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ほんにゃらのブログ一覧

2023年03月21日 イイね!

12年目の3.11

2011年3月11日金曜日、宮城県多賀城市の事務所で3分以上もの地震の揺れとその後の津波に遭遇しました。

宮城県沿岸に『大津波警報』が出た後、『10mを越える津波が襲う』との報せを受けて、その建物の5Fへ避難。

後は周知の津波被害で有り斯くの如し……

強いて最近メディアで忌避される津波そのものの情景として、
避難した場所の眼前に片側2車線で5車線ある道路に停電もあって大渋滞で動けなくなった車がびっしり並んでたんですが、
海側から津波が上がって様々な建物や障害にぶつかり、有り得ないくらいの土煙をあげてどんどん迫ってくるんですね。

やがて『加熱したフライパンに乗せたバター』のような津波の一波が道路を塞ぐ。
その時点で多分、津波の高さは大人のくるぶしより下だったと記憶してる。
多くの運転手が車を捨て建物に昇ったのはこの頃……
1-2分して誰かが『大きいのが来るぞー!』って叫んだ後、50mくらい先の3階建ての工場に当たって15m以上高く上がった波が見えて……
後はこの世で見ることがあるのかと頭が狂うくらいの悲劇、、

最初は勢いの良い津波の音と街を壊していく音が混じって、
並の勢いが弱まると今度は建物や車が機能不全になって行く音がして、
そして大きな引き波の音、

その合間を縫って『助けてーー』と言う声があちこちから聞こえるんだけど、、
あの激流に為す術は無くなっていく。

そして夜、停電で真っ暗。
真っ暗な中に零下の中で津波に身体が浸かって体温が奪われた人たちの『助けて』の声がか細くなって、やがて聞こえなくなっていく。


当日私が通勤に使用したChevrolet・EXPRESSは仙台・塩釜産業道路近くの平面駐車場に停めていたことで150m以上流され、潰され、燃えて、剥き出しの鉄骨の状態で廃棄。

あれから12年…干支一巡り。

一個人としてできることをしようと宮城県内だけではありますが、
山元町・大地の塔から気仙沼市・祈りの帆(セイル)に至るまで15の市町の18箇所の慰霊碑や献花台で手を合わせて来ました。

12年経つと東日本大震災関係の慰霊碑・慰霊施設のある場所はどんな車でも行けますが、
整備されていない時期だと砂埃や泥に塗れるならまだマシで、
道路は凸凹だし、地盤沈下と地形変化で潮水に浸かったり、色んな臭いは染み付くし、自慢の愛車を持つ人が行くような場所じゃなかったね。

宮城で活動するのに1日も早く車が必要だと四の五の言わずにベンツのVクラス買ったんですよ。

悠長にアルファードやヴェルファイアやエルグランドをパーツを選択して購入するんじゃなく、
ベンツで在庫があって“マッハで納車出来る”と言う理由で購入しました。

何しろその時、ベンツの営業マンが津波で自宅が流され避難所から毎日通勤する被災者だったので、事情の汲み方が早く、2回の商談も旗から見ればモノを売り買いするというよりは喧嘩腰の遣り取り。

納車したVクラスも即日座席外して災害ゴミをパンパンに積んで集積場に運び出す日々。


あれからもう12年・干支一巡りですよ。

2023年3月11日土曜日、
『東日本大震災慰霊追悼巡礼の旅』と称して宮城県沿岸15市町村慰霊碑・献花台を巡りました。



山元町旧山下駅跡『大地の塔』、
亘理町鳥の海公園『鎮魂の碑』、
岩沼市千年希望の丘相野釜公園『岩沼市慰霊碑』、
名取市震災メモリアル公園『名取市東日本大震災慰霊碑』、
仙台市荒浜『東日本大震災慰霊之塔』、



⇨仙台市宮城野体育館『仙台市追悼式献花台』、
多賀城市『震災モニュメント』、
七ヶ浜町公園墓地・蓮沼苑『七ヶ浜町東日本大震災慰霊碑』、
塩竈市千賀の浦緑地公園『塩釜市震災モニュメント』、
利府町グランディ21『東日本大震災追悼献花台』、
松島町五大堂『東日本大震災慰霊祈念碑』、
東松島市震災メモリアル公園『東松島市追悼祈念碑』、
石巻市南浜震災復興祈念公園『石巻市慰霊碑』、
女川町役場『東日本大震災慰霊碑』、
南三陸町復興祈念公園『祈りの丘』、
⇨ベイサイドアリーナ『追悼献花場』、
気仙沼市中央公民館『追悼と防災のつどい献花台』、
⇨震災復興祈念公園『祈りの帆(セイル)』、



18箇所の追悼施設慰霊碑や献花台を廻り個人で追悼しました。

過ぎ行く過去にて昔の思い出に浸りて追悼す、合掌。
Posted at 2023/03/21 01:23:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災
2012年10月28日 イイね!

