2016年04月29日
皆さんこんにちは!
そしてご無沙汰しております。
何か月ぶりか分かりませんが珍しく暇になったので近況報告を兼ねたブログ書きますw
年末から新年度にかけて学校の方が二級整備士の試験に向けて忙しかったため結構バタバタしていました。
12月には母ちゃんに内緒で買ってきたワゴンRを実家に持って帰る途中にオービスを光らせるというアクシデントが起きまして母ちゃんの雷が落ちました←
そんでもって車検取得に向けて腐ったマフラーを変えるときにフランジのボルトを舐めさせてしまい友達に借りたグラインダーでフランジのボルトを切り飛ばしたところ借りたグラインダーの刃を破壊すると同時に切ったボルトの残りが切断の熱で溶着してマフラーが取れなくなりディーラーのお世話になってから軽陸に持ち込んだりワゴンRのことで年末は波乱万丈でした(自爆
1月から3月にかけては学校が毎日20時までになり土曜日も1日学校というきついスケジュールに縛られアルバイトもなかなかできる時間もなく一人暮らしをしながら車を2台維持している自分にはかなり厳しい生活となり貯金も底をつくところまで追いやられました。
それに加えて辛かったのがオービスの罰金・・・
8万円でした(白目
講習代は12960円でした(^^;
なんとか頭悪いながらも受けた二級整備士の試験はガソリン、ジーゼル共に合格し晴れて整備士に♪
学校を2年で卒業する仲間がいながら自分はあと2年学生をして自動車の設計や開発の分野を学びます。
職業についてはまだ未定ですが大型が好きなのと車の部分の中で足回りが一番興味深いのでそっち方面の開発や設計に携われればと思っております。
3月の春休みでは勉強期間中のバイトできなかった分を取り返すようにバイトに打ち込み・・・
キャラバンが手元に来てから3回目の車検を。
しかし車検の日最大の悲劇が・・・・
郵便局で車検の金を下ろしいざ陸自に向かおうとしたらなんと郵便局を出るときにコンクリートブロックをキャラバンの左スライドドアにぶつけるという悲劇が起きてキャラバンが大破しました。。。
あまりに悲惨なので画像は乗せませんが数日後に知り合いの板金屋に入庫予定です。
ドアは板金で修理、エアロは新品に、面倒なことにツートンカラーでストライプテープが入ってるので通常の車より高くつきます。
しかもストライプテープは部分で出ないため左側全部分を買う必要がありました。
これでまた10万近く飛びます・・
そんなこんなで車に関する運に見舞われず金ばっか飛んでいきます。
今回のことをきっかけにキャラバン降りることを考えたんですがローン組んで車買うのもなんか気が重いしワゴンR一台で絞るのも高速で移動が多いので苦しいと思い・・・結局キャラバン直す方向で意思が固まりました(;´・ω・)
セレナは10月に13年目の車検も無事通しまして走行距離も11万キロ超えたもののドラシャのブーツなどの破れもなく年式から来そうなトラブルも今のところ皆無です(^-^)
ワゴンRはヤフオクで4万円で買って車検取得までは波乱万丈だったのにめちゃくちゃ今調子いいですwww
登録してから4000km走破しましたがかなり良い下駄になってます笑
そんなこんなでなんとか生きてます←
あんまり車弄りもしてないので特に乗せるネタもないんですが、また何かあればふっと現れます。
では(^^)ノシ
Posted at 2016/04/29 17:55:20 | |
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日常 | 日記
2014年12月30日
みなさんこんばんは!
