金曜日の夕方帰宅しました。
愛なんて書くとどこかくすぐったいような気がしますが素直にそう思ったので書いておくとします。
火曜日、朝5時、八戸でフェリーを降りて、国道45号線をひたすら南下してきました。
宮城県内に入り一泊しました。
一般道で450キロ超昼には旅程終了。
以前ピカソ乗りの先輩が広島から愛知まで一般道を自走された事を思いだし自分も…
山道ばかりの45号線なんですね…
東京を出て、最終的に走行距離は3.500キロを突破。
ピカソは、元気に旅程をこなしてくれました。
一つだけ、岩手県内を走行中、復興車両の看板を掲げた対向車線を走る大型ダンプから落下し、真後ろの車両が蹴飛ばした石を避けきれず、下回りに当たったのですが、アンダーカバーが破損した程度で実害はないみたいです。
今回の旅の多くはキャンプ場のログハウスに泊まりました。
テントは積載しなかったものの、キャンプ道具が満載、家族4人乗せて走り回ったのは、さすがに重さを感じた中で、低回転からトルクが沸くディーゼルターボは、普通に乗ることがホントに楽なんだということを思い知りました。
自分はレンタカーを借りて、購入候補の車を借りれるなら乗ってみることにしていますが、ハイブリッド車と同じく、クリーンディーゼル車のレンタカーがもっと沢山出て、観光地で乗り回す選択肢が増えればよいのにと思いました。
自慢かもしれませんが長く乗ってみると、余計に美点が光ります。
というか、ガソリンに慣れた10年以上前の若き日のガソリンニリッターターボに乗る自分はディーゼル車の良さを実感するのに一定以上の時間を要しました。
ディーラーで試乗するレベルで多分自分は実感できなかったと思います。
トルクや燃費が評価されるのですが、個人的には、
「力を使わないで走れる時間が長いこと」
「回転数がいつも低いから疲れない、またパワーバンドと巡航回転数がガソリンエンジン車ほど遠くないので加速も速やかなこと」
が最大の美点だと思います。
ロムチューンもどんなものなのか、やっと理解できました。
一言でまとめると限界が見えねぇ・・・・・・
これも後日まとめましょう。
さて、本題の前に東京を出る直前、自分としては珍しく洗車をしました。
自分とお付き合いのある方の中で、自分が洗車嫌いだと思っておられる方もいるでしょう。
ホントはすごく好きなんです。
何故しないのか、時間がないだけ、性格的に
「時間なんぞ作るもんだ」
といいたいところですが無理なものは無理。
やりだすと気が済むまで時間をかけるので、放置してきました。
でも写真にするとやっぱりピカソキレイ。
連写 の一部
ピンボケですが敢えて載せます。
嫁のブレーキでもかなりノーズダイブしますな…
汚く乗るのがかっこいいと思う気持ちもありますが、一度きれいにするとだめですね・・・・・
これと似た話が、今回の北海道行き、私事になりますが、優雅に旅をしているわけでなくて、毎度のことながら仕事半分です。
商売人として独立して8年、今まで1週間も東京を離れられるだけの体制を構築することができなかったんですが、今年周到な準備をしてやっと出かけることができました。
自分も嫁さんも同じような気質があり、どうも仕事から離れることができなかった私たち夫婦が初めて仕事道具を捨てて出た今回のお休みは、筆舌できない大きな意味がありました。
後半、単独行動を取ったのも、一人になって今後のことを考えていました。
おっと、脱線、きれいなピカソで出発しましたが、時勢柄なのか毎日のように降雨の中を走り、北見、苫小牧とゲリラ豪雨が報道されたその日、その場所に偶然、両方ともピカソは現地にいました。
実害はなかったのですが、特に苫小牧では後戻りできず冠水したところへ先頭を切り突入し駆け抜けもしました。
