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がまん君のブログ一覧

2011年07月10日 イイね!

復活への道 4

復活への道 4










カウパーマシンのヘッドは知らないうちに某所へ旅立っていました。。

ぴかぴかポートに燃焼室はヘミサークル形状に仕上げてあるようです。

あと1週間もすればガイド打替えその他もろもろを行なって帰ってくる予定だとか。

で、先に面研から帰ってきていたブロック~

本日、箱から引っ張りだして「よっこらしょっ!」と洗浄台へ~

ちょっとだけ作業が進んでおります。

ヘッドが帰ってくれば急ピッチで進みそう(笑)

その前に ラジエター掃除・塗装、ハーネス交換、その他いろいろ・・

自分で出来るところからやっておかないと(汗…)

Posted at 2011/07/10 23:19:27 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2011年07月10日 イイね!

手作り感満載の!?

手作り感満載の!?









しょっぷの常連さんでは最年少?のYくん

彼のましーんは しょっぷの機材を借りながら?ほぼDAYで

しんぐるたーびんに交換中==

大学では自動車部に在籍していた彼は、今の若いもんには珍しく

ほぼプライベーターであらゆる作業をこなす感心感心!?な好青年なんです。。

ほんとはビ○○ウで工賃が払えないという裏事情もあるようですが(笑)

で本日、彼が優しい先輩方のチカラを借りながら作成したフロントパイプ!!

溶接痕なんか手作り感満載でステキです^^

完成まであとチョット!? 期待してまっせ(笑)
Posted at 2011/07/10 23:07:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年06月24日 イイね!

ゲーリー・A・光永 ④

ゲーリー・A・光永 ④TiPo 92年9月号コラムより 続き・・・















同じ排気量から700馬力とそれを保障する信頼性を得ようとするなら結果的には、
それはフェラーリV型12気筒エンジンより数倍高価な代物になる。
頑丈で精密な、土台に、超高精度な部品を載せ、しかるべく締めて固定することに
よって、ロッシはそれを行う。

「ゲーリー、ユーのエンジンが今日回ったよ。680馬力出た。680馬力だ。
パンテーラに載せれば時速200マイルは俺が保障しよう」

国際電話の声が踊っていた。

光永は本物の700馬力をこうしてその手にしたのである。


時速307.69キロの伝説

1981年11月17日、光永のパンテーラはJARI(日本自動車研究所)
高速集回路で最高速度記録に挑んだ。ある雑誌の企画である。それは誰も公認しない
記録への挑戦だった。ステアリングを握るのは元日産ワークスドライバー高橋国光。
一対の光電管式速度測定器が置かれた400メートルの区間を、パンテーラは
閃光のように駆け抜けていった。
時速307・69キロ。

その日エンジンは不調だったという。「600馬力って本には書いといてくれよ」光永は嬉しさを
隠さずに僕にそういってはにかんでみせた。
だが直線があと1キロあれば光永のパンテーラはおそらくその日に時速322キロ=200マイル
に到達していた事だろう。
光永とパンテーラにとって、当日は完成試走のようなものだった。
次のステップは東名である。東名を走りセッティングを煮詰め、翌年の
春にはもう一度テストコース上で時速200マイルに挑む・・・。
それが光永の心に描かれていた計画の第二段階だった事だろう。マシンは
ついに完成した。試走で実力の片鱗を見た。次は俺が乗って楽しむ番だ・・・・
そう思っていたことだろう。

12日後、11月28日の夜、僕は光永と夕食を共にし、翌日、日曜に予定していた雑誌の
取材・撮影の打ち合わせをした。光永のパンテーラの存在が公になるのは、その記事が
最初になるはずだった。
公認だろうが非公認だろうが、その記録をだした車がナンバープレートをつけた世界最速
のスポーツカーであることに変わりは無い。打ち合わせを終えて外に出るとパンテーラが
そこにいた。猛獣は美しかった。
光永と彼の友人のメカニックの2年半に及ぶ努力によって、700馬力を収めるエンジンルームは
もちろんのこと、足回りや内装、イタリアンレッドの外装に至るまで完璧にしたれられた宝石の
ように輝いていた。

「乗れよ」光永は容赦なく踏んだ。700馬力に鞭が入ると、それはスタートしてから5秒もかからずに
120キロに達し、さらに豪然と加速し続けた。
それまでに体験してきたいかなる物事も、その加速の前では単なる子供騙しだと思った。

「じゃ明日」
青山通りで僕をクルマから降ろすと、光永はそう言ってパンテーラ
と共に走り去り、そして二度と戻ってこなかった。

午前1時40分過ぎ、家路に向かう途中の目黒区目黒通り・大鳥神社交差点の金毘羅坂で、
光永の運転するパンテーラは突如コントロールを失い、目黒学園前の歩道橋脇に激突した。

