2011年3月11日金曜日、宮城県多賀城市の事務所で3分以上もの地震の揺れとその後の津波に遭遇しました。
宮城県沿岸に『大津波警報』が出た後、『10mを越える津波が襲う』との報せを受けて、その建物の5Fへ避難。
後は周知の津波被害で有り斯くの如し……
強いて最近メディアで忌避される津波そのものの情景として、
避難した場所の眼前に片側2車線で5車線ある道路に停電もあって大渋滞で動けなくなった車がびっしり並んでたんですが、
海側から津波が上がって様々な建物や障害にぶつかり、有り得ないくらいの土煙をあげてどんどん迫ってくるんですね。
やがて『加熱したフライパンに乗せたバター』のような津波の一波が道路を塞ぐ。
その時点で多分、津波の高さは大人のくるぶしより下だったと記憶してる。
多くの運転手が車を捨て建物に昇ったのはこの頃……
1-2分して誰かが『大きいのが来るぞー!』って叫んだ後、50mくらい先の3階建ての工場に当たって15m以上高く上がった波が見えて……
後はこの世で見ることがあるのかと頭が狂うくらいの悲劇、、
最初は勢いの良い津波の音と街を壊していく音が混じって、
並の勢いが弱まると今度は建物や車が機能不全になって行く音がして、
そして大きな引き波の音、
その合間を縫って『助けてーー』と言う声があちこちから聞こえるんだけど、、
あの激流に為す術は無くなっていく。
そして夜、停電で真っ暗。
真っ暗な中に零下の中で津波に身体が浸かって体温が奪われた人たちの『助けて』の声がか細くなって、やがて聞こえなくなっていく。
当日私が通勤に使用したChevrolet・EXPRESSは仙台・塩釜産業道路近くの平面駐車場に停めていたことで150m以上流され、潰され、燃えて、剥き出しの鉄骨の状態で廃棄。
あれから12年…干支一巡り。
一個人としてできることをしようと宮城県内だけではありますが、
山元町・大地の塔から気仙沼市・祈りの帆(セイル)に至るまで15の市町の18箇所の慰霊碑や献花台で手を合わせて来ました。
12年経つと東日本大震災関係の慰霊碑・慰霊施設のある場所はどんな車でも行けますが、
整備されていない時期だと砂埃や泥に塗れるならまだマシで、
道路は凸凹だし、地盤沈下と地形変化で潮水に浸かったり、色んな臭いは染み付くし、自慢の愛車を持つ人が行くような場所じゃなかったね。
宮城で活動するのに1日も早く車が必要だと四の五の言わずにベンツのVクラス買ったんですよ。
悠長にアルファードやヴェルファイアやエルグランドをパーツを選択して購入するんじゃなく、
ベンツで在庫があって“マッハで納車出来る”と言う理由で購入しました。
何しろその時、ベンツの営業マンが津波で自宅が流され避難所から毎日通勤する被災者だったので、事情の汲み方が早く、2回の商談も旗から見ればモノを売り買いするというよりは喧嘩腰の遣り取り。
納車したVクラスも即日座席外して災害ゴミをパンパンに積んで集積場に運び出す日々。
あれからもう12年・干支一巡りですよ。
2023年3月11日土曜日、
『東日本大震災慰霊追悼巡礼の旅』と称して宮城県沿岸15市町村慰霊碑・献花台を巡りました。
山元町旧山下駅跡『大地の塔』、
亘理町鳥の海公園『鎮魂の碑』、
岩沼市千年希望の丘相野釜公園『岩沼市慰霊碑』、
名取市震災メモリアル公園『名取市東日本大震災慰霊碑』、
仙台市荒浜『東日本大震災慰霊之塔』、
⇨仙台市宮城野体育館『仙台市追悼式献花台』、
多賀城市『震災モニュメント』、
七ヶ浜町公園墓地・蓮沼苑『七ヶ浜町東日本大震災慰霊碑』、
塩竈市千賀の浦緑地公園『塩釜市震災モニュメント』、
利府町グランディ21『東日本大震災追悼献花台』、
松島町五大堂『東日本大震災慰霊祈念碑』、
東松島市震災メモリアル公園『東松島市追悼祈念碑』、
石巻市南浜震災復興祈念公園『石巻市慰霊碑』、
女川町役場『東日本大震災慰霊碑』、
南三陸町復興祈念公園『祈りの丘』、
⇨ベイサイドアリーナ『追悼献花場』、
気仙沼市中央公民館『追悼と防災のつどい献花台』、
⇨震災復興祈念公園『祈りの帆(セイル)』、
18箇所の追悼施設慰霊碑や献花台を廻り個人で追悼しました。
過ぎ行く過去にて昔の思い出に浸りて追悼す、合掌。
Posted at 2023/03/21 01:23:19 | |
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東日本大震災