ふとした事からフォードGT(世に言うGT40の方)を眺め、やっぱかっけ〜〜!!と悶絶。

写真はMKⅠ
何でややこしい書き方をしたかと言うと、フォード自体は「40」と名付けた事は無く、取材陣が車高40インチしかないこの車両を見て「40」を付け足したからです。→
Wikipedia参照
開発をシェルビーに託してル・マン'66〜67を連覇したMKⅡ

オリジナルのデスストックが日本に1台あるんですよね・・・
http://www.shelbyjapan.co.jp/SHOP/FAVJ-01.html
7000万
・
・
・
買
え
ね
ぇ
よ
! !
憧れるのは、レース終了後に自走して帰って行った事。
これぞ「GT」!!
この辺りの年代に詳しい人とも話をよくするけど、「フォードGT40が公道も走れる最後のレーシングカー」であったと。
最近はこの『GT』という文字を勘違いしている様な気もする。
いや、遥か以前からか・・・
特に思うのはスーパーGT・・・
「GT」とはグランドツアー (grand tour) 、グランドツーリング (grand touring) 、グランツーリスモ(イタリア語 gran turismo)、グランドツアラー (grand tourer) などの略。原義は「大旅行」※wikipediaより
車に対してはそれだけの長時間運転もできる快適性を持つ車に与えられた「称号」であり、競技を目的とする車両にはさらに「R」が与えられていた。
この事からスーパーGTを直訳すると「超越した大旅行」となる訳で、1000km耐久とか24h耐久の競技なら理解できるけど300kmでは「大旅行」じゃなくね?
以前の「GTカー選手権」や「シルエット・フォーミュラ」ならまだ違和感無く納得できるけど・・・
と、屁理屈は置いといて・・・
フォードGTなみに好きな車としてランボルギーニ・ミウラ&イオタがあります。
先に記したフォードGT好きな御仁に「フォードGTってミウラ・オマージュだよね?」と言われ、はっと思いました。
各パーツの形状が違い過ぎる為に気が付かなかったけど、シルエットが瓜二つですよ、これ!!
しかし、個人的にはフォードGTの方が好み・・・
そこで調べてみたら、ミウラのデザインした人は
マルチェロ・ガンディーニ
wikipediaの一文から
「ベルトーネでの彼の最初の作品はランボルギーニ・ミウラでは、前任者ジウジアーロの代表作、シボレー・コルヴェア・テスチュード(1963年)、イソ・グリフォ・クーペ(1963年)、フィアット850スパイダー(1965年)などの特徴を融合、またフォード・GT40(1964年)やディーノ・206/246(1965年)など時代のスポーツカーの部分的エッセンスを巧みに取り入れ注目を集めた。」
と、あるではないですか・・・!?
フォードGTはローラMK6GTをベースに開発開始

ローラMK6GT 確かに面影がある!!(笑)
1964年のニュルブルクリンク1000kmがデビュー戦。
これに対しミウラは1965年11月にトリノで開催されたトリノ・オートショーにシャーシとエンジンのみの試作モデルが展示され、1966年3月ジュネーヴ・モーターショーにボディを乗せたミウラが登場した事から、明確にミウラがフォードGTオマージュなんですね・・・
しかし、フォードGTの凄さは外見だけでもない。
元々フォードは60年代にフェラーリを買収する事にほぼ合意をしていた。
余計な一言・・・
余計な野心を出さなければ。
それはエンツォ・フェラーリにレース活動の権限すら奪う要求をした事。
エンツォ・フェラーリはレースをする為にスクーデリア・フェラーリを設立し、ほぼレーシングカーな車両を売ってレース活動をしていた、そんな人にですよ!!(苦笑)
交渉決裂してから「打倒・フェラーリ」として開発に着手し、体制もシェルビーに変え、遂に1966年にその快挙を成遂げたのです。
以後、4連覇と言う偉業をはたした訳で。
エンツォ・フェラーリも波瀾万丈な人生だったけど、その話は気が向いた時に(笑)
そんな訳でフォード「GT」は、かっけ〜〜!!って事です。
そうそう、大佐とプチオフってZelda号の犠牲者になってもらいますた(笑)
まだ純正の脚よりも乗り心地が悪いと・・・orz
別れた後に黄色いカウンタックとすれ違ったから、ま、良いっか。
Posted at 2012/02/05 22:56:02 | |
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