2014年09月22日
先週、トミカリミテッドヴィンテージ いすゞ117クーペが納車されました。
いつもの様にアマゾンから予約したものが届きました。
抜群のプロポーション
右側
左側
フロント
リヤ
シャーシー
ボックスの裏側
『いすゞ117クーペ』とは ウィキペディアより出典
流麗なデザインを備えた4座クーペであり、1970年代の日本車を代表する傑作の一つに数えられる。1968年に発売されて以来、長期にわたり生産され、長くいすゞのフラグシップを務めた。
概要
型式は1,600cc車がPA90、1,800cc車がPA95、2,000cc車がPA96となる。これらの電子制御エンジン車がPA90E、PA95E及びPA96Eであり、ディーゼルエンジン搭載車がPAD96となっている。車名の由来は開発コード番号で、117サルーンのコードネームで開発されていたフローリアンのクーペ版としての位置づけである。そのためシャーシ、ドライブトレーンをフローリアンと共有する。
コンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングはカロッツェリア・ギアに委託され、当時のチーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロが担当した。その後ジウジアーロはギアを退社して独立、イタルデザインを立ち上げたが関係は続き、量産指導はイタルデザインの初仕事となった[1]。最初期のプロトタイプであるギア/いすゞ117スポルトは1966年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表され、同ショーのコンクール・デレガンスを獲得した。その後イタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレに出品され、名誉大賞を受賞している。
前後のホイールアーチに呼応してうねるフェンダーのラインは、かつてのイタリアンデザインの特徴で、「ザンザーラ(虫)」と呼ばれる小型レーシングカーをはじめ、フィアット・ディーノやイソ・リヴォルタ・グリフォなどにも通ずるスタイルである。
大きなグラスエリアに細いピラー、半分だけヘアライン仕上げが施されたドリップモール兼用のステンレス製ウインドウガーニッシュ、リアウィンドウに直にかぶさるように閉じるトランクなど、各部に斬新で繊細なデザイン処理が伺える。21世紀初頭の現代に至るまで、その原型デザインは完成度の高いものとして評価されている。
技術的にも日本で初めて電子制御燃料噴射装置を搭載するなどエポックを持つ車であり、4座のラグジュアリークーペとしてのカテゴリを確立した車でもあった。
さらに特筆すべき点として、本車は発売開始以来の10年間に1台も廃車が出なかったとの業界記録を持つ。長期生産にもかかわらず総生産台数は86,192台に過ぎないが、今日なお日本の旧車趣味界での人気は根強く、多くの愛好家によって保有・維持されている。
機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは水冷直列4気筒の1,600cc、1,800cc、2,000ccDOHCおよびSOHCが基本だが、末期に2200ccディーゼル車が少数生産されている。
サスペンションはフローリアンと共有で、前輪がコイルスプリング + ダブルウィッシュボーン、後輪がリーフスプリング + リジッド(ライブアクスル)であり、ステアリングギアボックスはリサーキュレーテッドボール(ボールナット)式であった。
ベレットの後輪スイングアクスルに手を焼いた経験から、一転して保守的な構成となったフローリアンのシャシであったが、1960年代の実用セダンとしてはごく一般的で、堅実なレイアウトである。しかし、117クーペに移植されたそのシャシは、スペシャルティカーとして見た場合、いささかの陳腐さ・凡庸さは否めなかった。それでも例えば初期形のインジェクションモデルでは最高速度190km/h以上を公称しており、スポーティさには欠けるものの、長距離ツアラーとしての性能は確保されていた。
トランスミッションは、デビュー時には4速MTであったが、後に5速MTに変更、また3速ATも追加されている。この車のエアアウトレット(室内気の排出口)は、ボティとリアウィンドウ上端の境目に内蔵されたスマートなものであるが、逆流防止弁は省略されており、洗車の際など、この部分への直接放水は、内部に水が浸入するため禁止されていた。
117クーペは後席の快適性も熟考されていた。クーペボディの車には珍しく、リアシートの左右それぞれに灰皿が、またリヤ用のヒーターダクトも装備していた。スペース的にもクーペとしては余裕のあるもので、ガラス面積も大きく車内は明るく開放的である。
1968年12月発売。少量限定生産車であったことから、一般に「ハンドメイド・モデル」「ハンドメイド117」と通称される初期形である。