今年もあと24時間ほどとなりましたね~
今回のブログ、5月に死去した祖父のことを綴ってみようと思います。
今年一年間を振り返ってみて一番大きな出来事が、大好きだった”祖父の死”でした。
僕が今乗っているキャラバン。
車が大好きだったけど、歳と共に来る衰えから車を乗ることを諦めた祖父から譲り受けたキャラバンです。
1月31日に譲り受けてそれ以来大事に乗っております。
※そのときのフォトギャラリーはこちらです。
しかし僕にキャラバンを譲り受けて数日後、祖父が自宅で転倒。
そのとき祖母が病院に連れて行ったのもの体の異常はなし。
そこから数日後、足のむくみがひどくなったり体に変化が出ていることに気づき再度病院へ。
そこで医者に宣告されたじーちゃんの病状は「肺がん」でした。
今から10か月前にも一度、がんを患い手術にて完全に除去をしていたのですが、そこから月日が経ちまた再発。
入院をすることになりました。
じーちゃんは俺にキャラバンを譲り受けるまでは…って我慢してたのかもしれません。
本当に譲り受けてすぐの出来事でしたから…
病院の見舞いに行くとニコニコしながら歓迎してくれるじーちゃん。
「今日もキャラバン運転してきたよー!相変わらず調子はいいよ~」
なんて言うと「そうか、そうか。だいぶ運転にも慣れてきただろう」
とじーちゃんは笑顔で言いました。
がんを患いながらも見舞いに行けばいつも通りの優しいじーちゃんの姿がそこにはありました。
その姿を見るたびに俺は安心をしてました。
きっとまた元気になって、一緒に出掛けられるんだろうな。って信じきってました。
その後容態はよくなり再び退院。
退院してから家族でお墓参りにも一緒に行きました。
でももうそのときにはじーちゃんの体力はかなり弱っていて駐車場で少し歩いたところで歩けなくなってしまいました。
このとき俺の運転で行ったのですがじーちゃんを乗せて出掛けたのはこれが最初で最後でした。
しかもセレナだったのでキャラバンでどこかに行くって言う約束は叶わなかったのです。
退院できたものの、体力の弱りからかなかなか良い方向に向かわずまた入院してしまうことに。
その後もじーちゃんは入退院を繰返し自分の体と必死に闘っていました。
ある日肺炎も患い、医者には「今夜が山です。覚悟だけはしておいてください」と言われたこともありました。
でもじーちゃんはその肺炎も乗り越えました。
大体の体力が弱ったお年寄りは肺炎にかかると助からないケースが多いと聞きますが、じーちゃんはそれを乗り越えたので家族みんなでじーちゃんの生命力はすごいね!なんて言ってました。
じーちゃんはまた元気になる、俺はそう信じてました。
5月5日
いつも通り家族でお見舞いにいきました。
じーちゃんに声をかけると嬉しそうにニコニコしてるじーちゃん。
何かを俺に言おうと口を動かしています。
しかし連日点滴ばかりの毎日で声が出なくなってしまっていました。
そのため俺はじーちゃんが何と言っているのかが分かりませんでした。
そして、これが俺とじーちゃんの最後の会話になってしまいました。
今でもあのときじーちゃんは何を言おうとしてたのか心残りでたまりません・・・。
5月10日
病院からじーちゃんが意識障害を起こし始めたと一報が。
この日自分はバイトでちょうど出勤しようとしていたときだったので寸前で休ませてくださいと電話を。
最初は許可が下りなかったが事情を説明したら渋々休みをもらえました。
キャラバンに乗って慌てて家族で病院に向かいました。
病院につくといつもはゆっくり寝てるようにしてたじーちゃんが今日は苦しそうに息をしていてすごくもがいてました。
また声をかけても反応がなくこちらのことを分かってくれません。
しかし夕方ごろになると呼吸が少しずつ落ち着いてきました。
少しよくなってきたのかな?そんな風に思っていました。
そして6時頃、少し外出していたばーちゃんが病室に戻ってきました。
そこから本当にすぐです。
まるでばーちゃんを待っていたかのように…
じーちゃんの動きがぴくりと止まりました。
息をしなくなりました。
「じーちゃん?じーちゃん!!」
声をかけても反応がありません。
慌てて看護師さんを呼びました。
看護師さんは「今脈を打っていません。家族の皆さんいっぱい声をかけてあげて下さいませんか?」
そう言われて家族みんなで声をいっぱいかけました。
でもじーちゃんが再び息をすることはありませんでした。
しばらくして看護師さんは「きっと家族に見守られて、後は任せられると安心されたんだと思います。闘病生活にもだいぶ疲れてしまったのかもしれません。」
俺は何が起きてるのか分からなくなった。
