

これから「奴ら」に思い知らせてやろうと、「奴らの牙城」への「侵略計画」を錬っていたというのに。
いや、「私」・「我々」が、「神の座に君臨し続けている、奴ら」を追い落とし、
そして「我々」がとって代ろうという、
「神殺しの儀式」と「神々の争い」、そして「神の交代」という歴史の場面が、
これから幕を開ける。
我々が、私が、その戦端を開く。
そういうシナリオだった。

しかしいま、
なぜ、「奴」が襲ってきた?
まさか、「奴」は先制攻撃を仕掛けてきたのか?
ひょっとして「奴」は、「奴ら」の「使徒」なのか?

そんなことは今はどうでもいい。
ともあれ、おかげさまで俺は、自らの美学に反する「防衛戦」をしなければならないハメになったのだ。

「奴」が、
この「オールクリア」になる時間帯を狙って、
高井戸方面から環八を北上してくるのは、いたるところで噂になっていた。
この時間帯に、この先の井荻トンネルへと入って、「世界一の加速」を披露しようというわけだ。
しかし、それはさせない。
俺のGT―Rがさせない。
奴のそれが「世界一」ではないことを、
俺が、
俺様のGT―Rが、
教えてやる必要性があるのだ。

ここまで書くと、この「R伝説」の時代がいつであるのか、絞り込まれてくるだろう。
環八の四面道交差点が立体化された後で、井荻トンネルが出来た後の時代である。
Posted at 2009/11/02 23:48:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月01日 イイね!

ある種の、でも正当なる「ないものねだり」の幕開け(環八・四面道交差点)

ある種の、でも正当なる「ないものねだり」の幕開け(環八・四面道交差点)わたし達は、車でも教育でもゴミ処理でも、完全なシステムを持つことは不可能である。いつでもすぐに時速100キロが出せて、絶対に事故を起こさない車、誰もがすぐに秀才になる教育、そして、誰もが文句をいわないゴミ処理、あればいいのであるが、それは「無い物ねだり」である。(by田中弘)
(田中弘 2006年『新財務諸表論』第三版)




プシィー 俺のGT―Rは
プシィー 最強のGT―Rだ
プシィー だからして
プシィー 負けることなんて
プシィー ありえねぇんだよ
プシィー!

走りを志す者、誰しも闘争心を持っている。
しかし、その闘争心の程度と方向性は、千差万別だろう。


場所は、青梅街道と環状八号線との合流点。
杉並区の四面道交差点だ。

昔、ここは平面の大きな交差点で、「排ガスの名所」と言われていた。
「東京の公共工事がケチくさい」とか、
「東京にかぎって、道路整備は一向に進まない」と言われている。
それは本当のことだ。

この国の行政機関や建設業界は、
誰もいない原野のど真ん中に、ほとんど誰も使わない、凄くお金のつぎ込まれたご立派な道路を建設することを、凄く得意としている。こういう工事をアッという間に完成させる。それは有名な話だ。
一方、多くの人間が利用する場所とか、行列が出来てしまってどうしようもないから、これを改善しようとか、そういう工事を凄く苦手としている。こういう工事はなかなか完成しない。
10年~20年くらいか、もっとだろうか?
行列に耐えることが東京住民のライフスタイルであり、義務なのである。
これも有名な話だ。

以前は、この場所もご多分に漏れず、その例のひとつだった。
ほぼ24時間、環八と青梅街道の双方に、長い行列が出来ていることが通例だった。

しかしながら、やっと、立体交差の工事が完成し、青梅街道の下を、環八が潜り抜ける構造に変更された。
信号は青梅街道側に残り、環八の方が「本線」の形態となり、
環八に向けて本線合流、
環八から流出するという形式に変わった。

だから、以下の話は、
今からすると、過去の話か?
あるいは未来の話か?
わからない。
ともかく、四面道交差点が立体化された後の話だということは確実である。

ってゆーか、そもそも誰の話か、わからない。


ここに、一台のGT―Rが「待機」して「ターゲット」を待ち構えていた。

「GT―Rが交差点で待機」とはいっても、交通機動隊交差点による飲酒運転の検問のことを言っているのではない。
交通機動隊の検問のように、道路や交差点のど真ん中を占拠しているわけではない。
さっき説明された「環八への合流車線」の片隅に、
ガソリン車の用語でいうのなら、「アイドリングした状態」で待機していた。
とはいえ、少なくともこのGT―Rが、パトカーではないことは確かだった。


つまり、「俺」が狙っているのは、不特定多数の人間ではなく、
たった一台の車だけだということだ。
だから交機のようなマネをする必要性もなかったし、そのつもりもなかった。
ここなら、環八を走ってくる、「奴」のエンジン音を聞き分けるのは簡単だし、
ここから発進すれば、環八を走ってくる車の後ろにつくのは、容易なことなのだ。
Posted at 2009/11/01 02:51:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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