セリカ以前の12台の自己所有車をまとめて紹介します。
初めて車を買ったのは、昭和52年モデルで俗にいう丸目ジャパン4ドアM/Tでした。
この車は運転免許を取得してすぐに親戚の車屋さんで当時まだ一般でなかったオークションで仕入れ(たしか、6年落ちで外見ボロボロのクロメタ)でしたがサービス(親戚だからでしょう)で見える所だけガンメタに塗装と195/70サイズをはいたロンシャンを付けてもらいました。
自分でカーステ(ロンサムカーボーイだったかな?懐かしい)付けたりして、当時は若葉マーク君でしたから、カーステ取り付けでも友人何人かと大騒ぎで取り付けた記憶があります。
初めての車でしたのでとても思い出深い車です。
次に車の販売会社に就職した後に新車でローン(社内ローン、金利0)を組んでダイハツのデトマソターボ 白/黒ツートンを新車で購入しました。(この以降しばらく自動車販売会社に勤務していたので車種の偏りが有ります)
仕事上、車知識や構造知識を得る事が出来ましたので、これからの車生活の基礎が出来た頃です。
当時社内販売で購入したKTCのツールキットをまだまた現役で使っています。当時相当な高額に思えましたが、今となっては安い買物でした。
1ℓ3気筒の小排気量ターボでしたが、とても面白かった記憶があります。
キャブターボでしたので簡単にいろいろといじれました。当時ご近所に有った藤壺技研のモニターになって試作品(型取り用)を入れたりしてちょこっといじって楽しんでました。
ダイハツのミラを通勤用、営業用で3台くらい乗り継ぎました。
L55Vミラ銀黒パンダ色(ボンネットとリアハッチ、が黒)とL70Vミラ白,L70VターボXXガンメタも乗りました。
ターボ車も速くて静かで良かったのですが、当時お金は無いのですが、知識と設備を使えましたので、特に古いミラL55V(ただでもらいました)のノンタボ OHC2気筒をエンジン降ろしてOHしてコンロッドやピストンの重量合わせやバリ取りや磨き、5速ミッションへ交換など、非力ながら8000rpmまで回して楽しんでました。リアバネなんかリジットリーフ(軽トラなどと同じ)ですよ。これも加工して枚数増やしてちょっとした段差でもポンポン跳ねてました。
タイヤ交換なんかも自分でやりましたしね。
今思うと1番手を掛けた車だったかも知れません。
とはいえ、当時の保土ヶ谷バイパス(お金がかかるので第3京浜はめったに使いません)で「ぬあえkm/h」程度でした。
いじり過ぎてピストン溶けて廃車です。
L70VTurbo(購入価格は結構高かった、1年落ちで50諭吉位だったかな)は基本ノーマルでしたが速かったですね。
足回りなども純正部品でしたが、ノンタとは別物でしっかりとしていました。
直線では純正メーターを完全にぶっちぎっていましたので他車並走メーター計測で「ぬおわkm/h」出てました。
こちらは、2年くらい乗って同僚に譲りました。
L70Vノンタボ A/T(ただみたいな値段で手に入れたと思う)を通勤で使っていました。この頃から軽にもA/Tが多く出はじめた頃ですかね、以前のL55Vと比べて静かでパワーも多少有りますが、有る意味つまらない車でした。
このクルマはどうしたか覚えてません、たぶん同僚にただであげたと思います。
上記と同じ頃ですが、ダイハツのコンパーノ・ベルリーナ(昭和39年生まれの800ccセダン、名前が綺麗ですね。設計者はベルトーネ)をお客さまから譲り受けました。当時で26年ほど前の車でしかもマイナーな車だったので、信号待ちなどでとにかく注目をあびる車でした。
電装系が弱く、きつめの雨が降ると走行中にすぐにデスビ内に水が浸入してエンジン止まったりするので対策したり、あっちこっち配線引き直しで修理や対策しました。
有鉛のガソリンを使わなくてはいけなかったのと満タンにすると車内がガソリンくさかったのが最後まで対策出来ませんでした。
車検で部品(金物は作ってしまえば良いのですが、燃料タンク類やブッシュ類、タイロッドエンドなどのゴムが溶けてました、また、ディラー勤務だったので合法的な手段しか選べず)が集らず(メーカーはもちろん一年近く北海道から沖縄までのデーラーや、有力販売店に問合せましたが、部品が見つからず)に廃車(無料)となりました。
ちなみに横浜ナンバーじゃなくて 神(神奈川)ナンバーでした。廃車時陸事の職員も神戸ナンバーと間違えたくらいです。
当時で神奈川県内で「神ナンバー」が5台残っていると陸事の職員が教えてくれました。「横浜5」のナンバーはたまに見かけますけど、後にも先にもこれ以降「神ナンバー」は見た事がありません。
私が廃車したのであと4台となってしまったのですが、今(平成22年)でも存在しているのでしょうか?
「神を手にした男」なんて社内で茶化されてましたけど、
その後の車貧乏生活(貧乏なのは車のせいじゃないですよね)からみると「貧乏神」だったのかしら?
ホンダのZ(水中眼鏡 360cc)赤M/Tを手に入れて外装や電気周りを軽くレストアして乗っていました。
GOLF Ⅰ 1500ディーゼルM/T この車も珍車です。
当時のゴルフのディーゼルはとにかく力が無い! 立体駐車場の坂道で傾斜がきついとマニュアルの1速でも上れない事が有りました。
車検が無くなった後もしばらく物置として実家に置いて置きましたが、邪魔だと言う事で解体屋に出されました。
U12 ブルーバードSSSアテーサ M/T 黒 1800cc ツインカム16V 当時以前は日産が好んでツインカムの名称を使い、トヨタはDOHCでしたね。
GT-Rの元になったアテーサシステムのスポーツ4駆でした。
平成平成2年 トヨタのランドクルーザープラドを新車で購入しました。
すんげー無理してローンを組んだ記憶があります。
当時の趣味はスキーでした。
この車は次のUSワゴンの下取りでになりました。
ランクルに乗っている頃に転職しました。
平成7年 USホンダ アコードUSワゴンVi2.2 緑メタ A/T (逆輸入車でした)
大きなワゴンボデイの割りには燃費が良かった。
足回りは4輪ダブルウイッシュボーンでした。
市街地でl=10~12kmでした。
この車は後のゴルフの下取りでVWにドナドナされました。
USワゴンに乗っていた頃に結婚しました。
マツダのキャロル 平成6年式 ノンタボ A/T 紺色 キャンバストップを営業車で乗ってました。
パワーなんぞまったく無く、ハンドリングもふにゃふにゃの車でしたが、屋根が開くというのはそれだけで気持ちが良いですな。
メインがゴルフで営業車として使っておりましたが、車検が切れたのを期に解体業者へ出されました。
以上この頃までデジカメを持っていなかったので写真がありません。
この文章を書くにあたって、色々な事を思い出しました。
バイクもそうですが、車歴が自分の人生の記録みたいに思い出されます。