先週のある日の夜23時頃のこと。
夜間の館内巡回を終え、事務所でradikoのタイムフリーで3月5日放送分のスマイルギャングを聞きながら、日勤者から頼まれた事務仕事を片付けていました。
番組冒頭、奈々様が語られたのが、先月開催のライブツアーでの札幌と新潟公演の話。
奈々様公式HP内のブログ記事も読んできたんですが、両会場共に当時は大変な盛況だったそうで、中でも、札幌2days開催の折には、生ものが苦手な奈々様も大満足されるほど、北海道の幸を堪能されたそうで何より。
と、同時に思ったのですよ。
あれから6年なんだなって。
一昨日、発生から丸6年を迎えた東日本大震災。それがちょうど今頃のことで、前回の奈々様のライブ開催がその年の初夏だったと記憶しています。
震災発生当時、折しもプロバイダのバックボーンがやられてしまい、数日間ネットが使えなかった当時の状況は、以前手記としてこのブログにアップしたところですが、震災のバタバタが一段落しつつもなんとなく余韻というか不安がまだ重く感じられる雰囲気で、果して無事にライブが開催されるのか心配したことを思い出します。
あの頃は、仕事もなくオロオロしながらも全般的には極々平穏な日々だったのに、6年後の今、我が家に
大激震が走る事になろうとは…。
という事で、1ヶ月強ぶりのご無沙汰をしておりました。
今の会社に入ってから、早い物で半年になりました。
相変わらず
「絶対どこかで時空がひん曲がってるでしょ?」と思えるぐらいの時間経過の中、気づけばまもなく年度末です。
この間、とりわけ昨年末は親父殿のがん摘出手術等々でドタバタとなりました。
具体的には、胆道がんが見つかって、下図のように
胆管とその周囲の臓器の一部を摘出し、一部残った胆管と小腸をつなぎ合わせるという、親父殿の年齢から見るとかなり大がかりで、少々リスクを伴う内容。
当日は出血が予想より大量となり、一時肝を冷やしましたが、幸い割合早期(ステージII)だったこともあり手術自体は成功し、経過も順調。
入院も1ヶ月程度で済んで、この年末年始は自宅に帰ってきたのですが、体内に残された胆管の内壁にごく微量のがん細胞がある可能性があり、放射線治療が必要とのこと。
今回初めて知ったのですが、放射線治療といっても、必要箇所にピンポイントで数分間照射して様子を見るという事の繰り返しなんだそうで、通院で済ませられるんだそうな。
ただ、そうは問屋が卸さないってのが田舎住まいの苦しいところ。
今回、
一日1回、計25回の治療が必要という診断だったのですが、今回治療を受ける病院までが自宅から遠く、その上、病院内及び周辺の駐車場が
時間貸ししかない。
地下鉄駅から割合近い場所にあるところでしたが、如何せんバスと地下鉄の運賃が
片道だけでも1000円近いことも手伝って、治療期間中入院することになったのが、奇しくも
阪神大震災発生の1月17日のこと。
いくら1ヶ月の辛抱とはいえ、以前から認知症状が思わしくなく、一人で家に居させることに不安を覚える母親を抱え、一体どうした物かと考える暇すらなく、我が家に激震が走ります。
17・18日と2連勤を終え帰宅した19日の朝のことでした。
帰宅した私が見たのは、居間のストーブの前で殆ど身動きすらせず、18日夕方に見たときと同じ格好で横たわり、所々失禁していた母親の姿でした。
大丈夫と本人は言うのですが、その状態は明らかに様態が悪く、何を聞いても上の空というかうわごとでしか話せていない様子。
家族ぐるみでお世話になった医師が居る病院に連絡し、嫌がる母親をどうにか着替えさせ、エッセ君に半ば強引に押し込める判断を下すまでに、そう時間はかかりませんでした。
結局、医師のご厚意と勧めにより、親父殿が退院するまで入院させることになり、同時に、病院内の地域包括センターのスタッフさんを紹介してもらって、介護認定の申請を行うことになりました。
