前回のブログはルーカス目線でした。今回はディズニー目線?制作側の興味深い記事を読みましたのでUPしたいと思います。お時間ある方はご一読を…
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今後のスター・ウォーズシリーズをプロデュースするキャスリーン・ケネディ。これまでのキャリアで93作品を手がけている。
映画プロデューサー、キャスリーン・ケネディは、これまで山ほどの映画の企画を耳にしてきた。スティーヴン・スピルバーグ監督とは何十年も力を合わせて『E.T.』、「インディ・ジョーンズ」シリーズ、「ジュラシック・パーク」シリーズを世に送り出した仲だ。だから、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を撮るために設立した会社ルーカスフィルムの代表にケネディが就いてすぐに、ジョン・ノールがケネディのオフィスに飛び込んできたのも驚くにはあたらない。それはむしろ、ワクワクすることだった。
ノールもまた、業界の大物のひとりだ。ルーカスフィルムのチーフ・クリエイティヴ・オフィサーとして、とりわけ1990年代に公開された『スター・ウォーズ 特別篇』や映画版「スター・トレック」シリーズのヴィジュアルエフェクトを手がけた。また画像加工ソフトPhotoshopの開発者のひとりとしても知られている。
2012年のことだ。当時、ルーカスフィルムがスター・ウォーズの新作を製作することはすでに決定していた。「ちょっとしたアイデアを思いついたんだ」とノールは言った。「『新たなる希望』のオープニングで語られる、デス・スターの設計図を盗んだ反乱軍のスパイの話なんだけど」
もちろんケネディは、ノールの言うことをすぐに理解した。エピソードIV『新たなる希望』のオープニングで、宇宙の彼方に流れてゆく説明文に「反乱軍のスパイは帝国の最終兵器デス・スターの極秘設計図を盗み出すことに成功した」という一節があるのだ。この設計図を追って反乱軍と帝国軍が争い、物語が展開する。いわゆるマクガフィン、物語のきっかけである。それ以降、スパイは一度も話に出てこない。スパイはどうなったのだろう?「面白いじゃない、ジョン」とケネディは言い、すぐにゴーサインが出た。スター・ウォーズの新作製作はこうして決まった、らしい。
だが、2015年12月18日に全世界一斉公開された新作は、ノールの言うスパイの話ではない。J.J.エイブラムス監督のエピソードVII『フォースの覚醒』は、ダース・ベイダーの子孫をめぐる物語だ。ノールのアイデアは16年12月公開の『ローグ・ワン』に生かされることになった。これは単独のスピンオフ作品、ルーカスフィルムの用語で言えば、「サーガ」に対する「アンソロジー」作品である。
ルーカスフィルムが『新たなる希望』と呼称しているにもかかわらず、一般的にはいまだにただ『スター・ウォーズ』と呼ばれることが多いあの映画が公開されたのは、1977年だった。『新たなる希望』とその続編(およびTV映画やアニメやおもちゃや布団カヴァー等々)は、大衆文化のなかに深く浸透した。
そして、2012年にルーカスフィルムを40億ドルで買収したウォルト・ディズニー・カンパニーによると、過去40年にわたるスター・ウォーズシリーズは序章にすぎないそうだ。ディズニーはさらなる続編を製作しつつある。壮大な計画だ。観客がチケットを買ってくれる限り、毎年スター・ウォーズの新作を発表し続けるという。スター・ウォーズは永遠に続くシリーズとなるのだ。
《中略》
ビジネスの話からはちょっと離れ「シェアード・ユニヴァース」共通世界設定映画には、これまでハリウッドには見られなかったような新たな発想が必要とされる。従来の作家主義的な映画やブロックバスター映画(膨大な製作費をかけた大作)の物語技法ではなく、コミックやTVの物語技法に基づく発想だ。そのモデルを映画に用いるのは容易ではない。これまでとは異なるタイプの脚本家や監督が求められるし、どのように物語を構築するかという点でも意識の転換を迫られる。マーベルがそのプロセスの原型をつくり、ルーカスフィルムがそれを産業化しようとしているのだ。
興味のない人は笑うかもしれないが、スター・ウォーズを熱愛する観客は、「ファン」などという生易しいものではない。「信者」だ。信者は自分こそが選ばれしスター・ウォーズの理解者であるかのように思っていて、それがシリーズの再構築をより困難なものにしている。「最初のミーティングで、J.J.(エイブラムス)に聞かれたわ。どんな感じでやればいいんだろう、って」とケネディは言う。
