出羽秋田紀行 その2
投稿日 : 2010年05月26日
1
承前
男鹿半島の付け根に近い部分に大小噴火口を近くに擁した寒風山という芝生のような低い草しか生えないような場所がある。
この日は風もなく、かなり暑かったが、雲ひとつなく、「その1」の冒頭写真のように日本海や八郎潟調整池(往時の八郎潟の一部と考えてよいと思う)がくっきりと見える。
特に潟岸にある田地の区画などを併せてみてみると、なにやら人工的にこしらえた要塞のようにもみえていかにも堅牢そうな堀のようにも思える。実際に人工的にこれらの区域は整然と構築されたのだが、城郭ではなく、巨大な田地であるというところが面白い。
2
自動車を停めると、もう低草(芝生といってよいだろう)で覆われた山肌になっており、通常はかなり風が強い地域だと思われる。寒風山という名の謂れどおりの気候というわけだ。
この日はそういうこともなく、芝生で寝転んで八郎潟干拓地や日本海をゆっくり眺めたいくらいに心地よかった。
3
男鹿半島をしばらく南下すると秋田市に入る。日本海側を南下するルートは市街地には入らず、海沿いの工場地帯を走る。千葉の内房市原辺りの風景のようだ。
秋田市から先はずっと日本海側を走る快適な道路となる。
これは山形県や新潟県でもみたのだが、道路のところどころに駐車場がり、「もしもしピット」なる不思議な名称がつけられている。ここで、携帯電話をしなさいという意味のようだ。それとアイスクリームコーンを売っているお婆さんがもしもしピットの多くの箇所にいる。パラソルの下でじっと座っているお婆さんたちの姿はこのあたりならではの光景で、微笑ましく思えた。
4
ずっとずっと日本海側を南下し、やがて秋田県再西南端付近の象潟(きさかた)という場所に来た。
象潟というくらいだから潟であることは間違えないのだろうが、その歴史的沿革がわからなかった。
写真の場所は、もともと潟という独立した湖沼だったものが、海面隆起により今の状態となったというような説明がされてきたが、なんだかよくわからない。
大きな岩石が海岸沿いその他に連なる様子はそれはそれで奇観である。
5
象潟の写真をもう一枚。
このあと、山形との県境にあった有耶無耶の関という関所の跡を探そうとするのだが、どうしても見つからなかった。その苦闘の様子はブログを参照していただきたい。
6
実に大自然の奔放さを現しているような気分のよい風景である。夕日の名所のようだ。三崎公園という自然を活かした巨大な公園だ。
実はここに有耶無耶の関の跡があるという情報を得たのだが、どうやらみつからかった(見過ごしていたかもしれない)。古の人々がこの辺りで関所を往還していたのだなという詩的な想像だけで十分であろう。
7
象潟や三崎公園の風景というのは海一辺倒ではなく、男鹿半島のときと同じく、反対側の方向に視線をやると、このような雪山が出現する。
有名な鳥海山で複数の山々の総称。標高二千メートルを超える岳もあり、海岸線から近いながらも春スキーが楽しめるという場所である。
新潟と長野が合体してしまったかのような風景だ。
ここも霊峰として名高いのだろう。行者岳のようにいかにも山岳信仰のメッカであることを直接的に表現している山の名前がそれを表している。
8
夕方頃に眠くなったので、新潟県内(山形県内だったか?)のもしもしピットにて、しばし睡眠。目覚めたら空に青みは消えて、夜が天井を彩っていた。
新潟の村上を越えたあたりから雨が降ってきた。どうやら帰宅先の関東も雨のようなので、ゆっくりと帰ることにした。新潟からは関越道で南下し、朝には自宅に戻ることができた。
写真は新潟の日本海東北道のパーキングにて。
青色のデイライト(誤った和製英語だが)は普段は点灯させず、連隊走行を組んだり、写真撮影でアクセントをつけたいときに付ける。オンオフ操作が車内から可能だ。
それにしても本当にタフなクルマで感心してしまう。シートに関しては定評のいい車種だが、現在はレカロシートを装着しているため、なおさら安楽にドライブができる。
1400キロ弱の旅も月曜朝にて終了。
秋田県再訪の際は妻と来て見ようかなと思う。
秋田の歴史散策に付き合ってもらって、私も秋田の名産を食すことに付き合うと(付き合うという言い方は変だな)。宿泊はどこがよいだろうか。
今からそんなふうに未来の再訪を夢見て楽しんでいる。
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