この記事は、
世界征服!について書いています。
「すべてを受け入れようと思った。一年前に、日本一のフェラーリ遣いと異名をとった「太田哲也」という名前の男は死んだ。そして新しい「太田哲也」が誕生した。奇跡的に助かったのではない。死んだのだ。その後に別の人間が新しく生まれてきて、新しいスタートラインに並んだ。」
太田哲也『クラッシュ』 幻冬舎
・・・こう見ると、今年は、
「ハッキリ言って、現代世界は、「暴力魔」が跋扈する世界だ」
ということが、
今さらながら、日本人全員の目に明らかになった年、ともいえるかもしれない。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/20935234/
つまるところ、2010年こと、平成22年は本質部が曝け出しとなった年、
ともいえるような気がする。
それは、このブログについても全く同じことで。
ついには、
「Interstate Highway」とか、「中国国家高速公路網」というカテゴリーまで登場し、
アメリカ合衆国連邦や、中華人民共和国 (場合によってはロシア連邦も)を否定しにかかる、
という、私の魂の中の、「カーライフ」の根幹部・目的部分が曝け出しとなった、といえようか。
それは、何というか、文明世界において、「共通することとは、一体なんだろう?」という問いにつながっている、というか。
911テロの後、もう、10年くらい前、イスラム世界のことが話題になったとき、次のような指摘をした人がいた。
「僕ら(現在の日本人やアメリカ人)と、イスラム原理主義者とは、本当に違うと思う。
でも、何か共通点はないか、と探してみたら、それって、お茶を飲むこと、くらいかな?って」と。
確かに、それは、一理ある。
しかし、「現代世界の共通性一般論」としては、なお、不十分であると思う。
何故って、場合によっては、「お茶」が忌避されることだってありうる。
それは、他ならぬ「(ボストン)ティーパーティー」(アメリカ)であり、
今もってアメリカは「コーヒー派」が大多数だ、と言われている。
実際論はさておき、そういう言われ方をされている。
かくいう私も、・・・(走り屋という)この業界の人も、「(缶)コーヒー」を飲むことに喜びを感じている者が多い。
「走り屋には缶コーヒーがつきものである」という言われ方をされるし、私についていえば、それは、当てはまる。
しかしそれも、実際論としては、「オイラ、コーヒー飲まねーよー」という具合に、コーヒーを避ける走り屋も随分知っている。むしろ、ホントに缶コーヒーを飲んでる走り屋は、私くらいな気もしている。
あと、よく言われる、「酒」はというと、それこそイスラム圏では、戒律上禁酒だし、
私も、走りのために、酒を断った状態にある。
そればかりか、私と同世代の女性陣には、
酒飲み(コイツ、アル中なんじゃねーの?)+コーヒーが嫌い
というタイプが大量にいて(多分、半分くらいは↑こういうタイプなんじゃないの?)、
お互いの生活仕草を見るのが大嫌いだったりする。
つまるところ、「茶」「コーヒー」「酒」・・・こういうモノが、現代の人類文明社会で、全くの共通性・共感性を持たないのだ。
そこで私は考えた。
・・・現代の人類文明社会で、共通性・共感性を持つものは何か???
・・・クルマ???
それが浮かんできた答えだった。
そして、
「馬に乗るなら、馬術」の如く、
ある種、必然的に出てくる観念が、
「クルマに乗るなら、走り」というもの。
そこで「走り屋」という人間性が、自然と浮かび上がってくるわけだが、
どういうわけだか、「Hashiriya」という語と共に、
世界的にある種のリスペクトを受けているようだった。
特に、日本の走り屋が。気づいたとき、どういうわけだか、「それ」であった。
教団(走り屋集団)は、存在が法律で禁止され弾圧を受けており、活動を秘密裏に行うことも多い。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%B5%B0%E3%82%8A%E5%B1%8B
だが、法律で禁止されているからといって、それが顕在化しない、というわけでもない。
海賊行為は、「人類共通の敵(hostis humani generis)」とされる国際犯罪である
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17249122/
のだが、
現に、「環境保護を謳う海賊」が、活動出来てしまっている、という事実がこの世界にはある。
とはいえ、「存在が法律で禁止される」以上、そこには、厳然たる正当性が必要ではなかろうか?
少なくとも「環境保護」よりも厳然とした、「人類普遍の正義」と結びつく必要性があろう。
では、「人類普遍の正義」と考えたとき、
今の世界の「現状」はどうか?
ハッキリ言って、現代世界は、「暴力魔」が跋扈する世界だ。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/20935234/
だからして、「暴力魔」がブッ潰されなければ、「平和な世界」など訪れるはずもない。
そのため、「暴力魔」に対しては、「ブッ潰す」としておかなければ、後の世から見て、まずいのではなかろうか?
おそらく、後の世から見ると、
アメリカとか、ロシアとか、中華人民共和国というのは、
一旦、ブッ潰れなくてはならないのではなかろうか。道義的に言って。
そういう思いで、ロシア、中華人民共和国、アメリカ合衆国への非難が全開となっている。
これらの地域を「主戦場」と制定し、
そこにおいては、「正義を希求するため」の「実力行使」も正当化する、
つまり、
「暴走族活動・暴走行為」「パトカーを破壊・警察官を殺害・警察署を襲撃」というようなことまでも、論理的に正当化することをこのブログは目的としている。
但し、
「実力行使を正当化するために、敵の理不尽さを指摘する」
・・・これだけでは、「敵」が日本に対して行う「反日活動」と変わらない。
勿論、「反日活動」の「論理」は極めていい加減であり、デマ情報に溢れているため、こちらの方が、レベルが格段に高いのではあるが、
「実力行使を正当化するために、敵の理不尽さを指摘する」
ということに留まっては、属性としては変わらない。
そのため、年明け以降、(2010年の後半くらいになってしまうだろうが、)
「では、現代世界を牛耳る暴力魔どもをブッ倒したら、そのあと、どのような世界が創られるべきか」
という話も、なるべく考え、してゆきたいと思っている。
実は、「そこ」で、まさに、
クルマと、道路(公路)の話になる。
少しだけ言うなら、「国家高速公路網」が、国家から解放され、文字通りの「公路網」となるべきである、
それが22世紀世界の様態として不可欠なのではなかろうか?
ということ。
ただ、いずれにしても、
2011年、このブログは、
「そういう話」は勿論してゆくにしても、
もっと足元の話・・・「パーツレビュー」や「車両の機構」に纏わる話、それと、「日本の峠・ワインディングの具体的な話」(←根本的なモノサシあるいは母基地という意味での)をしてゆきたいな・・・と。
何故ってそれは、
走り屋は・・・私は・・・根本的には、「数の世界の住人」だから。
仮にも、最終的には暴走族に堕すとしても、
根本的には、技術的世界・・・しかも数字に換算することが不可能ではない、「数の世界」に生きる者であるから・・・。
それにしても、2010年は、アッ!という間も無かった気がいたしますね。
何というか、色々な出来事が、我々の想定だの妄想だのの範囲外にあるんですよ。
現実ってのが、想定だの妄想だのの範囲外にあるもんだから、
何か、現実が、アッ!という間も無く過ぎ去っていくような。
そのときの加速、
それは、
「意味がわからなかった」。
やはり、
「意味がわからなかった」
ブン!それは意味不明的速さの萌芽
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/15798464/
というやつであろうか。