その質問に、ケネディのブレインたちはこう答えた。ここがすべての始まりだという感覚をもつこと、そのような危機感をもちながら、なおかつユーモアを失わないように、と。『帝国の逆襲』や『ジェダイの帰還』の脚本を書いたローレンス・カスダンとともに仕事をするうち、エイブラムスのリストにまた別の項目が書き加えられた。「わたしたちが求めていた感覚は旧3部作ものものだった」とカスダンは言う。「楽しくて、エキサイティングで、何もかもがめまぐるしく動き回っている、あの感覚だ。そのことに異議はないだろう」
ケネディのメインオフィスはサンフランシスコにあるが、最近はロンドン郊外にあるパインウッドスタジオのスタンディングデスクで時間を過ごすことが多い。その7つの特設セットにまたがって『ローグ・ワン』(2016年12月16日公開!)の制作が行われている。ケネディの前にはエイブラムスが『フォースの覚醒』の編集作業を行っている編集室やサーヴァーファームに接続された4Kスクリーンがある。廊下の向こうでは『エピソードVIII』(2017年12月15日公開!)と、若き日のハン・ソロや悪漢ボバ・フェットのスピンオフ作品の準備作業が鋭意進行中だ。もう、しっちゃかめっちゃか、という状況だった。わたしはケネディに「これを全部きちんと動かすには、思い入れだけではどうにもならないでしょう」というようなことを言った。
するとケネディは、「あら、全部きちんと動いていると思ったの? そんなふうに見えたのならうれしいけど」と笑いながら答えた。「全然よ。改善しなければいけないことが山ほどあるの。ちゃんと見通しが立っていることなんてひとつもないわ。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』のセリフでいえば、『出たとこ勝負だ』ってところね」
ここで、1978年に戻ろう。ローレンス・カスダンがジョージ・ルーカスに『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の第1稿を手渡している(あの映画の脚本もカスダンが書いたのだ)。ルーカスはデスクでその脚本をパラパラとめくる。このときルーカスの頭にある考えが閃いた。『スター・ウォーズ』の続編の脚本もカスダンに頼んだら? 脚本を依頼していたリイ・ブラケットは癌で亡くなってしまった。撮影のセットはすでにつくられつつあったのに、脚本ができていない。
「まずは『レイダース』の脚本を読んでください」とカスダンは言った。
「今夜読ませてもらう」とルーカスは答えた。「もし気に入らなかったら、明日断りの電話を入れるよ」
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スター・ウォーズ制作裏話のひとつ。カスダンは6週間で脚本を書き上げた。そのいちばんの名場面は? 「ジョージに『ダース・ベイダーがルークの父親だ』と教えられたときは、『本当に!?』と聞き返してしまったよ。そんなすごいアイデアは聞いたこともなかった」。
『帝国の逆襲』はあくまで第2幕なのだとカスダンは知った。映画、とりわけSF映画には、お約束というか、物語をつくるうえで有効な手法がある。脚本執筆の基礎的な技術だが、映画は発端・中盤・結末の3幕構成になっていて、幕と幕との間にストーリーの転換点であるプロットポイントが来る。そして第3幕では、第1幕で注意深く提示された問題が総括され、解決に向かう。
『新たなる希望』にもその3つの要素は見られるが、『帝国の逆襲』は、それ自体がより大きな上部構造の第2幕になるのだとカスダンは理解した。「第2幕がいちばん重要なんだ」とカスダンは言う。「何も解決せず、最後に巨大な謎が提示されるのが第2幕だからね」
それではここで、とにかく2012年へジャンプしよう。ここでもカスダンがルーカスと話している。ケネディも一緒だ。ルーカスとケネディは、カスダンに新たな(新たな!)スター・ウォーズの脚本を依頼している。ルーカスが、長年温めてきた数々のアイデアを明かす。「このなかのどれかを書いてほしい」と2人はカスダンに言う。カスダンは少年時代のハン・ソロのエピソードを選ぶ。「ハン・ソロは憧れのキャラクターなんだ」とカスダンは言う。
こうして3人は再び手を組んだ。だが、カスダンにはもう少し聞きたいことがある。『エピソードVII』の製作にもカスダンはかかわっていたのだろうか? エイブラムスに監督を引き受けるよう説得したのはカスダンだったのだろうか?
