
この記事は、
新時代の幕開けなのか。 プレジテント&シーマの生産中止。について書いています。
←「東京都23区の方に」と書いてあるけれども、私は23区内の居住者じゃありません。だから、まず、そういう意味で、私は「妄想と偏見によって塗り固められた江戸っ子意識」と何度も言ってるのです。
しかし、イイんです。
ニセモノがホンモノを越えることだってあるんですから 笑。
それと、
今日は、「プレジテント&シーマの生産中止」のことを書きとめておくべきかもしれない。昨日、「カルロスゴーンが日産の~」と、少し触れたこともあって、なおさらであると思います。
「衝突安全基準を満たさなくなる」「商品計画見直し」というのが主な理由のようですが、
トラックバック元のブログの人の、
「日産は最近、フウガをフルモデルチェンジさせた。フウガがこれからは日産の高級車の象徴になることは間違いない。あくまでも予想だが、プレジテント、シーマが無くなってしまうということは、フウガにウワサのV8ユニットが載るかもしれない。長らく生産されてきたプレジテント。そしてシーマ。無くなるのは本当に寂しいけれど、それは新時代の到来なのかもしれないな」
というセリフ。
この「新時代」は果たしてプラスの意味であろうか?マイナスの意味であろうか?
トラックバック元の人はプラスの意味で解釈しておられるようですし、私も、そう解釈したいのです。
が、
「フラッグシップ(旗艦)の欠如」という「イメージ」が頭を過ぎってしまい、
「デボネア(三菱)はなくなった、プレジデント(日産)もなくなった、日本のメーカーに残るフラッグシップはセンチュリーのみ(トヨタ)。果たして、それでいいのか?」
という思いが巡ってきてしまうのです。
それと、
「フーガが日産の最高級車となる、可能性」についても、「日産を外から見た、よそ者の目線」からは、
「なんか、下の車格のモノが最高級車になるなんて、なんか日本人が貧乏化したみたいだな」という印象が。
それと、
「この廃止は間違いなく、INFINITIの日本投入しかありません。
まあ、FUGAも米国では、INIFINITI M56だし。
日本では無いV8 5.6リッターエンジン搭載です」
というのについては、
私個人の率直な感性では「そうですね」ということなんですけれども、
このブログで書いたことの「集積」から形づくられた、
「このブログにおいての、私」の感性とは明らかに抵触してしまうんですよ。
いやー、「名環」のカテゴリー、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17810789/
において、
私は、
「レクサス」などという称号は、大嫌いである。
その存在自体、その作り手のプライドの無さが故の産物である。
レクサス・・・トヨタが造る、海外向け高級車ブランド。
つまり、
相対的には、トヨタが廉価・低級で、レクサスが高級である、と。
もっといえば結果論として、
レクサス
トヨタ
ダイハツ
という「身分」を敷いているらしい、と。
で、
コレが、
「身分」であるなら、
やっぱり、
レクサス
トヨタ
という「序列」・・・。
そして、
そして、
(上級版)「スタンウェイ」
(廉価版)「ボストン」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17719004/
の話が対照的な話として思い浮かんできてしまう。
とか言ってるんでね。
そうすると、
(上級版) インフィニティー
(廉価版) 日産
という「身分制論」、
「日本メーカーはプライドがなく自虐的である。そんな下卑た意識でイイ仕事ができるか」
とかいう話になっちゃうんですねぇ・・・汗。
うーーーーむ。
私個人の率直な感性ではなくて、
このブログで書いたことの「集積」から形づくられた、
「このブログにおいての、私」の感性なんですがね。
それと、
私個人の率直な感性としては、もう少し別のコトを考えている。
「日本では、ちょうど1000万円くらいの既製品を買う所得層が減ってるんだな。
フェラーリとかああいうべらぼうな金額のモノの重要はけっこうあるんだけれども。
中流没落の結果か?カネが有り余る超富裕層と、飢え死にする貧困層との二極化ってやつですかいな。
ひょっとすると、
5000万円とか1億でオーダーメイド♪外装・内装はワンオフ♪
とか、
これからはそういう価格帯やコンセプトのモノがウケてくるんだろうか?
そうすると光岡とか、伸びてくるんだろうか?
(↓以下はかなり行き過ぎた「思考の暴走」)
でも、結果として、いずれにせよ、フラッグシップ(旗艦)の欠如に・・・変わりない。
これから資本主義国では、国家の枠ってのも真っ先にブッ壊れてくるんだろうか?
(↓以下は「ブログの累積」の感性へと突っ込んでいます)
あ、でも昔っからそうだったな。
大金持ちってのはモナコに住んでたりして。
言ってみれば大金持ちの殆どは国賊、ってのが昔から、主要国共通のお決まりごとだったな。
結局は中流以下の貧乏人が国を支えてきたんだから。
国家ってのそれ自体が、中流以下の貧乏人を対象とした制度なんだろうな。きっと」
と、いう具合に。
さて、
いいかげん私は、認めるべきであろう。
「さて、」より上の日記部分で、
文献引用して、回りくどい言い方をして。
そんなことせずに、短刀直入にいうべきだろう。
「一番嫌いなタイヤメーカーはミシュランであるのだけれども、
自分の身体に合うのはミシュランのタイヤなのである」
と。
世の中、そんなものかもしれない。
とにかく、今の私の感覚からすると、そういうコトになっている。
それが凄く、イヤなんだけれども、そういうこと。
なぜミシュランが嫌いかって?
それは・・・まあ、何となく。
いや、実は根拠ある。ひとことでいえば、「もっと別に評価すべきものがあるんじゃないの?」という。
ただ、それに関しては、書くともっと長くなるので、日を改めて詳しく語ろう。
ともかく、タイヤメーカーの中で一番嫌いなのが、ミシュラン。
でも、身体に合う、「コレが気に入った」は、
ミシュランの「パイロットスポーツ」系のタイヤなのである・・・汗。
つまり、
気分で嫌いなのはミシュラン。
でも、使ってみて気に入っているのはミシュラン。
それとそれと、そういう気に喰わないことなら山ほどある。
まったく。
その際たるものは「直線加速」だ。