
この記事は、
即身仏について書いています。
「111歳」は30年前死亡?自宅に白骨遺体
今年7月22日に111歳を迎え、男性では東京都の最高齢者とされていた足立区千住5の無職加藤宗現さんが今月28日、自宅で白骨遺体で発見され、警視庁千住署が保護責任者遺棄致死容疑で捜索していたことが、捜査関係者への取材でわかった。
遺体は死後数十年が経過しているとみられる。家族は同署に対し、「三十数年前、自分から『即身成仏したい』と1階の部屋に閉じこもり、そのままになっていた」と説明しているという。加藤さんは死亡した妻の遺族共済年金も受給し続けており、同署は、同居していた長女(81)や孫ら家族4人から詳しい事情を聞いている。
同庁幹部や同区などによると、今年2月頃、加藤さんを担当する民生委員から区に、「本人に面会できない」と相談があり、区の最高年齢者にもあたるため担当者らが今年6~7月、加藤さん宅を複数回訪ねた。しかし、家族から、「本人は2階にいる。誰にも会いたくないと言っている」などとして面会を拒否された。
区から相談を受けた同署が捜査したところ、家族の1人が知人に「実は即身仏になっている。家族みんな知っている」などと話していたことが判明。同署は今月28日自宅を捜索し、1階で白骨化した加藤さんを発見した。肌着姿で、ベッドにあおむけで横たわった状態だった。同署に対し、家族は「本人は自分で部屋に閉じこもり、水も食事も取らなかった。厳しい人だったので、家族は誰も部屋に入れなかった」などと説明しているという。同署は加藤さんが1980年頃に死亡し、そのまま放置されていたとみている。
加藤さんの妻(2004年8月に死亡)は元教師で、加藤さん名義の銀行口座には今年6月までにかけて妻の遺族共済年金計約940万円が振り込まれ、うち約270万円が引き出されていたことが確認されたという。年金が申請された当時、加藤さんは既に死亡していたとみられ、同署は、年金を不正受給していた疑いもあるとみて捜査している。
足立区は、定期的に東京都を通じて厚生労働省に最高齢者を報告しており、加藤さんは、同区で最高齢とされていた。しかし、近年は、住民票で確認した名前と生年月日を伝えただけで、08年と09年には健康高齢者の表彰のお祝いの商品券も書留で送っていたという。同区は、「最後に生存が確認できたのがいつかは分からない」としている。
加藤さん宅は、JR北千住駅から北に約800メートルの住宅街にある。古くからある住宅も多いが、近所の80歳代の女性は、「加藤さんの姿は長年、見なかった。家族は『元気にしている』と言っていたが、あまりにも見かけないため、近所では不思議がられていた」と話していた。
◆国内最高齢は113歳◆
厚生労働省によると、国内の最高齢は現在、佐賀県在住の長谷川チヨノさんで113歳。男性の最高齢は、京都府京丹後市の木村次郎右衛門さんで同じ113歳だが、長谷川さんより生まれが5か月遅い。
厚労省では毎年、100歳以上の高齢者の人数などを公表している。2005年までは、高齢者上位100位までの名簿も公表していたが、実際に所在が確認されていない女性についても匿名で名簿に掲載されていたことなどが問題となり、翌年から名簿の公表はなくなった。
(2010年7月29日14時30分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100729-OYT1T00522.htm?from=top
↑コレについて、補足するなら、
「加藤宗現さんは、生きていれば、東京都で最高齢であった」ということ。
さらに「ミイラ」「即身仏」の観点から補足するなら
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E4%BB%8F#.E5.8D.B3.E8.BA.AB.E4.BB.8F
「ミイラ」
日本 [編集]
即身仏 [編集]
密教系の日本仏教の一部では、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物を「即身仏」(そくしんぶつ)と呼ぶ。仏教の修行の中でも最も過酷なものとして知られる。
この背景にあるのは入定(にゅうじょう)という観念で、「入定ミイラ」とも言われる。本来は悟りを開くことだが、死を、死ではなく永遠の生命の獲得とする考えである。入定した者は肉体も永遠性を得るとされた。
日本においては山形県の庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。また、中国では一部の禅宗寺院で、今もなおミイラ化した高僧が祀られている。
木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、次に筋肉が糖として消費され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる。生きている間にミイラの状態に体を近づける。生きたまま箱に入りそれを土中に埋めさせ読経をしながら入定した例もあった。この場合、節をぬいた竹で箱と地上を繋ぎ、空気の確保と最低限の通信(行者は読経をしながら鈴を鳴らす。鈴が鳴らなくなった時が入定のときである。)を行えるようにした。 行者は墓に入る前に漆の茶を飲み嘔吐することによって体の水分を少なくしていたといわれている。漆の茶にはまた、腐敗の原因である体内の細菌の活動を抑える効果もあった[10]。