実は『帝国の逆襲』と同じことが、ここでも繰り返されていた。脚本を担当する予定だったマイケル・アーントが辞退したのだ。すでにスタッフが雇われ、大金が費やされていた。こうしてエイブラムスとカスダンが脚本を引き継ぐことになった。
「2人で延々と歩き回っては会話をiPhoneに録音して、ストーリーをブレイク(構想)していったんだ」と、ハリウッドの業界用語を交えながらカスダンは言う。「足が棒になるほど歩き、話し合った。サンタモニカ、マンハッタン、ときにはパリやロンドンでもね」。ハン・ソロ、チューバッカ、ルーク、レイアの再登場は絶対に外せないと思った、とカスダンは言う。「初日にわたしが言ったのは、『ワクワクすること』が合言葉だってことだ。どの場面をつくるにしてもそれが基準だってね。ワクワクするだろ?」
言うまでもなく、エイブラムスとカスダンにはこれまでにないプレッシャーがのしかかっていた。2人が書いていたのは続編ではなかった。まったく新しい始まりと結末をつくり出さなければならなかったのだ。「少なくとも3本の映画の発端になるような物語をラリー(カスダン)とぼくが考えなければならないんだと思うと、プレッシャーどころではなかったよ」とエイブラムスは言う。ハリウッドの映画会社はどこもベルトコンベヤ式の大量生産をよしとしてきた。だが、エイブラムスとカスダンが気づいたように、これまでと違うものを生み出すためにはこれまでのやり方ではダメなのだ。
《中略》
スター・ウォーズでも同様に、緊密な協力関係がつくられている。エイブラムス監督をサポートするのは、もちろんカスダンとケネディ、そして各メディアのストーリーの整合性をチェックするルーカスフィルムのストーリー担当部門だ。さらに、今後つくられる映画の準備にあたる人々もいる。複数のストーリーに矛盾が生じないよう、これらのスタッフ全員が連携しなければならない。
かつてTVドラマ「エイリアス」と「LOST」を製作したエイブラムスに、「新たな映画シリーズの第1作を撮るのは、TVシリーズのパイロット版をつくるのに似ているのかな?」と質問してみた。「まあね。でもTVのパイロット版には、視聴者がすっきりするような結末は求められないところが少し違うかな」とエイブラムスは答えた。「TVだと、続きは来週をお楽しみに!とすればいいけれど、映画では少なくとも、何かしら満足感のある結末を付けなければいけないからね」
40年に及ぶスター・ウォーズの数々の物語は、ほとんどがひとつの本質を共有している。「小道具にも、セットの背景にも、色の選択についても、常に話し合っているわ。『違う違う、そんなのはスター・ウォーズじゃない!』なんて言いながらね」とケネディは語る。「それがジョージを本能的に突き動かしていたことのひとつだったんじゃないかしら。冗談っぽい言い方になるけど、それが“フォース”だったのかもね」
冗談のようだが、確かにそうかもしれない。
エイブラムスと『ローグ・ワン』のギャレス・エドワーズ監督はともに、撮影を始めたばかりのころ、スター・ウォーズのセットでめまいにも似た感覚を味わったこと、ハン・ソロの衣装に身を包んだハリソン・フォードやストームトルーパーの大群を前に、体が痺れたことを認めている。
2人とも、じきに仕事に慣れていったとはいえ、より大きな何かの存在をずっと感じていたという。詳しくはオフレコだが、雨の多いイギリスである巨大セットの陰で雨宿りをしているエドワーズは、ディーゼルの煤で真っ黒になり重そうな機材を担いでいたが、実に幸福そうに見えた。「この世界をよく知っている気がするんだ」とエドワーズは言う。「なんだか故郷に帰ってきたみたいだ。空想のなかで生きている場所にね」