そして、この日から2月下旬までの間、私とわんこの共同生活が始まりました。
入院中の親父殿に事情を話し、当面の生活費を借用出来、一応過去に一人暮らしの経験もある私でしたが、この間の生活ってのは、まるで上に出した曲のようなもんでした。
尤も、この曲の歌詞にある
「TVも冷蔵庫も新聞も来ない」って事は無かったのですが(^^ゞ
ただ、いつもと違って家事全般もやらなくてはならなくなり、予想以上に余裕が持てず、両親の見舞いもままなりませんでした。
最終的に若干資金ショート気味になりかけましたが(笑)、懸念していたわんこもお留守番をしっかりしてくれたおかげで無事に乗り切り、先月21、23日とで両親が我が家に戻ることになります。
その後、入院後すぐに出していた母親の介護認定の結果が南区役所から届いたのが今月初め。
結果は
「要介護3」。現行制度上において、所謂
「特養ホーム」に入所できるレベルと言うこと。
ご存じの方も居ると思いますが、現在の介護保険制度における判断基準は
「要支援1」から
「要介護5」の7段階あり、私の今の職場である「介護付有料老人ホーム」の場合は健常な方を含め全レベルでの受け入れが可能なのですが、お恥ずかしい話、今回の件で要介護だけでなく「要支援」というカテゴリが存在していた事は全く知りませんでした。
さらに、「特別養護老人ホーム」となると、前述のように要介護3以上が対象となる訳ですが、上のレベルに行くに従ってほぼ「寝たきり」状態になり、言い方はホントに悪いんですが
とりあえず生かされている
というレベルとなるんだろうなと思っていたのですよ。今の職場に入るまでは。
ところが、夜勤専門とは言え、勤務時間が日勤者とオーバーラップする時間帯があったり、実際に入居者の皆さんと接していくうちに、
介護認定のレベル間のハードルって、意外と低くないか?
と思うようになっていました。
無論、職場にいる100名以上の入居者の皆さんの生活を常時見ているというわけでもないですし、物理的にも無理なんですが、事務所で耳に入る情報と見た感じを対比したとき、介護度が思っていたよりハイレベルだったり、特段普通に生活しているように見えるのに「要支援」だったりする方が居たりと、それまで抱いていたイメージとのギャップが殊の外あるな、と。
そう考えた時に、母親ももしかすると相当な介護度になるであろうと考えていましたので、今回の判定は想定よりはちょっと軽いかな?といった感じです。
尤も、こういうことをブログに書いてしまうと、会社的には問題かも知れませんが…。
こうして、我が家では今月から年老いた父親を中心に
「老老介護」がスタートしてしまいました(;´Д`)
今のところ容態は安定しているとは言え、病み上がりの父親に何でもかんでもというわけにはいかず、一応同居している身としては手伝えるところは動くようにしていますが、やはり9:1で父親の出番が増える体系になってしまっているのは心苦しいところ。
加えて、東日本大震災時に4歳だったわんこも昨年10月で10歳となり、人間で言えば両親とさほど変わらない年齢となりました。
なんとか父親の負担を軽減し、折角の介護保険を活用すべく、一度母親にデイサービスの体験入所に行ってもらったりもしましたが、結果が思わしくなかった様子。
ベストなのは、今の職場のような施設に入所させることなんでしょうけど、ちゃんと試算したわけでないにせよ、うちの職場でも
1ヶ月の管理費だけで年金がブッ飛んでしまう金額になる。
無論、食事代や光熱費等々の生活費や、各種サービス費用は
別です。
その管理費から給料をいただいてる以上文句を言える立場じゃないんですが、経済的にも心理的にもどうなのかなぁ、と考えてしまいます。
6年前の今日、あれだけ時間を割いて報道していたマスコミも、今やそのスペースや時間が少なくなってきたと指摘されている今日この頃。
今日の札幌は、あの日と同じようなやや暖かい一日でした。