1年8ヶ月が経とうとしているんだね。

平成23(2011)年3月11日14時46分。

段々、記憶が薄らぐモノはありますが、仙台市中心部から約10kmで仙台港から約2kmにいた私は仕事中に激しい揺れに襲われました。

のちに3分間揺れていたって聞きましたが、震度6強の中、とてもそんな短い揺れに感じず、感覚では30分くらい揺れていた様に感じました。

地震後、屋外避難したら
「大津波警報が発令されたので高台へ避難せよ」
の防災行政無線。

内陸2kmに居たので津波に懐疑的になりながら、近くの6階建の工場施設の4階へ避難。

そして…ひたひたと津波が忍び寄り、時間にしてどの程度か解らないけど、程無く、猛烈なドス黒い水が四方八方から流れ出て、近くの産業道路で渋滞したまま動けなくなった車を押し流して行きました。

車に閉じ込められたまま、必死でドアや窓をこじ開けようとした人が車ごと流される姿を沢山見ました。

押し波と引き波が収まり、残り水が漂い、小雪が舞う夕方、流された車から聞こえる助けを求める声。

その声が夜も更けるに従い、うめき声のようになって、やがて沙汰止みになる。

翌日、津波はある程度、引いたものの、多数の水死体が眼に飛び込んで来ました。

避難した施設から帰宅するのに膝まで水に浸かりましたが、あの冷たさは尋常では無かったです。

街は建物の原型は留めていても3m近い津波だった事でどの建物も1階は滅茶苦茶にやられていました。

道路には水死体がプカリプカリと浮き、一体、一体を消防や自衛隊が丁寧に運んでいました。

道路の角では自動車が幾重にも折り重なり、その中、あるセレナのスライドドアを消防が重機を使い、こじ開けたら、車内に溜まっていた津波が勢いよく落ちて、中から幼い赤ちゃんを含む3人の子供とお母さんと見られる女性、そしてお爺ちゃんとお婆ちゃんの6人の遺体が流れ出て地面に折り重なった姿は記憶に残っています。

ただ日常とは全く異質の環境下で感覚の麻痺してしまった為、惨いとか悲しいなんて感情的な想いは沸き起こらず、呆然と前に歩きながら、自分の見ている光景を信じられずにいました。

今日、仙台での仕事の帰り道、“その辺り”を車で走ってきました。

街は復旧し、そこに惨劇があった事実が分からないまでになってました。

震災後に購入し、今日運転したクルマの担当営業も自宅を津波で流し、毎日、避難所となった体育館から通勤していましたね。

時の流れと言うのは残酷なのか、或いは人間の愚かさなのか、1年8ヶ月になろうとする時間の中で、あの日を忘れ掛けているのもまた事実。

私の様に都内に居を構えていると、尚々、忘れがち…

でも、早いよなぁ、もうそんな時が経ってしまうなんて。

明日、月一の福島業務を原ノ町(南相馬)でやって、東京へ帰りますが、本来なら常磐線の特急「スーパーひたち」で福島県の太平洋岸を走るハズなのに、一度、山越えて福島市まで出て、新幹線。

東北でも太平洋岸に関係ない人には私以上に過去の出来事で「いつまで震災引き摺ってるの?」と言われますが、“震災”そのものは過去の話で忘れがちになってしまいますけど、“被災”に関しては現在進行形。

1.5mも浸水した実家だってバカみたいな土盛りとかさ上げ工事に地盤改良もしたし。

震災後、ゴミ運搬目的だけで何のステータスや欲望もなく、ただ
・納車が早い
・モノ(ゴミ)が大量に積める
と言う理由だけで、即決購入したV350も来月で納車1年半。

今宵は次回運転予定の11月に向けて、これから冬タイヤに交換して、幌を掛けます。
Posted at 2012/10/28 18:21:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2012年03月12日 イイね!