これらは死を前提にするため当然ながら大変な苦行であり、途中で断念したものも多数存在する。また、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。ミイラになれるかなれないかは上記の主体的な努力によることと、遺体の置かれた環境にも大きく影響する。
現存する即身仏の一覧 No 人名 寺院名 所在地 入定年または没年 享年
1 無際大師 總持寺 神奈川県横浜市鶴見区 延暦9年(790年) 91
2 弘智法印 西生寺 新潟県長岡市寺泊野積 貞治2年(1363年) 82
3 弾誓上人(?) 阿弥陀寺 京都府京都市左京区大原古知原 慶長18年(1613年) 63
4 本明海上人 本明寺 山形県鶴岡市東岩本 天和3年(1683年) 61
5 宥貞法印 貫秀寺 福島県石川郡浅川町小貫 天和3年(1683年) 92
6 舜義上人 妙法寺 茨城県桜川市本郷 貞享3年(1686年) 78
7 全海上人 観音寺 新潟県東蒲原郡阿賀町豊実甲 貞享4年(1687年) 85
8 心宗行順法師 瑞光院 長野県下伊那郡阿南町新野 貞享4年(1687年) 45
9 忠海上人 海向寺 山形県酒田市日吉町二丁目 宝暦5年(1755年) 58
10 秀快上人 真珠院 新潟県柏崎市西長島鳥甲 安永9年(1780年) 62
11 真如海上人 大日坊 山形県鶴岡市大網 天明3年(1783年) 96
12 妙心法師 横蔵寺 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原 文化14年(1817年) 36
13 円明海上人 海向寺 山形県酒田市日吉町二丁目 文政5年(1822年) 55
14 鉄門海上人 注連寺 山形県鶴岡市大網 文政12年(1829年) 62
15 光明海上人 蔵高院 山形県西置賜郡白鷹町黒鴨 嘉永7年(1854年) 不明
16 明海上人 明寿院 山形県米沢市簗沢小中沢 文久3年(1863年) 44
17 鉄龍海上人 南岳寺 山形県鶴岡市砂田町 明治14年(1881年) 62
18 仏海上人 観音寺 新潟県村上市肴町 明治36年(1903年) 76
さて、
悔しい話だが、世の中には「天才」と呼ばれる人々が存在する。
何年も何年もかけて、ものすごい鍛錬を経て最後にたどり着く境地に、
通常人が要するのとは格段に少ない努力でも、最短距離コースで到達する者もいる。
・・・東京都足立区でのあの事件が、どこまで本当かどうか、極めて不明だが・・・、
・・・即身仏であられるのなら、もっとリスペクトすべきであろう。
たしかに、「遺棄致死の容疑」、
また、金銭についても、「詐欺」の構成要件を充足するのだろうけど、
それにしても、即身仏に対して給付された金銭が、1000万程度とは、・・・安すぎる。
いやまあ、そんな金銭の話はどうでもいい。
言いたいのは、この件の報道における「空気」。
そして、極力、刑罰を課そう、そればかりに傾倒する空気。
これは、歴史と伝統を持つはずの、我らが日本社会として、それだけで・・・よいのか?
加藤宗現さんは、生きていれば、東京都最長寿であった。
ただ、現実には、亡くなっておられたのだが、
たぶん・・・「加藤宗現上人(しょうにん)」は、アジア地区でも、もっともお若い「即身仏様」であろう。
現実は、・・・そういうことになろう。
「即身仏になりたい」と言って、確かにミイラになった、といわれている。
・・・「即身仏」に成ることは困難で、途中で断念したものも多数存在する。
また、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。
ミイラになれるかなれないかは主体的な努力によることと、遺体の置かれた環境にも大きく影響する。
加藤宗現上人は、「ミイラになった・・・即身仏におなりになった」のであるなら・・・、
あの報道は・・・ないだろう!
「自宅を捜索し」
↑
「舎利殿」と言え!!
「加藤さん宅は、JR北千住駅から北に約800メートルの住宅街にある」
↑
「宗現上人の舎利殿は、JR北千住駅から北に約800メートルの住宅街にある」
と言え!!
「1980年頃に死亡し」
↑
「1980年頃に入定し」!!
この調子では、
宗現上人のミイラを、火葬にしてしまいそうな調子である。
宗現上人は、
仏法を原則として否定する近代法によって、即身仏が禁じられた現代世界であるにも関わらず、
仏海上人(明治36年(1903年)入定)以来の即身仏であられる可能性が高い。
それを、我々、一般社会の感性は、理解できていない可能性がある。
また、仏教界の方々は・・・どうお思いなのであろろ?
「仏教界での社会的地位」がなければ、即身仏とは認めないのであろうか???
(上記引用の「即身仏」を見ると、どうやら、「即身仏の条件」は、「ミイラになりたいと望んでミイラになること」であるらしく、
修行→ミイラ化というのは、あくまで、「普通のコース」にすぎないように読める・・・汗)
ただの変わり者じいさん、ただのダメ家庭、単なる遺棄致死、詐欺罪で訴追、
それでいいのだろうか?
それだけの見方でいいのだろうか?
本当にそれでわれらの社会は・・・その視点だけでいいのだろうか?
私はその空気と、目線の単一性に、違和感を表明せざるを得ない。
いや・・・もっと正確に、東京に住む者としての私の感想をいえば、
われわれが、「その境地の者が発生した」ということに対して、
「理解できない」
「うわっ、やべーよ。犯罪だよー。違法だよー」
と、拒否反応のみしか示すことができない、
という狭量さ、
一種の懐の狭さ、
ある種、無知蒙昧???
それを・・・正直・・・情けなく思っている。