「じーちゃん!キャラバンでお出掛けするって約束したよね?ねぇ!!」
そういった瞬間涙が溢れてきて声が出なくなってただ泣くことしか出来なくなりました。
頭の中はいつでも優しかったじーちゃんの笑顔とじーちゃんとのたくさんの思い出が駆け巡りどんどん涙が出てきました。
あんなに声あげて全力で泣いたのは俺自身生まれて初めてだったと思う。
その後、医師の先生が言い放った台詞は「18時26分、ご臨終です。」・・・と。
家族みんなに見守られながら俺のじーちゃんは天国に旅立ちました。
一緒に過ごしてきた18年間数えきれないくらいたくさんお世話になりましたよ。
俺が書道の展覧会で入賞すれば自分のことのように喜んで褒めてくれたじーちゃん、高校時代、部活のことを話せばうんうんと話を聞きながらも体には気を付けろよと心配してくれたじーちゃん、とにかくいつも優しくて孫思いだったことしか思い浮かびません。
じーちゃんが息を引き取ってから少し時間が経った夜の10時ごろ。
じーちゃんはエスティマの寝台車に乗せられて無言の帰宅をしました。
家に帰ってきたのはかなり久々だったと思う。
自分はその日、じーちゃんの元愛車であり自分の今の愛車であるキャラバンをじーちゃんの家に置いて帰りました。
久々に家に帰ってきて久々にキャラバンにも会えてじーちゃんにゆっくりして欲しいと思ったからです。
それから数日。
じーちゃんの通夜が行われました。
葬式では泣いても通夜では泣かないと思っていました。
通夜の途中ではじーちゃんの人生のエピソードみたのが語られるシーンがありました。
じーちゃんの誕生が誕生してからばーちゃんと出会って結婚して・・・親父が生まれて・・・などなど。
エピソードもだんだん最近の話になってきてそこで流れた台詞が
「孫に譲り渡した。キャラバン」
でした。
俺はその台詞がエピソードで流れたとき、急に涙が溢れ出して止まらなくなりました。
絶対泣かないって思ってたのになぜか涙が止まらなくて、通夜が終わっても泣き続けていました。
すると母方の一緒に暮らしてるばーちゃんが背中をポンポンしながら「あんたはしっかりしなきゃね!お兄ちゃんなんだから」と励ましてくれました。
通夜の日の夜ぼーっと考えてました。
俺じーちゃんが生きてる時に何か孝行したことあったかなって。
俺はじーちゃんのことが大好きだったから会える機会があれば積極的に会ってたし、できる限りのことをしてきたつもりだったけどじーちゃんはそれをどう思ってたのかなーとか。
最後に何か孝行らしいことしたいなと思って思いついたことが告別式の日、式の会場から霊柩車で火葬場まで行くときにキャラバンも出して一緒に走らせることでした。
そうすることによってじーちゃんは旅立つときに”人生最後の愛車だったキャラバン”に最期を見送ってもらえると思ったんです。
そのことを葬儀屋さんに伝えて、予定通り告別式の日は霊柩車と、お坊さんの車、身内(母と父)が乗る車の列にキャラバンも交えて火葬場まで向かいました。
火葬の直前、ばーちゃんが泣き崩れたときに少し涙が出ましたが自分の中で気持ちを整理して最期のお見送りができたと思います。
そのときはただじーちゃんにありがとう、ありがとうと感謝の気持ちを心に秘めていました。
亡くなって半年くらいはなかなか身近の人の死って実感がわかないものですよね。
じーちゃんまだ生きてるんじゃないかって本当にそう思っちゃうんです。
祖父の死から早くも半年が経った今ではじーちゃんは亡くなってしまったという実感は湧いてるものの去年の今頃はまだ元気にしてたのになーとかたまに考えてしまいます。
じーちゃんは自らの死をもって俺に「命の尊さ」を俺に教えてくれました。
このブログを読んでる皆さんにも大切な人、失いたくない人はいるかと思いますが、人間も生き物ですからいつ死がやってくるかわかりません。
こうやってブログ書いてる俺だって新年迎える前に死んじゃう可能性だって0ではないですからね(^^;
だから生きてるうちに精一杯感謝をして、孝行をしてあげてくださいね。
亡くなってからでは供養することぐらいしか出来なくなってしまいますから、、、
自分自身も祖父の死以来、命の重さについて再認識させられてより家族を大事にするようになりました。
特に残されたばーちゃんはさみしい思いをしているので実家に帰るついでにこっそりばーちゃんの家に寄ったりしてサプライズしてあげたりして少しでも元気にいてほしい思いで支えています。
あと、俺は形見となってしまったキャラバンを大事にすることが一番の供養だと思っているので大事に長く乗りたいと思っています。

ちょっと重たい内容のブログでしたがまた明日新年迎える前に何か書きたいと思います!
それでは今日はこの辺で!
