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2017年02月26日 イイね!

タイムスリップ 四半世紀ぶりの回想

タイムスリップ 四半世紀ぶりの回想
この街に住んだのは'85年4月から

'89年4月までの4年間だったと思う。

当時の勤務地には、営団有楽町線か

半蔵門線・都営新宿線が便利だった。




ここに住んだきっかけは、実は大した理由がない。

土地鑑のあった新宿〜高田馬場〜池袋近辺で、

通勤に乗換えを要さないのであれば、どこでも良いと思っていた。

とはいえ流石に住むには適当と言えない場所もある。

一方高級住宅街には住み得ないので、自ずとエリアは限定されて来る。


【1】(東京メトロ有楽町線 東池袋駅。当時は当然ホームドアはなかった)

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いくつか見比べたが、最も生活感の薄い雑司が谷の物件を選んだ。

住所は雑司が谷だったが、位置的には池袋駅から不忍通りに

向かって首都高5号池袋線に沿って真っ直ぐ下る大通り沿いで、

北に雑司が谷霊園、東に護国寺と豊島岡墓地という場所だった。

夏の深夜、墓地経由で帰宅すると心なしか気温が下がる気がしていた。


【2】(首都高5号池袋線の高架下)

Lr-3885-3




当時はバブルのはしりで激務が続いていたため、

住まいは寝に帰るだけ、週末も休日出勤か、出かけてしまうから、

無機質で全然OKだと思っていた。洗濯はランドリー頼みだし、

Yシャツ等はクリーニングに出すため、洗濯物を干すこともなく、

陽当たりなんて気にするものではなかった。


【3】(30年前にお世話になったコインランドリーと白洋舎はまだあった!)

Lr-3884-2



新築でそれなりの高層マンションだったけど、自分は当然低層階で、

窓の真近に迫った首都高に遮られ陽当たり皆無、排ガスも激しく、

夜間は改造バイクや車の爆音が高架に反響する部屋だった。


【4】(街路樹と高速道路の屋根)

Lr-3886-3




先立つものがなく、TVも洗濯機も冷蔵庫すらも持っていなかったため、

備付けのエアコンとベッドとビニールの衣装ケースと青いカーテンと

床に置いた乳白色のダイヤル式電話だけの寒々しい1ルームだった。

さしづめ今風に言えば、ミニマリストのはしりだったかも知れない。

ミニキッチンが備わっていたけど、調理器具や食器の類いも

一切持っていなかったので、本当にガランとしていたものだ。


【5】(マンション前はまさにこんな風に殺伐とした感じだった)

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因みにTVは社会人1年目の冬の賞与で大型モニターを購入した。

秋葉原を見て回り、やけに安いSony製品をGetしたが、

TVではなくモニターだったため、別にビデオデッキとスピーカーを

購入しなければならず、却って散財してしまったことを覚えている。


【6】(当時から年季の入っていた靴屋だったがどうやら営業を続けているようだ)

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通勤は、往路に坂下の護国寺、帰路に坂上の東池袋を利用した。

平日は朝抜き、昼夜は会社で済ませ、たまの休日は近所のスーパー

もしくは東池袋の西友・ほか弁等で出来合いを調達するか、

東池袋駅上にあった牛丼屋、カジュアルレストランで済ませていた。


【7】(Top画像にも使った「風見鶏」。随分利用したよ)

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味気ないようにも捉えられがちだけど、貧乏学生の時代は、

人にもらったビスコだけで1週間暮らしたこともあったから、

それに比べれば、安定収入があって夢のようにリッチな精神状態だった。


【8】(近所のお宅の庭先で)

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飲み物はマンションの入口に自販機が設置されていたため、

多くの場合はそれで渇きを癒していた。何年か後に同期入社の女性が、

寿退社する際、不要になった小型冷蔵庫を進呈してくれた。

しかし冷蔵庫のない生活スタイルが確立していたため、

冬は節電で使わず、夏季のみ下駄箱代わりにビジネスシューズを入れ、

キンキンに冷えて爽快な足元を演出し出勤していた剛の者だった。


【9】(雑司が谷霊園脇にある此花亭)

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全く馬鹿げた生活だった。でも忘れられない4年間でもある。

毎日深夜まで働いたが、それを苦とは思わず、

とにかく脇目も振らずただがむしゃらに仕事を覚えようとしていた。

その甲斐あって、徐々に蓄えもでき生活も安定し、スーツやコートや

シャツやシューズやバッグなども増えて、単車まで購入できた。


【10】(裏通りにて、大谷石の蔵)

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世の中にはバブルの胎動があり、少しずつ世情が狂い始めていた。

先輩に連れられ深夜六本木の裏通りのディスコに繰り出した。

日比谷にさえディスコがオープンし、会社仲間で通ったり、

銀座の場末のクラブに出かけたり、時に接待で朝まで豪遊したり、

タクシー待ちで4時間以上も靖国通りをうろうろしたこともあった。

でも自分はいつも醒めていた。狂うことにさえ厭きていた。


【11】(都電荒川線 東池袋駅)

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醒めて白けた気持ちに、あの無機質な東池袋の街が寄り添った。

倒れそうな弁当屋、閑散としたち産ストア、深夜の吉野家、

シンナー臭いコインランドリー、日本語の通じない総菜屋、

スモークガラスの大型車が乗入れる整備工場、隻眼のカラス、

救急車のサイレン、濁った眼の店番がいるレンタルビデオ屋、

舞う埃、下水とバスクリンの交じる匂い、草臥れた路面電車、

銃弾痕のあるさびれた喫茶店、そしてふり仰げばサンシャイン。


【12】(サンシャインと当時はなかった高層マンション群)

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平成と元号が替わった年の春、この街を出ることになった。

それは一緒に暮らすパートナーが出来たため、

生活環境の良い郊外の街に引越すためだった。

あれから、四半世紀以上の時が流れた。


【13】(此花亭付近にて1)

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あの街はまだ30年に近い時の彼方に留まっているかのように、

相変わらず無機質な表情を浮かべながら、記憶の中の姿そのものを

歳をとってしまった自分に訴えかけてきたかのようだった。

時としてこんなタイムスリップは、記憶の最深部にごく微かな波を立てる。

そして、不思議な回想を呼び起こすことになる…。


【14】(此花亭付近にて2)

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みなさんにもきっと、こんな物語があるはずだ。。。



※LEICA M Monochrome(Typ246) LEICA Summicron 35㎜/f2 ASPH.

(了)
Posted at 2017/02/26 19:20:40 | トラックバック(0) | 雑記・備忘録 | その他

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「↑×2 なぜか以前の投稿が再掲されてしまいました。新年早々失礼しましたm(__)m」
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