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ぴーすけのブログ一覧

2012年08月13日 イイね!

ご近所徘徊 12 マクラーレンのパートナー

ご近所徘徊 12 マクラーレンのパートナー今回のご紹介は「KENWOOD」です。
場所は我が家よりほど近い北八王子工業団地内です。

1946年、「有限会社春日無線電機商会」として長野県駒ヶ根市に設立。
翌年の1947年商標を「TRIO」とし、アマチュア無線や受信機の強み生かしてオーディオの分野に進出、オーディオ界では「チューナーのトリオ」とも呼ばれていました。

1986年、社名を「株式会社ケンウッド」に変更。2002年、当時より事業所のあったこちらの八王子に本社を移転してまいりました。

このケンウッド、カーオーディオメーカーとしてお馴染みでしょうが、F1好きの人には「マクラーレン」のパートナーとしても身近な存在に感じる事でしょう。



マクラーレンは数多くの「メイド・イン・ジャパン」に対して高い信頼を寄せ、マシンにパーツを採用しているチームです。
このケンウッドの他にも、曙ブレーキ工業のブレーキキャリパー、エンケイのホイール、GSユアサのバッテリー、そしてファクトリーでは、髪の毛の何十分の一の細かさという精度を誇るヤマザキマテックのCNCマシンをパーツ加工に使用。また、チームのオフィシャル写真は、オリンパスのデジタル一眼レフカメラEシステムによるものだそうです。



特にケンウッドは、1991年にパートナーシップ契約を締結して以来、無線システムの供給を通じ日本企業としては最も長い20年以上にわたってパートナー関係を継続しています。

そして私がなによりこのケンウッドを身近に感じたのがこの無線機「DEMITOSS」でした。



まだ携帯電話が普及する以前、ドライブにツーリングにスキーにと仲間と一緒に行動するのには欠かせないアイテムの一つでした。


産業再生法を申請したり、ビクターと合併したり、と経営はなかなか大変なようですが我が街の貴重な地元企業、なんとか頑張ってもらいたいものです。

そんな私。。。ごめんなさいm(_ _)m
ALPINE
のファンなんです
Posted at 2012/08/13 09:30:37 | コメント(10) | トラックバック(0) | ご近所徘徊 | 日記
2012年07月31日 イイね!

ご近所徘徊 11 関東屈指の山城、そして近年は。。。

ご近所徘徊 11 関東屈指の山城、そして近年は。。。いよいよ明日から8月、夏本番となりました。
そんな夏にぴったりの名所が我が八王子にもあります。

実はここ八王子にもお城があったのをご存知でしょうか。
代表的な城は平山城・滝山城・片倉城とこの八王子城になります。

特に八王子城は小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照が築いた山城で関東屈指の山城でした。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。



この城が築かれた時代は、それまでの戦闘重視の山城から、近世的な天守閣を持つ平山城、平城への転換期であり、比較的なだらかな丘陵を利用して構築された平山城から、より急峻な八王子城に移ると言うことは、時代を逆行する面もありました。しかし、安土城をはじめ関西の城で取り入れられるようになり、後に近世城郭の一つの特徴ともなった石垣を取り入れているところに、古い時代の山城にはない、八王子城の特徴があります。



天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら1万5千の軍に攻められて僅か1日で落城してしました。
城主の北条氏照と家臣の殆どは小田原の合戦に出ており、城内には僅かな家臣と婦女子しか残っていませんでした。
当時、籠城戦は籠城側を降伏させて開城させるといった敵味方の人命を優先する戦法が主流だったのですが、八王子城での戦は見せしめの意味もあった為、降伏する事も許されず徹底的に叩かれたそうです。
不幸にも戦に巻き込まれた多くの非戦闘員が無残な死に方をしました。



押し寄せる大軍の中で、落城も間近になった時、この八王子城の城主・北条氏照の正室はじめ、多くの婦女子たちは、
「敵方に捕えられて生き恥をさらし、夫や息子たちの迷惑になってはいけない」
とばかりに、屋敷の建っていた御主殿曲輪の南東に位置する滝へと、次々と身を投げたそうです。
そのあまりの人数の多さに滝から城下に向かって下って行く城山川の水は、その日から三日三晩血で赤く染まったとか。。。



それでも死に切れず討ち取られた者は首をはねられ、その首は、小田原城に籠る父や夫の戦意喪失を図るべく、これ見よがしに小田原城外に晒されたと言います。

この八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。

この話の内容を知ってここを訪れると、ところどころ寒気がするところも。
特に滝は有名な場所ですよ、霊感の強い人には。。。(笑


その後、没収されたこの地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康に与えられました。家康もまた後北条氏と同じく、家康の居城が置かれる江戸を甲州口から守るための軍事拠点として八王子を位置付けていました。
しかし徳川氏は後北条氏のように八王子に支城を置かず、八王子城を廃城とした上で八王子を直轄領とし、八王子には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとし、武田家旧臣の大久保長安が代官頭をつとめてこの地方の開発を担当しました。
長安は甲州街道を整備し、八王子城下より東の浅川南岸の街道沿いに新たに八王子町を設けて旧八王子城城下の住民を街道沿いに移住させたそうです。

徳川氏による八王子の開発の結果、1650年代までに現在の八王子の中心市街(八王子駅の北)には甲州街道に沿って何町も連なる大きな宿場町が完成し、八王子十五宿(八王子横山十五宿)とよばれるようになります。この宿は街道中最大の宿とななりました。
また徳川氏は武田氏や後北条氏の遺臣で軽輩の者を取り立てて八王子宿周辺の農村に住まわせ、普段は百姓として田畑を耕し、日光警護など特別な軍事目的の場合には下級の武士として軍役を課す八王子千人同心としました。

その結果八王子やその周辺は幕府によって繁栄を続け、後の「新撰組」の思想もここから生まれるようになったと思われます。
Posted at 2012/07/31 20:33:51 | コメント(10) | トラックバック(0) | ご近所徘徊 | 日記
2012年06月25日 イイね!

