先日、四国から一時帰京するタイミングに合わせ高校時代の友人二人と久しぶりに会う目的を兼ねてキュビスム展を観て来ました。
(この写真は、後日購入したキュビスム展図録です)
まず、展示館入口の当日入場券を求める人の列は(平日昼過ぎでもあり)それほどでも無く10分足らずで券を求めることが出来ました。
近くの美術館でモネ展が開催されていたそうですが、そちらの人気のほうが高いらしいと列に並んでいた誰かが口にしてました。
確かに、モネの絵は綺麗で分かり易く見ていて心暖まる感じがしますよね。
比べて、キュビスムのほうは良く知られるピカソ顔の絵やゴツゴツの四角形が集まった抽象画にしか見えない絵だったりと、絵を楽しむ以前の理解不能感による苦しみを伴うイメージが付きまといますよね。どう考えても人気面では不利です。
しかししかし、理解不能に見える抽象画っぽいブラック(←画家の名前です)の絵などは他に何もない殺風景なモノクロ壁面に飾るには実に知的な落ち着き感を醸し出す素晴らしい絵画だと気付くはずです。
「〇〇〇は良きかな」などの筆文字を載せたカボチャの絵を飾る場合との差も考えてみてください。
どれがこの絵を飾っている住人の「人と成り」を見せるにふさわしいかと自問するに、(かっこよく)自分を見せるには偽善的ワタシ的には抽象画だと確信してしまうのですよ。。。
なので、理解不能と感じつつも少しでも絵の意味を知ろうとフムフム頷く振りをしながら解説付きの絵を(自分ちの壁に飾るに相応しいかどうかの)取捨選択の意図を込めて眺めまくる閲覧ツアーになってしまいます。
こうして見て廻ったキュビスム展の印象を少しだけ記します。
①
貴重な絵画に強い光線を浴びさせない配慮なのか、作品展示用の明かりは暗すぎたように感じました。あるいは、ちょっと暖色系過ぎるのかも。
例としてセザンヌの絵、ずいぶん前に横浜の展示会で見て感動した時のセザンヌでは特に白い色が際立つ絵がどれも特徴だったと記憶しています。
それが今回はその感動が無かったのです。ワタシとしては作品展示用ライトのせいではないかと疑っております。あるいは、感動を覚えるには既にワタシは年を取り過ぎてしまったのかも。。
(セザンヌに関してですが、今展示会のweb動画解説として山田五郎さんは「セザンヌは絵を描くのが下手くそだったのだがその事がキュビスム発端に繋がっている」と述べていたのが笑えました)
②
色の感動としては、有名なモディリアーニ「赤い頭部」を初めて見ることができ、周辺部分の乾いた感じのある深い緑色および対比するような赤い顔の色が印象に残りました。
印刷物やモニター画面ではなかなか再現できない色のような気がします。
③
彫塑とかの立体物は、やはり本物を目の前にしてこそ全体像を捉えることが出来るのだと改めて思いました。そして感動もそこに起因していると思います。
小さいながらもピカソ「女性の仮面」は、目の部分の表現といい全体の立体表現によるからこその動き感など伝わることは多かったです。
モディリアーニ「女性の頭部」もその大きさに威圧感すら感じましたし、ブランクーン「眠れるミューズ」は想像していたよりもちょっと小さめなれどかえって金色による効果なのか重量感がひしひしと伝わってきました。
④
難解なれど好きな絵としては、ピカソ「ヴァイオリン」「若い女性の肖像」、ブラック「果物皿とトランプ」、ジャック・ヴィヨン「行進する兵士たち」、シャガール「キュビスムの風景」、ブランシャール「輪を持つ子供」、レジェ「タグボートの甲板」、コルビュジエ「静物」等々がありました。
最後に、、この展示会の図録は良く出来ています。
展示を見た時は買わなかったのですが、そのボリウムといい解説記事といい印刷の出来の良さといい買う価値があるとの考えを持って四国帰還の日にわざわざミュージアムショップに出向き入手しました。
Posted at 2024/01/27 01:06:16 | |
絵画・アート | 日記