マフラーのすぐ下まで冠水してましたが、自分の時代のピカソは最悪の整備性故とんでもない場所にあるエアフロ、タービン、エアクリーナの配置なら簡単に水を呼ぶ事はなかろうと根拠なき山勘で突入しました(笑)
こんな事ばっかりなんで汚れないわけがなく、東京に帰ったらじっくり洗車してやろうと思っていましたが、時間の都合で難しそう・・・・・・
新千歳空港でのヒトコマ、ドロドロ。
なので、少し時間ができた南三陸町内のコイン洗車場に飛び込みました。
被災地にコインランドリーとコイン洗車場はたくさんできています。
地元の方々で洗車なんぞ後回しと苦労をなされている方も多いと思います。
多摩ナンバーを背負ったシトロエンが洗車をしている姿がどう見えるのか、少し気になりました。
当初は乗用車、商用車問わず、多くの方が、入れ替わり立ち代り、洗車をしていく姿を当初は併設のコインランドリーで洗濯しながら眺めていました。
結局、地元ナンバーの乗用車を洗車する人たち愛情を注ぎ込み楽しそうで満足げな顔を眺めていたところ、ムラムラ(笑)してしまい、自分も洗車させてもらうことにしました。
地元、県外とさまざまなクルマが洗車していきました。
背景は有名になった南三陸町の防災庁舎。
納得できる洗車になりませんでしたので東京で再度時間を作りたいと思います。
これは自分なりの愛情の形。
今回、いわゆる被災地の海沿いの国道を走ってきました。
表面的な部分だけしか見れなかったし、知人、知らない方含め地元の方々と会話してみて思いましたが、進まないという批判がある一方、勢い良く確実に前進している姿も垣間見れました。
被災地と言う言葉が適切かは、解りませんが、前向きに進む姿をあちこちで見かけ嬉しく思いました。
復興商店街に行けば自分を含め観光客が消費する姿も愛の形でしょう。
この2日間の間に、家を流された、伴侶を亡くした方、産業復興の為走り続ける方、色んな方々と話しましたが、皆さん誰かの為、自分の為、自分との戦いを乗り越え、前向きに過ごされてる方が多かったのが印象的でした。
上の写真は、移動中に撮影した写真なんで汚いですが、この稲穂が伸びてる畑、実は津波で塩害を受けています。
ボランティアが瓦礫を整理し、お百姓さんが水を入れ替え塩分を抜き、耕作可能になったとの事で今年田植をしたそうです。
まだまだ耕作不可能地が多いのですが、ボランティアした方は数年後再度現地を見てみると、感慨深いと思います。
これも当時は
「何とかしなきゃ」
「ほっとけない」
「少しでも役に立てば」
と感じた個人の愛情の結晶でしょう。
長期組の一部は、豪雨被害地へ移っているようです。
旅程中、車に愛情を注ぐ方々ともお会いしました。
人それぞれのクルマへの思いを感じ、自分へのクルマへの思いを再認識できた旅でした。
最終日に何故かボランティアをする事になったのも何とも自分らしいです。
草苅機を振り回して帰ってきました。
実はバリバリにやり過ぎて機械壊れちゃいましたけど…
今回立ち寄った東北の湘南?七ヶ浜町、ここにも枯れずに津波に一本だけ耐え、現在枯れかけてる松が砂浜にあるそうです。
調べてみるのも面白いかもしれません。
あと一週間ほど東北地方をうろつこうかと思ってましたが、月曜日家族を新千歳空港に送り別れる際、娘が泣き出してしまいました。
息子の口元を見ると、こいつは飛行機が楽しみで仕方がないらしい。
自分と別れるのが嫌だと言いますが、実はピカソの中のおもちゃが欲しいみたいですけど一応家族愛と言うことで…
早く帰って来いと煩いので帰ってきました。
北海道旅行、最も気に入ったのは嫁さんだそうです。
帰京すると既に、来年の雪祭り時期の宿の予約が済んでいました。
目標額を決めて稼いだら行くと約束しました。
人参ぶら下げて走るようです(苦笑)
次は旅行記いきましょう。