
急にプロフィール欄やらなにやらが変になって、あげくハンドルネームまで伏せ。何事かと思った方もいらっしゃるのではないかと思いましたので、いちおう念のため。
私のTwitterアカウントからの転載ですが、ひとまずこちらからどうぞ↓
お待たせいたしました。
本日⑨月⑨日、当アカウント復活です。
私の鍵垢をフォローいただいてる皆様には既に周知の事実かと思いますが、長期出張ってのはオリパラおよびフジロックのことです。
次にぶら下がってるツイートから、どういうことだったのかひとまずご説明申し上げます。(続
承前) オリンピック輸送業務にあたり、事前の研修で撮影およびSNS投稿は一切禁止の旨を説明されました。私は以前に当アカウントの投稿内容に関して同業他社から苦情を受けたことがあり、そういった事態の再来をことさらに恐れた、というのが鍵垢に逃げた理由です。(続
承前)また、ある程度フォロワー数が多いこのアカウントからの情報がテロリストその他に渡ってしまうことも懸念されました。ただでさえこのコロナ禍の中、オリパラもフジロックも様々な意見に晒されての開催でした。抗議と称して輸送妨害を企てる者が現れても不思議ではありませんでした。(続
承前)輸送の安全に万全を期すため、ヒントになるようなツイートも避けなければならない。手っ取り早い方法が更新を停止し、TLをオリパラ、フジロックと関係ない別の何か(主に東方イラスト関連)で埋めることでした。また、このアカウントをレスバ会場にしたくないという思いもありました。(続
承前)そのような経緯から、葛西デポでも若洲デポでもMTM(ビッグサイト東駐車場)でも、いろいろ言われた代々木でも写真を一切撮っていません。
またフジロックは自社グループ請けですから写真くらい撮ってますけど、検索で引っ掛かるワードをTLに放流することは避けなければなりませんでした。(続
承前)ともかく、全ての元凶は憎きあのウイルスです。あれさえなければこんな個人垢封鎖のようなことはせずとも済んだのです。通常のテロ対策程度で済むところが、ウイルスとそれを取り巻く人々の様々な意見の奔流によって通常業務及び個人の生活に支障を来しかねないと予想された故の措置でした。(続
承前)この仕事はあまりにもハイリスクで、辞退しようと思えばできました。しかしそれでも私がこの仕事を請けた理由はただひとつ。
「オリンピック、パラリンピックが遺すレガシーとは、つまり何であるのか?」
私個人が抱いたこの疑問の答えを、自分の目で確かめに行くことでした。(続
承前)そしてその答えの全てはまだ見えてません。たぶん何十年もかかるでしょうw
とりま短期的にはオリパラ、フジロックにある程度のレベルで完遂してもらわないと、後に続くイベント、個人的には特にコミケが開催できそうだという雰囲気にならない。だからヲタ運転士代表のつもりで頑張りましたw(続
承前)いろいろありましたが、個人の経験としてはとても貴重なものだったと思います。もしコミケの鉄道、バス島などでオリンピック輸送実録本を出そうかというサークルさん居ましたら証言しますよ~。
ビッグサイトをオタクの手に取り返すために闘った運転士達のお話←需要ある?www
とりま垢再開ですー
・・・そうです。オリンピックその他の影響だったのです。
オリパラ輸送にあたり、守秘義務がだいぶ厳しく課されましたし、ただでさえコロナ禍でオリンピックを歓迎しない考えの人が大幅に増えた。これによって個人のSNSでさえ攻撃の対象になるのではないか。それを恐れたわけです。
考えようによっちゃ、個人アカウントを保護するための守秘義務という見方もできるかもしれませんが、まぁ、・・・面倒事が降りかからないように息を潜めようということです。
さらにみんカラの場合、ハイドラの存在がさらにややこしさに拍車をかけた部分もあります。ハイドラを使わなければそれで良いんですけど、私の場合はハイドラを使い慣れすぎてそれ以外のGPS系アプリの使用を直ちには考えられなかったという事情がありました。