パンテーラは衝撃でくの字に折れ、一瞬にして光永の命を奪った。写真も残してはくれなかったのだ。光永はそのすべてを手にたずさえて逝ってしまった。

「日本人ってのは、どうしてあんなクズみたいなエンジンを喜んで買っていくんだ?」

アメリカのさる有名なレーシングメカニックはそう言う。

「日本てのはゴミ溜めみたいなもんだな。しかし・・・」

ブルーの眼がいっとき遠くを見つめるように細くなる。

「・・・そういえば1基だけスゲエのが行ってるな。ロッシの親父が組んだやつだよ。

あの男・・・なんて名前だっけな・・・」

「ゲーリー・アラン・ミツナガ。げーリ・アラン・ミツナガ」

「ゲーリー。そう。日本でも有名なのか?つまりなんていうかその、あの男の話はこっちの
仲間内じゃ、要するに伝説みたいなもんなのさ。達者でやっているのかい?」
 
あれからもう11年もたってしまった。・・・・


チューニングのチの字も理解していなかった当時、すごい衝撃を受けました。
学生の頃H元年~ OPの最高速の殿堂にあった不滅の大記録・・
なんで チューニングではメジャーでないアメリカンV8がこんな記録を・・
ずっと 疑問に思っていました。
そのチューニング内容、スピードに賭けたオーナーの情熱を 後年知り・・・ 
目頭がちょっとだけ熱くなったのでした。
Posted at 2011/06/24 22:19:56 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2011年06月23日 イイね!

ゲーリー・A・光永 ③

ゲーリー・A・光永 ③

TiPo 92年9月号コラムより 続き・・









光永が8本のコンロッドと重いクランクシャフトをたずさえて、再びマリオ・ロッシの
所に戻ったのは半年後の事である。
ロッシは光永が床に置いたパーツを見て目を丸くして驚いた。
「本当に買ってきたのか?あのハンクのクソ親父が本当にシャフトを売ったのか?」

光永はうなずいた。「お前が気に入ったよ。作ってやる。お前が今まで見たこと
も無いようなV8を一基、組んでやる。本物の700馬力がどういうエンジンか
見せてやろう」

ロッシは、アメリカンV8チューンの要点は第一に素材と素性第二にバランス、第三に組み立て、
そして最後に仕様=スペックだと主張している。
ロッシが使うのはシボレーが70年に発売した「454CID」V8である。市販車用のLS1から
マッスルカー用のLS5、最強のLS5の出力が430馬力だ。だがシボレーはその上にLS6、
LS7という特別製のエンジンを用意していた。レース用だ。

1~5のねずみ鋳鉄製ではなく、鉄に炭素、ニッケル、クローム、モリブデンなどを配合した
高力合金鋳鉄製である。
LS7の価格はLS5の五倍以上もする。だがロッシにとっては素材に過ぎない。LS7を入手すると、
ロッシはパーツを分解し、エンジン本体、ブロックを野外に半年放置しておく。

鋳鉄には溶けた鉄が冷えて固まるときのひずみが鋳造後も残っている。残留応力という。
それを残したままエンジンを組んでしまうということはひずみがすこしずつ抜けていくのにしたがって
、エンジンがゆがんでいくのを許すのとおんなじだ。
ブロックがゆがめば、エンジンは壊れる。だから放置して応力が抜けるのを待つのだ。

こうして「枯れた」ブロックを精密に機械加工して寸法を整え低圧縮化低バルブ開度のパーツを
組み付けて低出力のエンジンに仕立て、適当なクルマ(自分のステーションワゴン、友達の
ピックアップ版etc)に載せて、1万キロほど走らせる。
死んでいたブロックに熱が加わり、水が流れ、新たな応力が与えられるのだ。
いくら精密に加工してあっても、ここで素材の欠陥を暴露するエンジンは多い。

中には目に見えないような細かいヒビを発生するブロックもある。エンジンを分解すると、
そうした欠陥を電磁探傷法や超音波検査法、浸透探傷法などのテストで選別し、
素性のランクをつけていく。光永が手にしたのは三番目の等級Cブロックと名付けられたランクだった。

Aブロックは3000馬力級のホットロッド用エンジンのベースになる。

Bブロックは主に800馬力級のやはりホットロッド用。CランクはNASCARストックカー用だから、
要するに700馬力の目標値に対しては十分以上だった。

もう一度機械加工を行った後、ブロックの内側を入念に研磨する。これも応力を一ヶ所に
集中させないための工夫だ。組み立てには超一流のパーツしか使わない。
作動パーツはすべて鍛造、一つずつ機械加工、熱処理か表面加工処理を施し、バランス取りを
してあるレース用パーツだ。カレロのコンロッド、ハンク・ザ・クランクのクランクはよく名の知れた
超一流品である。
価格は、チューニングショップ製や大手メーカー製のチューニングパーツのおおむね10倍から20倍
になる。組み付け自体にもテクニックがある。ボルト締め付けトルク次第で軽く20~50馬力の差が
出るという。それはチューナーの秘中のノウハウだ。

巨大なV8は、何も意識せず気楽に作って気楽に組んでも大トルク、大パワーを出す。アメリカンV8が
尊敬と同時に軽蔑も一手に集めているのはそのためだろう。

しかしそこからさらに100馬力を引き出して同等の信頼性を与えようとすれば
その途方もない大きさと重さが障害となって立ちはだかる。200馬力プラスならば高度な
ノウハウと内燃機関。材料工学に対する経験と知識が必要だ。

7・4リッターのV8から300馬力を出す事は造作もないことだ。

続く・・・
Posted at 2011/06/23 23:01:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年06月23日 イイね!