117スポルトをなんとか販売したいといういすゞ首脳陣の意向を汲んで、生産化にむけてのリデザインがジウジアーロ自身の手で行なわれ、オリジナルの美しさを可能な限り尊重して主に室内高を増やすなどの変更が加えられた。しかし、極端に細いピラーなど、当時の自動車製造技術では手作業でしか生産できない難しさがあり、コンセプトカーとしてデザインされた117スポルトを市販車として改良することは困難で、当時のいすゞの製造技術では全ての外板をプレス機で再現することは難しく、また経営状態が芳しくなかったことから設備投資への余裕もなかった(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、54頁参照)。
しかしながらベレットより格上のイメージリーダーを欲していたいすゞは、大まかなラインだけをプレスで出し、パネルのトリミングや穴あけなどの生産工程の大部分を手作業とすることを決断、117クーペとして市販化にこぎつけることに成功した。1970年にいすゞに入社した山懸敏憲は「ハンダを盛ったり、ヤスリでこすったりして”手作業”で作っていた」と書いている[3]。手作業での生産ゆえ、ごく初期の車両ではスポット溶接の位置が揃っていないものも存在する。
この小規模生産体制のため、販売価格は当時としては非常に高価な172万円となり、月産台数も30~50台程度に限定された。こうした希少性は117クーペの名声をさらに引き上げることにつながったが、収益の改善までには至らなかった。ボディカラーは標準色としてアストラルシルバーメタリックとプリムローズイエローの2色が、また特別にオーダーすれば他のいすゞ車に使われているカラーも選べた。
エンジンはいすゞ初の量産DOHCとなる、1,600ccのG161W型エンジンを新規に開発する。型式の記号と番号の意味は、Gはガソリンエンジン、16は1,600cc、1は、0から始まる開発番号で2番目に開発されたこと、Wはダブルオーバーヘッドカムシャフトをそれぞれ表す。また、エンジン開発にエンジニアのみならずデザイナーが加わったことにより、外観も非常に美しいエンジンに仕上がった。さらにこの時期、国産クーペ初となる1,950ccのC190型ディーゼルエンジン搭載車が30台程度生産されている。ディーゼルエンジン搭載の高級パーソナルカーは世界的にもほとんど前例のない試みであった。
1970年11月に電子制御燃料噴射装置(ボッシュ製Dジェトロニックインジェクション)搭載モデルECと1,800cc、正確には1,817ccツインキャブレターSOHCが追加されるが、電子制御インジェクションは日本初装備となるなど、エンジン技術の面で国内他車をリードした。
一方で、本車の普及に対する試みとして1971年11月に1,800ccSOHC車をシングルキャブレターとした廉価版、1800Nが追加されたが、高価な車であることに変わりはなかった。
この世代の室内は上質な発泡レザートリムや台湾楠のウッドパネル(1800Nを除く)、リアウインドウのデフォッガをフロント用と同様の送風式にし熱線プリントを排したすっきりとしたリアガラス(最初の一年間に生産された車両のみ)、ダイヤルで開閉できる三角窓などを採用し、当時主流だった吊り下げ式の一体型クーラーユニットから操作スイッチを独立させセンターコンソールに配置するなど、造り込まれた豪華なものであった。惜しむらくは、本場のイタリア車のような「木」と「革」の持ち味を生かした洒落た内装を手がけられなかったことで、当時の日本メーカーの「意あって力足らず」の限界が現れている。
組み立ての自動化率は最後まで上がらず、3年間の総生産台数は2,458台に留まった。
Posted at 2014/09/22 23:41:12 | |
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ミニチュアカー | 日記
2014年09月22日
昨日、グリーンアリーナ神戸で第14節 湘南ベルマーレ戦の試合が午後6時30分から行われました。
試合はシュライカー大阪は3-1の勝利
順位は12チーム中6位に。
前列左から3人目:32片山 堅仁
次節は9月21日(日)午後6時30分からテバオーシャンアリーナで名古屋オーシャンズとアウェーで戦います。
これからも応援よろしくお願いします。
Posted at 2014/09/22 05:21:37 | |
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フットサル | 日記
2014年09月19日
昨日、グリーンアリーナ神戸で第13節 府中アスレティックFC戦の試合が午後5時30分から行われました。
試合はシュライカー大阪が2-1の勝利
順位は現在12チーム中3位に浮上!!
前列左から3人目:32片山 堅仁
次節は9月21日(日)午後6時30分からグリーンアリーナ神戸で湘南ベルマーレとセントラルで戦います。
これからもシュライカー大阪の応援よろしくお願いします。
Posted at 2014/09/20 12:58:54 | |
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フットサル | 日記