都心の細かい道を決められたルートを辿って外国人記者の皆様をホテル、空港へ送迎します。また、それを支援してくれるタブレット端末のシステムは急ごしらえのせいか、不具合が多発していましたのでサブシステムとして自前のGPSアプリが必要でした。ルートミスは許されません。
そこで、以下の対策を行いました。
・ハンドルネーム、プロフィール欄を伏せて私を知らない人がキーワード検索できないようにする
・ハイドラ起動の際は使用車両を偽装する
・プライバシーエリアの設定を葛西デポとMTMに移動した
・コメント欄には何も表示しない。
・自分が運転している時も送迎バスに客として乗っているときも鉄道移動の時も徒歩移動の時も全てハイドラを連続起動し続けた
以上の対策により車両特定を困難にし、ハイタッチした人がプロフィール欄に飛んできても「誰やこいつ?」となるように仕向けました。それと同時にTwitterも封鎖することで、どこに居るのかわからないようにしたわけです。
これにより、オフで事情を説明した人には生存報告できる。オンラインの一見さんには直ちには正体がわからないという状況を作り出し、夜の東京をひっそり走っていました。
結局私が稼働したのは実働6日間だけで、移動日やPCR検査も含めて9日間、オリンピックのために活動しました。またパラリンピックにも運転士として登録し、アクレディテーションカード(選手やコーチが首から下げてたアレ)も交付されていましたが、弊社内では予備運転士という扱いだったため、事故、故障等無く無事輸送が完遂されたことにより私の出番はありませんでした。
弊社からオリパラに行き続けていた車両(フジロックの時だけ戻って来た)が全車無事帰庫したのがチルノの日の前日、8日。その日私はいつものように県内高速に乗務していましたが、折しも警察車両が大量に東京方向から下り線を走って来る様子を何度も目撃しました。新潟県警からも、これだけ大量の車両、人員が東京に派遣されていたんだな・・・と思うと、自分たちも同じ事をやっていたのを思い出してちょっと目頭が熱くなりましたね・・・。
まぁとにかく、その翌日に満を持して情報解禁、私の個人アカウント等々も通常通りに戻ったというわけです。
今でもオリパラ開催について否定的な考えを持つ方々が居るのはもはや当然だと思いますし、その考えは尊重しようと思います。しかし、その気持ちを表明するのは当然良いとしても、それをもってオリパラに関わった個人まで攻撃するのは絶対にやめてほしいです。私はメディア輸送深夜便担当として活動しましたが、その間少なくとも私が出会った人々はみんな不平も漏らさず、不馴れな土地、限られた条件でも最高のパフォーマンスを発揮しようと頑張る人々でした。現場のみんなの働きがあったからこそ、このコロナの禍中でオリパラを「やり過ごす」ことができたんだと思います。
若洲臨時給油所でバスの誘導をしていたENEOSフロンティアのお兄さん、笑顔がとても素敵だったのが印象に残ってます。
MTMで外国人記者の案内に当たってたお姉さん、急に雨が降り始めたときにバス停看板の下で雨宿りしてましたね。私のバスの中にしばらく居ていただいて良かったのに、気遣いが遅くてすみませんでした。
某ホテルで案内係をしていたお姉さん、初運行でガチガチに緊張していた私の話し相手になってくれてありがとうございました。おかげさまで緊張がほぐれました。
大勢の人々に出会いました。まさにジャパンオールスターでした。みんなが日本代表でした。この経験だけは、何を言われても色褪せないだろう。それだけは強く確信しました。
じゃあオリパラまた東京でやる?って言われたら・・・いやあと50年はごめん被りたいですwwwww
ともかく次はパリですね。また札幌が2030冬期オリンピックの招致を計画しています。その頃にはコロナ禍が終息していることを願いつつ、この項を終わります。

乗務員送迎バス車内より東京タワーを望む

同、選手村を望む