ゲーリー・A・光永 ②

ゲーリー・A・光永 ②








TiPo 92年9月号より 続き・・

公道上で200マイル。東名を走るうちに芽生えた途方もない夢である。
だがパンテーラの5・7リッター350馬力では力不足だった。光永の
計算ではパンテーラを時速200マイルで走らせるには700馬力の
パワーが必要だった。シボレー製7リッター級V8をさらにチューニングした
エンジンにそっくり交換することによって光永はそれを得ようと考えたのである。

アメリカで最高のコンロッドとクランクシャフト

 「700馬力のV8」を作るのは、アメリカに星の数ほどあるV8チューニング
ショップに依頼すればじつに「簡単」な事である。そいつはこんな具合だ。

「シボレーのビッグV8から700馬力だって?俺にまかせとけって。エンジンを
一度バラして」ブループリント(部品のバランス取り)して、メーカー純正の
レース用ヘッドをつけて圧縮比を11.5にする。○○のカムと△△のコンロッド
××のピストンを使ってああしてこうすりゃあ・・・ま、ざっと700馬力は
いっちまうだろうな。そいつをパンテーラに載っけて時速200マイルで
フリーウェイをぶっ飛ばすって!?ユーは気でも狂ってるのかい。そんなこと
したらポリスに首をぶち抜かれる前に背中のエンジンが木っ端微塵に吹っ飛んじまう」

巨大なアメリカンV8は、2000回転程度の低い回転数でもすさまじい力を放ちわずか
5000回転で最高出力をだす。瞬発力、加速力では敵無しだ。
ところが最高速度に近い速度を出してもものの数分も走ると、エンジンオイルの温度が
急上昇し、油圧が低下してしまう傾向がある。それに気がつかないで(アメリカ車には
たいてい油温計、油圧計が無い)アクセルペダルをふみつづけていれば、エンジンの軸受け、
クランクシャフトのメインベアリングの焼損という重大なトラブルに陥る。

大きな排気量は大きな力を生む。その大きさと重さが連続負荷高回転の
運転では己の首を絞める。
並みのチューナーでは駄目なのだ。並みのパーツでも駄目なのだ。
レース用の、本物の特別製の700馬力V8でなければ。光永はその
結論をたずさえてマリオ・ロッシの工場に行き着いたのだった。
だがロッシは、はるばる日本からやってきた光永をケンもホロロに追い返す。

「公道を200マイルで走る?ここは精神分析医じゃないいんだぞ」

アメリカには日本の何倍もに及ぶありとあらゆる分野のスーパー
スペシャリストというべき人種がいる。が、烏合の衆たる無知なる大量の
衆の数も日本の10倍だ。プロはごく自然に排他的になる。クルマの世界も
同じだ。つい最近まで、全米最大のカーレース「インディアナポリス500マイル」では
パドックの中に女性を決して踏み入れさせなかった。ロッシの対応も当然の事だろう。

その日から光永はロッシのガレージの前で寝起きするようになる。
簡単に作ってもらえるなどと最初から考えていない。ロッシが再び声をかけて
くれたのは4日目の朝の事だという。

「お前、何処から来たんだ」「日本」「英語達者だな」「ハワイで生まれた」

「そんなにエンジンが欲しいのか」「パンテーラで時速200マイルだしたい」

「トーランスにカレロという奴が住んでいる。アメリカで最高のコンロッドを
作る男だ。ハンティントン・ビーチのハンク・ザ・クランクを知っているか?
アメリカ最高のクランクシャフトはあそこにしかない。俺はその二つがそろわないとエンジンは作らない」

「今すぐ行って買ってくる」

「OK。待ってるよ」

光永はきびすを返してクルマに乗り込み、500キロ離れたトーランスに向かった。
カレロは古い倉庫の一角を間借りしてコンロッドを作っていた。

「ロッシの紹介?聞いてない。お前に売るコンロッドはない。どこかそこらの
ショップにでもいけ。コンロッドなんか何処にでも転がっているだろう」

ハンティントン・ビーチのハンク・ザ・クランクは光永に会ってもくれなかった。
何度訪ねてもぴしゃりと閉じられた入り口のシャッターは1インチも開かなかった。

続く・・
Posted at 2011/06/23 21:23:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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