2011年08月15日
この時期は、いつも暑いです。今年もまた、8月15日が巡って来ました。
66年前の1945年8月15日。
日本が連合国(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)に対し、無条件降伏を受諾した日です。
信じられますか?66年前、日本はアメリカ合衆国やソビエト連邦(現ロシア)や中国と
戦争をしていたのです。世界中が戦火に包まれていたのです。でも、事実なんです。
1975年生まれの私は、父や母、他界した祖父母から第二次世界大戦、太平洋戦争の
お話を聞いただけです。もちろん、直接戦争をくぐり抜けた世代ではありません。
母は、未だに山の中の匂が好きではないと言います。
何故ならば、防空壕(ぼうくうごう:爆撃から身を守る為避難する塹壕)が土で出来ていたからです。
母と祖母が避難していた防空壕に焼夷弾(ナパーム弾)が着弾し、命からがら逃げ延びたと
聞きました。幸い、焼夷弾が不発弾だったのです。不発弾でなかったら、
私は今こうしてこの世に存在しなかったかも知れません。
母方の祖父の元には、5回(記憶があやふやです。4回かも)も
赤紙(召集令状)が届いたと聞かされました。実際に、祖父は何度も戦地に赴いたのです。
銃弾が飛び交う中、ほふく前進(地面を這いずりながら腕で前へ進む)で進んでいると、
『ついさっきまで生きていた戦友が銃撃で息絶えていて、遺品を戦友から取って、前進を続けた。』
と聞かされました。その話を初めて聞いた日、怖くてその夜はなかなか眠れませんでした。
私の母が初めて祖父と対面したのは太平洋戦争後。軍靴(鉄入りの軍用靴)の足音がして、
軍服姿の祖父と対面したと聞いています。軍靴の音が怖かった、とも。
今の世界は、核兵器による互いの抑止力という、綱渡りもいいところのバランスで
平和が保たれています。今度世界大戦が勃発すれば、核兵器により人類は死に絶えてしまうでしょう。
戦後の平和な世の中に生命を授かった私は、戦争をくぐり抜けた父や母、
祖父母の経験や苦労を忘れてはならないのです。
Posted at 2011/08/15 09:34:52 | |
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終戦の日 | 日記