Posted at 2014/12/30 23:45:31 | |
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2014年04月01日
みなさんこんばんは。
ご無沙汰しております。
最近バイトが多忙だった上にキャラバンを譲ってくれた祖父が危篤に近い状態になってしまったりでバタバタしていて何シテルでぼそっとつぶやく程度の更新しかしておりませんでした。
何シテルに書いたセレナの話はエイプリルフールの冗談なんですが、今日の夕方16:00頃愛車のキャラバンを運転中に事故にあいました。
こちらは冗談ではなく真面目なお話で・・・。
そのときの出来事を今日のブログでは綴りたいと思いますので車を運転される方、お子さんをお持ちの方に少しでも多く目を通していただきたいと思います。
今日はキャラバンの名変を済ませ次第、祖父のお見舞いに行くつもりだったのですが書類に不備があって名変ができませんでした。
そのため名変を今日はあきらめて病院へ向かおうと家を出発して2、3分後。
近所の公園を右手にまっすぐな道を30km/h~40km/hで走っていると、いきなりキャラバンの左後方から「ドォンッ!」って鈍い金属音がした。
一瞬何が起きたのか分からなかったが即座にミラーを見て後ろを振り返ると公園の向かいの駐車場の入口あたりに壊れた自転車だけがそこにあり、一人の子供が公園にダッシュして入っていくのが見えました。
慌てて車のハザードつけて脇に寄せて車を降りてその子供を走って追っかけた。
すると滑り台のところに二人小学生くらいの男の子が二人。
二人を見てみると片方の子は滑り台にすぽっとはまるように体育座りして警戒するような目で僕を見ていました。
すぐわかりました。この子なんだなって。
セレオタ:「怒らないからこっちおいで?」
と言うと男の子は「ごめんなさい・・・」と言いながらこっちへ歩いてきました。
「怪我してないか?」
「大丈夫・・・」
「本当に痛いところない?我慢しちゃだめだよ?」
外見を見ても特に打ったり擦ったような痕跡はありませんでした。
てゆーか完全に動揺してるというか、怯えてるといった感じでした。
他人の車にぶつかったしまった恐怖と悪いことをしてしまったっていう焦りから逃げたのかなって。
するとたまたま衝突のときに対向車でいたピクシスバンに乗ってたおじさんが「大丈夫かい?」って声かけてきました。
「とりあえず男の子は怪我ないみたいです!」と伝えると「今ぶつかるのが見えたんだけど、どう見ても今のは交わせないしお兄さんもそんなスピード出してなかったからこれで不利な扱いされちゃかわいそうだから警察来るまで待ってて目撃者として証人になるよ」と言ってくれました。
この時点で俺も何が起きたんだか分かってなかったんですが男の子の話と、目撃者のおじさん、キャラバンの傷と接触痕から分かったおおよその事故の状況は、駐車場から自転車で出てきた男の子がノーブレーキで車道に出ようとして、たまたま通りがかった俺のキャラバンの左後ろのクオーターに突っ込んだと言うもの。
そのためキャラバンのリアクオーターに線傷が少し。
それも自転車はブレーキが壊れてて止まれなかったんだとか。
当然当たったのも左後方のタイヤハウス付近なので車を運転していた僕の視界には衝突の瞬間というものが入るわけがなく、目撃者のおじさんの存在は大きかったです。
ホントに交わしようがなくて理不尽な事故だったのでおじさんがいてくれたことで本当に助けられました。
そして110番して30分くらい待たされて警察が登場。
さすがに警察も事故の状況見てさすがに、これは避けようがない事故ですね・・・と(汗
そんなわけで事故の云々よりも男の子の怪我とか、どうして突っ込んじゃったのかな?とかそっちを心配してました。
俺はちゃっちゃか事故処理を済ませたんですが、ここで問題発生。
男の子が自分の家の場所と電話番号が分からないと言い出した(*_*)
そんなわけで親御さんと連絡が取れず事故処理もそこから進めなくなってしまいまずは家探しをすることなってしまいました。
じゃーどうしようかと警察も頭を悩ませてました。
そんな事故処理のときに限って懐かしい地元の友達と遭遇してしまう(爆)
通行人もそうだけど相手小さい子で完全に俺悪い人みたいな(汗
結局話が進まなくなっちゃったから警察が俺の事情(じーちゃんのお見舞いに行くこと)を考慮してとりあえず今日はここで終わりにして男の子の身元と保護者様の連絡が取れ次第また後日連絡をもらうって形をとってもらうことにして今日のところは解散という形に。
目撃者として残っててくれたおじさんは「お礼をしたいから連絡を教えてください」っていったら「そんなのいいですよー」ってニコニコしながらピクシスバンの運転席に座ると颯爽といなくなってしまった。
無理してでも聞けばよかったと後悔。
ホントにええ人やったな~。
===数時間後===
家で晩飯の時間だなーなんて思いながら友達とLINEでやり取りしていると警察から連絡が。
無事に保護者様と連絡が取れたこととお子さんも怪我が見当たらないので、このまま物損事故ということで処理してあとはセレオタさんと保護者との話し合いのみで結構ですと。
幸いキャラバンも薄いキズで帰宅して方コンパウンドかけたら消えたので保険屋も通す必要無かったので俺としても無問題!