ご近所徘徊 10 愛されて40年

ご近所徘徊 10 愛されて40年先日の「父の日」に子供からもらった「プッチンプリン」

メーカーはグリコ。
グリコといえば大阪のイメージですが、このプッチンプリンはグループ会社の「グリコ乳業」が開発・商品化しました。
その本社工場が八王子のお隣、昭島市にあります。



当時はこちらで開発されたそうです。

発売が1972年ですから、もう40年という事になります。

このプッチンプリンが発売された頃は、いままでカップのまま食べていたプリンをむやみにお皿の上に乗せて食べたものです。
当時の母上は「皿が汚れる」と嫌がっていましたが。。。(笑



そんな「父の日」に、昔の母上を思い出す不思議な日でした。
Posted at 2012/06/25 07:24:55 | コメント(13) | トラックバック(0) | ご近所徘徊 | 日記
2012年06月07日 イイね!

ご近所徘徊⑨ 八王子で数少ない「全国区」

ご近所徘徊⑨ 八王子で数少ない「全国区」「野猿街道」。。。
ひと昔前まではなかなか読めなかったこの看板の文字ですが、
今ではすっかり有名になり、誰でも読めるようになりました。

そのきっかけとなったのは「とんねるず」が結成した音楽グループ「野猿」です。
CD売上げ300万枚以上、2年連続紅白出場と、一躍全国区となりました。

そしてそのグループ名の元になったのが、こちらの「ホテル野猿(現在はフェスタリゾート野猿)」です。



当時はこのホテルの看板があちらこちらに点在し、とんねるずも以前から
「変な名前のホテルがあるらしい」
とラジオなどで話題にしておりました。

ちなみにこの「ホテル野猿」、
今では常識となった写真で部屋を選べるパネルを設置した日本初のホテルとの事らしいです。

本来は大変地味な街道なのですが、
ずっと道を辿り、八王子駅近くの起点まで来てみます。
するとそこには「WILL URVAN」というホテルがあります。



そんな事から八王子では
「野猿街道=ラブホテル」
のイメージが出来上がってしまいました(^^ゞ
Posted at 2012/06/07 13:16:18 | コメント(8) | トラックバック(0) | ご近所徘徊 | 日記
2012年05月10日 イイね!

ご近所徘徊⑧ 戦争の爪痕と八王子の街

ご近所徘徊⑧ 戦争の爪痕と八王子の街私もGWの気分も抜け、平常どおりの日々と戻りました。

で、前回紹介した新しい(?)相棒と八王子散策です。

今回の徘徊シリーズネタは、事件の当日若しくは終戦記念日にご紹介しようかと思っていたのですが、今後の八王子を紹介するに当たり最初にご紹介しておかなければと思いブログアップしました。

江戸期には宿場町として、近代も商都として栄えたきた八王子。その主要道甲州街道沿いには石蔵や赤レンガ造りの建物など多少昔の面影を残しているものの、それがポツポツとしか残っておりません。
しかも市内中心部となれば殆ど皆無です。

その理由は1945年8月2日、米軍のB29爆撃機169機(諸説あります)による八王子大空襲です。
約2時間のうちに67万発1600tもの焼夷弾を落下し、市街の80%が焼失、死者は450人以上、負傷者は2000人以上と言われております。
なおこの投下量は日本本土空襲では3番目に多いそうでです。



そしてここがR20号甲州街道の浅川に掛かる大和田橋です。
多分八王子に車で来たことがある方なら、知らず知らずのうちに通っている事でしょう。

そして橋のたもとにはレリーフが

「八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に、米空軍のB29爆撃機180機の空襲を受け、約450名が死没、2000余名が負傷し、旧市街地の約80%の家屋が焼失する被害を受けました。その時多くの市民が大和田橋の下に避難し、尊い命が助かりました。。。。」

そしてこれが当時の焼夷弾の着弾跡です。
大変見づらいですが、このようにアクリルで覆われているのが2箇所、色つきタイルで場所を示しているのが15箇所残されています。


先のとおり古い建物などはあまり残っておりませんが、
このように後世に残していかなければならないものは、まだまだ八王子にも沢山残っております。

最後はちょっと長い映像ですが、あと10分だけお付き合い下さい。
焼け野原になった八王子の姿です。
グロは在りませんのでご安心を(-^〇^-)




Posted at 2012/05/10 15:11:41 | コメント(16) | トラックバック(0) | ご近所徘徊 | 日記

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「@HITOTSUYA 足柄ですね、ご苦労様です」
何シテル?   11/06 08:24
我が家からは朝はキジの鳴き声が聞こえ、昼は鳶が上空をクルクル、目の前の川にはカワセミが。。。 それでも私は東京都民?

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