久々の更新です<(_ _)>。
さて巷も夏休みが終わりつつありますね、中には学校がスタートしている所も。
今年の夏は北方面に出かけたかったのですが、ちょっとしたアクシデントで中止になってしまいました。まぁ、その内に行ければ良いかなと思ってます(^-^)。
さてさて今日のネタはいつものカタログネタはお休みして或る所に行ってみました。
実は此処、いつかは行ってみたいと思っていた所で本来ならその時に行く予定ではなかったのですがたまたま横を通過した際に立ち寄ってみました。
それが下の画像です。
この画像を見て、場所が直ぐに分かる方は近隣もしくは同県の方ですかね?(ガスさんはたぶん分かるのではないでしょうか??(●^o^●))
ここは長崎県の旧深江町にある旧大野木場小学校です。
名前を聞いてもピンとこない方も多いと思いますが、普賢岳の火砕流と言えば御解りですかね?
という訳でしばらくは画像の大量貼りで行きます<(_ _)>。
校舎の全体です、大きさからして生徒数100人位の規模ですかね…。
玄関です、中は時が止まったかのようになってます。
ここは職員室だったようです、先生達のロッカーや机が熱で無残に曲がってました。
変わって、ここは理科室かな?床板が火砕流の熱で焼け、土台が剥き出しになってました。少し見難いのですが奥に写ってるガラスも熱で割れたり、ヒビ割れてました。
続いてグランドへ。いちょうの木が見えます。
下の画像にもありますが、この木は火砕流に負けず復活したとの事。生命の力強さを感じます。
イチョウの木の傍に有った案内図です。
火砕流が起こってもう20年以上経つんですね。
ここで私が知ってる限りの普賢岳火砕流の話を。(間違ってたら<(_ _)>)
巷で知られてる普賢岳の火砕流、最も有名なのは1991年6月3日の大火砕流ですかね。
実は普賢岳の噴火はその時に起こったのが初めてではなく遥か昔からあったようです、普賢岳が火山であることは県内の方は皆知っていたのですが、そもそも日本には活火山はあっても外国のように噴火することは殆ど無いので特に爆発のことは気にしてなかったのが本音かもしれません。私の両親がこの近所の出身だったので夏に帰省した時も特に気にすることはなかったとか…。
然し、ある時噴火の予兆?となる出来事が起きます。
確か、1987年の夏だったと思いますが当時帰省した時に地震が頻発してました。普段地震なんて滅多に体験しないのでビックリしたんですが周りの人たちは「また地震か?」てな感じでした。
聞くとここ最近の間、地震が多いとのこと…。
そして暫くして普賢岳の頂上付近から噴火の煙がモクモクと上がってる画像が連日報道されてました、「まさか爆発なんてしないよな…」と思ってたのですが、その時は何事も無く終わりました。
然し1991年頃から活動が活発化し、溶岩ドームの形成と崩落の繰り返し、小規模の火砕流が頻発、そして前述した1991年6月3日の火砕流へと繋がっていきました。
火砕流が起きた時はそれは凄い騒ぎで火砕流が通過した集落はほぼ全焼、この大野木場小学校も火砕流の被害にあいました。たまたま運良く子供達が居なかったから良かったものの、これがもし授業中だったらと思うとゾッとします…。
このことは連日テレビで報道されたので覚えてる方も多いと思います。
島原市や近隣の町には灰が混ざった黒い雨が降り、晴れてても灰が降り注ぎ農作物にもかなりの被害があったらしいです。
そして、この灰は風向きによっては私のいる福岡にも降り、車に灰が薄ら積もったことも…。
あの大火砕流が起きて、約20年経ちますが今でこそ静かに島原市内を見下ろしている普賢岳…。
またあのような惨劇が起こらないこと祈るばかりです<(_ _)>。
次回からはいつものカタログネタに戻る予定です、最後まで読んでいただき有難うございました。
Posted at 2013/08/29 10:14:13 | |
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