でもどっちみち傷に関しては相手が子供なので俺がどうにかするつもりでした。
警察からの電話が終わるとすぐに保護者のお母さんから連絡が。
もしモンスターペアレントとかで「うちの息子に何するんですか」とか言われたらどうしようとか思ってたけど予想に反して相手のお母さんは泣きながら謝罪されて逆にびっくりしてしまました(´・ω・`)
直接謝罪をしたいのでご都合の宜しい時間を教えてくれって言われたのですが男の子もかなり反省した様子だったので結構ですと断りました。
でもお母さんのご希望で「息子がしてしまったことの重大さを分からせたい」と言うので日を改めてお会いすることになりました。
それと僕からで「あともう一つ、それも大事なことですがお母様から息子さんに正しい自転車の乗り方を教えてあげてください」と伝えました。
今回は無傷で済みましたが、あと俺が1秒でも遅く通過してれば撥ね飛ばして殺しちゃってた可能性があります。
逆にあと一秒早ければ当たらなかったかもしれないけどそれはそれで、今度は目撃者のおじさんとぶつかってただろうな・・・。
もしああなってたら、こうなってたらと色々なリスクを考えると今でもゾッとします。
しかも最終的に分かったことはブレーキが壊れてた自転車は友達のを借りてたと。
男の子がブレーキが壊れてるのを知ってて乗ってたのか、知らなかったのかは分かりませんが「自転車に乗るときは乗る前にちゃんと走って止まるか点検してから乗るように教えてあげてください」ということも伝えました。
とにかくうまくは言えないんですが、せっかく危険な目に遭って救われた命だからこれを教訓に二度と同じことをしてほしくないって僕は言いたいんです。
だから僕が男の子に直接言ったことは「悪いことをしちゃったら逃げないで素直にごめんなさいって言うんだよ。」っていうことがまず一つ。
あと「道路に出る時は必ず一回止まるんだよ?」っていうことも。
あとはお母さんが自分の息子さんに今回の出来事をどう受け止めさせるかですね。
最後に、このブログの結論として言いたいことは、車を運転される皆様!
公園や学校付近など子供の多いところ!
子供は突発で行動することが多いのでいつ何をするか分かりません!
教習所で習う話ですがそういった場所での車の運転は徐行するとか、よく周囲を見るとかして本当にお気を付けください!
そしてお子さんがいるご家庭の方々!
交通事故で子供を亡くすなんて結末、絶対嫌ですよね?
正しい自転車の乗り方、教えてあげてください。
そしてまずは自分たちが車、自転車の運転を正しくすることが大前提です!!
いい年こいた大人でも自転車の運転で逆走や、傘差し運転、イヤホンで音楽を聴きながら運転、ケータイをいじりながらの運転してる人って多くないですか?
みんカラユーザーの中にも一人はいるはずです。
自分たちから正しい交通ルールを身につけていって子供たちに教えてあげるべきではないでしょうか!!
しかし当たり前のことをするって結構難しいことだと思います。
実際それができない人が多いから交通事故もあとを絶たないわけで・・・
でも意識の仕方次第で変わるんじゃないですか!?
みんなが破ってるし、やってるから大丈夫じゃなくて、みんなはやってるけど本当はこれが正しいんだ!って自信もって行動することでそれを見た周りの意識も変わるのでは!?
長々と書きましたが今回の事故は相手の子供も怪我もしなかったしキャラバンも傷が残ることもなく不幸中の幸いだったと思います。
できればこれを読んだ方々みんカラ上でも、他のSNSでも拡散してもらって一人でも多くの方に読んでいただいて気を付けていただきたいと思います。
楽しく安全なカーライフを送るためにも!!
Posted at 2014/04/01 22:44:04 | |
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事故 | 日記