この記事は、
なで肩について書いています。
私が所帯を持つとすると、子供たちは、とーちゃんである私ではなく、かーちゃんにオンブされたがるだろう。
なぜなら、私はなで肩だからだ。
なで肩の男は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私は、自分の後ろ姿がカッコいいと思われたい、と願った。
肩と、その線から印象付けられる後ろ姿がひ弱さを表してしまうというならば・・・、
それは腕を鍛えるしかないだろう。
肩形状は骨格の根本的な設計からくるのだから変更不可能である。
だったら腕っぷしを鍛える他なかろう。
特に、「腕前」を鍛える他なかろう・・・。
保健体育の教科書なんて、アレは書き換えられる必要があると思う。
はっきり覚えている。
男性の特徴・・・肩が張っている。
女性の特徴・・・なで肩である。
そういう図が描いてあって、わざわざご丁寧にも、肩から点線が伸ばしてあって、
説明書きが書かれていた。
自分はなで肩の男だったから、この書き方がすごくシャクだったが、
それは教科書の方が、「劣性(個体数の比率として少ない)」の方を採用していたからだ。
男性の特徴・・・肩が張っている。
女性の特徴・・・なで肩である。
↑思うに、このパターンは「劣性パターン」であると思う。
男の場合、なで肩の個体の方が多いようだし、
女の場合、直線形の肩を持つ個体の方が多いようである。
もしも、
通説や多数説を取り上げるのが教科書である、
「優性(個体数の比率として多い)」を・一般的であるものを取り上げるのが教科書である、
というのなら、
男性の特徴・・・肩が張っている。
女性の特徴・・・なで肩である。
という、保健体育の教科書の↑コレは書き換えられる必要がある、と思う。
ちなみに、教科書作成者が、
「女性でなで肩の人は、ストラップが肩から滑って外れることがあり」とかいうことを考えて書いていたのだとしたら・・・何てコメントしたらよいのだろう???
(いや・・・googleで「なで肩」「wiki」って検索したら、「なで肩」とか「なで肩の原因」に関するページは出てこなくて、一番上に、「ブラジャー」のページが表示されて・・・上記文言が・・・汗。
気になる人は検索してみてください。1/10現在、そうなります汗)
いずれにしても、
私が所帯を持つとすると、子供たちは、とーちゃんである私ではなく、かーちゃんにオンブされたがるだろう。
なぜなら、私はなで肩だからだ。
なで肩の男は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私は、自分の後ろ姿がカッコいいと思われたい、と願った。
肩と、その線から印象付けられる後ろ姿がひ弱さを表してしまうというならば・・・、
それは腕を鍛えるしかないだろう。
肩形状は骨格の根本的な設計からくるのだから変更不可能である。
だったら腕っぷしを鍛える他なかろう。
特に、「腕前」を鍛える他なかろう・・・。
それにしてもあの年の1月1日、
俺たちに夜明けは来なかった。
「新春初日の出暴走」は、確かに、「大失敗」したのだった。
クラウン5台で、その年一番の朝日を目指して走り出したものの、
夜、明けぬうちに4台のクラウンが廃車となってしまった。
そして、残存していた私の1台もその月のうちに廃車となった。
それはその「チーム」の中で取り敢えず、一番経験の多かった私自身に、一番の高齢車両を割り当てたからであって、
その車両は、はっきり言って寿命がいくらもない状態だった。
車体下部からエンジンオイルの若干の漏れが生じているほどで、修理にはかなりの金額がかかる状態。車体の老朽化も勘案すると、廃車妥当な車両だった。
それを、先頭を走る自分に割り振っていた。
「車両に不具合があっても、私に起こるなら、他の奴に起こるよりマシだろう」
そう考えていたが、そういう考えも、今から考えると、甘い。
もし、編隊走行中、先頭車両が急停止したらどうなることか?
未熟な後続車が、やはり多重衝突を起こすではないか。
すべてが未熟すぎた。技能が足りな過ぎたのだ。
そして、相対的に新しかった4台は廃車。残った一台も1月中に廃車となった。
結果として、「全滅」だ。
それでもあいつらは、私に「ついてきたい」と言ってくれている。
こんな、なで肩の男である私の、後ろ姿が、他の奴にはないくらい良いのだと、
走る車両の後ろ姿が良いのだ、と。
・・・・あいつらには、闘志・・・
実のところ私以上に盛んな闘志を持ったあいつらには、
自信と尊厳を与えてやりたい。
何も恥ずかしがることなく、「俺たちは世界最強だ!」と言えるようにしてやりたい。
羞恥心を払拭するための具体的根拠を与えてやりたい。
しかし、実際に発生した出来事は、「俺たちは世界最低だ」、としか言いようのない有様でしかなかった。
実のところ私以上に盛んな闘志を持ったあいつらには、
自信と尊厳を与えてやりたい。
何も恥ずかしがることなく、「俺たちは世界最強だ!」と言えるようにしてやりたい。
羞恥心を払拭するための具体的根拠を与えてやりたい。
しかし現実問題として、「走る者」としての技能が・・・腕前が・・・皆無であったのだ。
誰よりも何よりも、私に、皆無だったのだ。
だからそれには、「なりたい自分たちの姿」「なりたい自分の姿」を現実のものとするには、「走りの技能」を・・・「走りの腕前」を磨くことが必要不可欠なものであることが明明白白であったのだった。
「走る者として」・・・それはつまり「走り屋」と呼ばれる者であることに他ならなかった。
私は「失格」のところからスタートした。
無論、「走り屋失格」だった。
それどころか、暴走族としてさえ、失格だった。
私もまた、同世代の多数の個体と同じく、なで肩の男だ。
なで肩の線形は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私の歩き方に、車両で走る姿勢に、私の後ろ姿を称えてくれる者達がいた。
しかしながら、厳然たる事実として、今の私には、その先頭を走るだけの資格がない。
もしも「走りの腕前」という、物理的な、厳然たる「資格」なくして先頭を走ろうものなら、どうなるだろう?
私だけが死ぬのなら、それで構わない。
実際問題として、私に続こうとする、実のところ私以上に盛んな闘志を持った奴らを、犬死させてしまうことだろう。
もしそんなことになったら、私は、生きてゆけるだろうか?
いずれにしても、
「走りの腕前」という、物理的な、厳然たる「資格」が必要だった。
「走りの腕」を鍛える他なかったのである。
なで肩の男は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私は、自分の後ろ姿がカッコいいと思われたい、と願った。
肩と、その線から印象付けられる後ろ姿がひ弱さを表してしまうというならば・・・それは腕を鍛えるしかないだろう。
肩形状は骨格の根本的な設計からくるのだから変更不可能である。
だったら腕っぷしを鍛える他なかろう。特に、「腕前」を鍛える他なかろう。