このブログでも時々ネタにさせていただいている北海道出身の歌手
KOTOKOさんが、なんと、
今年メジャーデビュー10年目を迎えたそうで、その記念日である丁度一週間前の4月21日深夜に放送された特別番組
「KOTOKOの大ゴトvol.4」を聞きながらこの記事を作ってます。
当日はUstreamでも同時放送されてましたので、眠い目をこすりながら楽しまれた方もいるかもしれませんね。
もう少し若いときは、
深夜から朝までぐらいなら全然平気でしたけど、流石に
「不惑」と呼ばれる年齢になった今では、最悪AM1:30には眠らないと辛くなりまして(笑)、radikoを録音できるフリーソフトを見つけ、当日は
何十年ぶりかに「エアチェック」を敢行し、惰眠をむさぼることにしました。
…本来の意味から考えると、
ネット回線を使ったエアチェックってのも変な話ですが、世の中便利になったものです(^^;
去年辺りから聞き出した「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」も
今年で放送開始から10年目だったりと、今年は随分「節目の年」というか「アニバーサリーイヤー」な事が
妙に多いなと思うのです。
振り返ってみれば、今から10年前の
2003年も、何かとせわしない一年だった印象が有りますね。
思いついたところだと、
・富士重工がバス車体生産から撤退
*最終号機は東濃鉄道(岐阜県)向けの大型観光バス2台でした。
・札幌市営バス民間委譲本格開始
*翌年には完全委譲し、「公営バス事業者」の北限が苫小牧まで下がる(現在は青森県)
・十勝沖地震
*早朝、震度4の揺れですっかり叩き起こされた…。
まだなんかあったような気もするんですが(^^ゞ
そうそう。カレンダーをふと見ると、
2000年代に入って今年で10年以上経過。
子供の頃は遙か遠い未来に思えたのに、気がついたらノストラダムスやマヤの預言もいつの間にか過ぎてしまいましたな。
それに…、
高校1年の冬休み、郵便配達のバイトに出かける寸前に飛び込んできたこのニュースを、TVの前でドキドキしながら見ていたのが、
今から25年前。
平成に元号が変わってからそんなに経ったという気もあまりしないのですが、
もう四半世紀前の話になるのです。
ここ最近、履歴書を書き溜めたり、転職サイトに登録しておいたレジュメを目にしたり手を加えるという日々ですが、そのたび思うのが
「この10年、体型も考え方も代わり映えしてないよね」って事。
2003年の今頃も仕事探しに明け暮れてた日々で、その年の暮れになってようやく仕事が決まったという流れですが、今思えばなんだかんだで充実してた様な気がします。
尤も、せっかく勝ち取った仕事場が、入社後5年でなくなってしまうことは全く予想してませんでしたが。
あれから10年。年齢と職歴だけが積み重なり、
白髪が以前より目立つようになったのと、心なしか
額の面積が年々広がってきているのが気になるようになってしまいました。
だけど、それまでの自分の歩いてきた道がすべて間違いじゃないのかと問われれば、
自信なんて全くありませんし、あの頃と比べると背負う物も増えた気もしますが、かといって自分の年齢を考えるとまだまだ背負うべき物も全然少ないような気もしますよ。
親父殿が私と同じ年齢の時には、すでに私と弟が生まれてましたしね…。
よく、
「夢や目標を持て!」と言われますが、年を重ねたり、時代背景や自分が置かれてる状況が刻々と変わっていく中で、
夢だの目標だの言われてもキリがないわけで、「夢や希望だけで生きていける」わけでなし無茶言われても困るのです。
それに、今後どのような経路をたどったとしても
人間には寿命が必ず来るし、
どうがんばってもその運命にはあらがう事なんて無理。
ならば、ただでさえ見通しが利かないこの世の中で生きていくには、まず
「その日一日を、なんとしてでも生き延びる方を優先させた方が効率的でしょ」って言うのがこれまでの自分の生き方だと思ってますし、たぶん、今後も考え方は変わらないと思います。
一方で、
平均寿命まであと30年余りと考えたとき、
ホントにこのままでいいのかって言う思いもあり、この二つがごちゃ混ぜになった上に、
常に空回りしてるというのが今の状況かなと考えてます。
でも、悩みを持ってる人間なんてまずいないわけで、その中でどこかに
「自分なりの落としどころ」を見つけて日々を生きている訳で、それを考えると、年齢の割にあまりたいした生き方はしてないようにも思えてきますね(^^ゞ
この後、50歳を迎えて、それまで生きてきた10年を振り返ってみたとき、どういう印象が残るんでしょうね…。
案外、今とあんまり変わってないのかもしれませんが、
それはそれでアリなのかも(笑)
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戯れ言問わず語り | 日記
Posted at
2013/04/28 01:04:39