
1950年~1960年代にモーガン、MGなどの英国メーカーから生み出されたブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカー(いろいろな定義はあるが、主に高価ではないオープン2シーター)は、北米市場を中心として世界中に花開いたが、その後の自動車技術の成熟により、スポーツカーの中心は高性能化、拡大化、高額化していく。
そのようなブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーの開発・販売が途絶えそうな1980年代に、ユーノスロードスターの開発は始まる。当時のマーケットや既にオープンモデル(FC3)が存在していることから、社内では反対する意見もあったが、開発者の熱意や北米を中心としたリサーチにより、最終のプロトモデルより約1年半の期間で生産・販売されることとなった。
開発に当たっては「人馬一体」をキーワードとし、ハンドリングやレスポンスを中心に据えて、重量軽減やコスト削減(部品の共通化や遮音性能の妥協、ビニール製の幌、混合車種を製造するラインでの組み立て等)をおこなうことで、「高価ではないが、運転が楽しめる手頃なサイズのオープン2シーター」を目指して販売を開始する。
販売開始後の人気は凄く、実際に予想した台数を上回る勢いで販売され続け、モデルチェンジするまでの約7年間で約43万台(国内 約11万台)を販売した。
既に失われたと思われていたマーケットを開拓することで、車種として合計100万台以上を販売しているこのクルマは、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーに対するニーズが存在していることを、再び世に知らしめることとなった。
ユーノス・ロードスターの存在が与えた影響は大きく、後のスポーツカー市場に対する影響だけならず、運転の楽しさやスポーツカーの魅力を新しいユーザーに届けることに大きく貢献しており、開発秘話などの逸話が数多く語られていることからも、この車種がいかにユーザーに愛され続けているかを伺うことができるだろう。
「平成」の元号の始まりにデビューしたこのクルマは、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーを好むユーザにとって、北米市場での名前のように、まさに『贈り物(Miata)』となった。
メーカー・ユーザーを問わず「だれもが、しあわせになる」クルマであり、世界中で愛され続けているクルマといえるのではないだろうか。