慰霊の式典に出席しまして

長かった と言うべきか
短かった と言うべきか

とにかく複雑な想いを胸に1年ぶりの3.11を迎えました。

犠牲になった親族の中で、一番近しく、去年3月10日のに逢った叔母の墓に詣でたのですが、まだ行方不明のまま…

線香を挿して、手を合わせたら、突然、涙が溢れて声を殺して泣きました。

哀しい とか 辛い のじゃなく、この1年に想いを馳せたら、自然と涙が流れました。

地元の慰霊式典に参列し、14時46分黙祷。

黙祷した1分間にこれまでの1年間の出来事が数々、頭の中に浮かび、またも涙が出ました。

みんカラに限らず、何処のサイト見てもヘッドラインに震災1年の話は出てるけど、ニュースとしては話題性に乏しいですから、掘り出してまで触れようとする向きが無くなりましたね。

阪神・淡路大震災の時は傍観者だったけど、確かに1年過ぎたら、余り触れてなかったもんな。

何より、自動車に関する交流サイトで東日本大震災に触れる事がもう時代遅れかも。

取り敢えず、津波犠牲者や間一髪で助かった被災者をバカにする発言を繰り返す、東京女子大学の災害心理学の教授は一発殴りたい。
Posted at 2012/03/12 20:04:08 | コメント(0) | 東日本大震災 | 日記
2012年03月05日 イイね!

節目に近付いて

節目に近付いて明日から宮城入りですが、今回はいつもの月と違う、帰省仕事。

期間もいつもの5日間ではなく14日間…

言う間でもなく「東日本大震災一周年」関連の行事への出席や、私的には法要等、公私に渡り予定が山積。

308SWか、エクシーガで行こうと思ったのですが、散財した苦い想い出がフラッシュバック…新幹線で寝て行く事にしました。

1年経つんですね…

2011年3月9日の前震から、5月末に東京戻るまでの非日常的光景は鮮明なんですけど、所々、モノクローム…

電気なし
ガスなし
携帯電話はずっと「圏外」
食うモノ乏しいし、
燃料殆ど無いし、
クルマはパーだし、
公共交通機関は完全ストップ
開いてる店が5キロで1軒…
風呂に入るのが、10日に1回…


記憶に残る震災直後の「日常」は色の無い印象が強い。

現代社会、否、高度に発達した先進文明社会でも、地球を相手にした場合、地球により文明は簡単にはね除けられるちっぽけな存在だと認識した。

簡単に言えば、
「何したって人間は地球をまだ解って無いし、絶対に勝てない」
ってコト。

まして「悪質なデマ」が真しやかに噂され、関東大震災や戦争末期に発生した諸々の事件が現代にも起こりうる可能性があったから、結局、いつの時代も人間は他の生物に比べて超越した生き物じゃないと悟ったよ。

3月11日
3分もの激しい巨大地震に耐えた机の下…
コンクリートの工場施設から呆然と見つめた猛烈な津波と横殴りで降りしきる雪…
引かない津波の中で孤立し、非常電源すら消えた中で防寒寝具として手渡された作業着とビニール袋を巻いて横たわるも眠れなかった夜…
何百人もが1台のラジオに耳を傾け、緊急地震速報の度に身構えた…

3月12日・快晴
仙台港の産業道路で渋滞していた車があちこちに「散乱」し、2キロ先のガスタンクから天高く猛々しい黒煙が上がる中、ヘリと消防車・救急車・パトカーのサイレンが鳴る…
引かない津波の中を強硬突破…芯まで冷えるあの冷たさと、何とも言えない異臭。


3月15日・曇天
5日経っても全く、情報の入らない地元へ遠回りを重ねて、膝より高い位置まで水に浸かりながら、肉親の安否を確認し、実家の壊滅と6台のクルマが泥だらけになった現実を見つめた日。


昨日の出来事のように色々、ポンポン思い出すけど、この1年が短かったか?と聞かれても疑問が残るし、長かったとも言えない。

ある時期までは時間感覚が麻痺していたんだね。

ってか こんな話、みんカラですべきじゃないネタかもしれないけど、一応、ブックマーク的な意味で…
Posted at 2012/03/05 22:21:57 | コメント(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年12月27日 イイね!

終わり行く平成23(2011)年へ…一人の被災(震災目撃)者として

忘年会で久々に金使って飲んできました……

忘年会が過ぎたとなると、いよいよ歳末のカウントダウン。

平成23年を振り替える時期になりましたね。

でも
不思議と3月の地震以前の記憶が殆ど無い…

時系列で見れば、思い出すけど、単に頭で思い起こせ無いんです。

それだけ あの出来事のインパクトが大きかったんですね。

先日もTBSの「報道の日」で出ていた宮城県内の津波被害映像で半分以上は身近なネタだったし…。

思い起こすと、3・11に辿り着く…
立って居られない程、強く長い地震…収まったかと思えばまた強さを増す…3分と言う時間があれ程、長く怖いモノだと思った事は今だかつてありません。

その後、緊急待避施設から見た津波の濁流。

ドス黒く、油が混じり、白波を立てて、全てを飲み込む化け物。

みるみる水嵩を増し、自動車・コンテナ・家々から流失した家具を巻き込みながらどんどん突き進む。

雪の中で呆然と見つめながら、何をする事も出来ずに時間だけが過ぎて行く…

夜、一台のラジオを何百人もの人たちと聞きながら雑魚寝し、NHKが伝える、悲惨なニュースに耳を貸す気力も失せつつ、眠れずに過ごす。


3月12日朝は快晴だった…

西の奥羽山脈がくっきり見えたのが印象的だった。

何気ない春めいた土曜日の朝、ただ眼前の光景は陰惨たる地獄で、自動車が何十台も折り重なり、亡くなった方もこの眼で見た。

それから3日間、快晴だった事で私は何十キロの道を衰弱しながら歩き続けた。

自宅も内陸4キロなのに川を遡上した津波で1.5メートル浸水。

毎日毎日、使い物にならなくなった家財を運び続けるゴミ出し作業…

駐車場には泥にまみれた自動車集団…せっかく2週間前に東京から4往復して持ってきたばかりなのに、全て水泡に帰した光景に愕然としつつも、BMWが生かせたと言う知人の言葉から一縷の望みを託し、ハイエース・308SW・エクシーガ・ツイン・MC-1をそれぞれ無理に頼み込んで修理へ…新たに買うのでは無く、修理と言う険しい道を敢えて選ぶ。

併せて、時間が空いたタイミングで流されたシボレー・エクスプレスを探しに、生き残ったお袋のクルマで出掛けるも、一向に見つからず、そして引き上げの連絡も入らず。

4月は近所の人が親戚から借りた軽トラックを便乗利用し、毎日、荷台に山積みされたゴミの上に乗ってゴミ捨て場へ…

4月下旬にベンツでV350ってラケージの大きなクルマを電話一本で即決購入。

納車してからは毎日のように大量の瓦礫を運び出す。

そのウチ、修理した車両が戻り、連中を元の東京へ移送。

V350には獅子奮迅の活躍をしてもらい、5月下旬から随時、上京を重ねて、6月半ばには生活の中心軸を東京に戻し、職場完全復帰。

3月の時点でGoo-netから味噌を付けていたクルマに付いて、6~9月に掛けて必要最低限ながら色んなクルマに試乗してみました。

折角、金掛けて生かしただけに乗らにゃ損だと思った6月以降は、電車通勤をクルマに切り替える日も出たし、休みの日にドライブしたり、他人を乗せる機会が格段に増え、震災前に比べて、ハンドルを握る時間が長くなりましたね。

9月に入り、海の底に沈んだエクスプレスが発見され、廃車。

それを契機として物的震災被害にお別れをした感じがしました。

秋口から
地元5日、東京15日
の震災以前の2月までの勤務体制と同じローテが固定され、完全に落ち着きを取り戻す。

10月からは海外へ出向く機会を3度得て、フランス・ベトナムへの出張と、北朝鮮への個人旅行。

12月に入ってからは初めて東京モーターショーにも行きました。


8月にエクシーガの12ヶ月点検、11月にハイエースの24ヶ月点検、12月に入って308SWの12ヶ月点検を受けましたが、殆ど所見なし…

ツインもメンテキャンペーンの時に見て貰いましたが、問題無しとお墨付きを得ました。

ただ修理上がりに某メーカーより
「今度、故障したら廃車確定」
と言われてますが、現段階では、連中は順調です。

でも運転する私の身体はガタが来たようで、毎日、三食食べては薬を飲み、総合病院の3科を掛け持ち通院…入院回数は2回。

生い先短い人生なれば、好きな事を楽しくやりたいな。

鉄道乗り回しとプロ野球観戦を思う存分楽しんで、自動車はそうだねぇ、「ジャガー・XJ」乗り回してみたいね。

ジャガー・XJ は何年かぶりに気に入ったセダンだし、金掛けても惜しく無い気がするんだけど。

来年は30歳だから、余り跳ねた事は慎む年齢に入ったし、地元で購入検討していたホンダ・アクティトラック&ステップワゴンを無理に買わなくてもいいかなと思い始めています。

ただV350はそろそろ売り飛ばしても構わないかなって気持ちもあるので、その代車としてのステップワゴンはありかもね。

高望みだけど、「億」の金を稼ぐくらいになれば、意図も容易く買えるのに…

被災した事を本に執筆してみたら印税で稼げないかな。

と言いつつ、来年も、地道に今の仕事に来年もへばり付く(地道とは言えないけど)のが関の山か…

とにかく、平成24(2012)年は静かな1年でありたいですね。
Posted at 2011/12/27 22:00:21 | コメント(1) | 東日本大震災 | 日記

プロフィール

東日本大震災津波を目撃し、眼前で家や車や犬・猫・人と言う生き物が流される姿を呆然と見つめ、冷たい水の中でみるみる生命の灯が消え、助けを求める声が小さくなりゆき明...
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