誰もが、これは単なるシリーズを超えた何かだと表現する。そこで語られるのは「パラコズム」、すなわち心理学でいう「空想世界」のことだ。多くの子ども、とりわけ創造性豊かな子どもは、それをもっている。作家もそう。実際には描かれていない出来事すら、スター・ウォーズの世界で本当に起きているかのように。
『新たなる希望』では、ちょうど現代のマーベルやDCコミックの映画と同じように、それとない暗示が効果的に用いられている。だが『新たなる希望』では、それらの暗示は実在しない正史への言及なのだ。40年近くストーリー設定が積み重ねられたいまとなっては忘れられがちだが、帝国、元老院やクローン戦争といった言葉が最初に映画に登場したとき、わたしたちはそれらが一体何なのかを知らなかった。「『新たなる希望』を観ると、スクリーンには表れないさまざまな出来事があることに気づくでしょう」とルーカスフィルムのストーリー担当部門を率いるキリ・ハートは言う。「それが現実感を生むのです」。
『ブレードランナー』の異星移民募集の広告や『エイリアン』のウェイランド・ユタニ社のロゴのように、観客には意味不明だが作品世界では広く知られているという設定にすることで、それらの概念は現実感を増す。ファンタジー小説やTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の冒頭に、その架空世界の地図が掲げられるのもそのためだろう。
エイブラムスの映画版『スター・トレック』は傑作だったが、エイブラムス自身は子どものころ、理知的で科学的で勇猛果敢なスター・トレックの世界はあまり心に響かなかった、と明かしている。
では、スター・ウォーズは?
エイブラムスと2〜3分話しただけで、1977年の第1作を観た幼き日の彼が、魂の半分を惑星タトゥイーンに置いてきてしまったこと、そしていま、わたしたちを同じ場所に連れて行こうとしていることがよくわかる。同じ場所とはつまり、TIEファイターやXウィング、ライトセーバーや可愛らしいドロイド、超スピードのチェイスがある世界のことだ。そしてまた、ユーモアや優しさ、ロマンス、冒険、スピード、そして主人公を待ち受ける運命といったものも。
さらに、エイブラムスら新生スター・ウォーズのスタッフには、有利な点がひとつある。「時間」だ。といっても、制作期間のことではない。スター・ウォーズが生まれてからの長い時間のなかで、わたしたちは完全にそのパラコズムに馴染んでいる、ということだ。
スター・ウォーズの世界では常に時間が流れている。ハン・ソロ、レイア姫、ルーク・スカイウォーカー、そして旧3部作で彼らを演じた俳優たちは、未熟な若者から経験豊富な老人となり、文字通りの意味で、物語が若い世代へと受け継がれてゆく。
『フォースの覚醒』には、老人が若い登場人物にライトセーバーを授ける名シーンがきっとあるだろう。スター・ウォーズの世界は、ルークが最初のデス・スターを破壊する前後にわたる歴史を内包しているのだ。
「『ローグ・ワン』について言えば、わたしたちがつくっているものは本質的に“時代物”なんです」とハートは言う。「時代をずらして追加エピソードをつくることの利点は、つくり手が自由に世界を拡張できることです」
どのシェアード・ユニヴァースにも、拡張の余地はある。だがスター・ウォーズのパラコズムは特殊な構造をもっていて、それは物語の一瞬一瞬から興奮を引き出し、いわばX軸上に拡大される。それに対してコミックの作品世界は、Y軸またはZ軸上でのみ拡大される。つまり、単にキャラクターや舞台の数が増えていくということだ。
アイアンマンはしばらくの間はロバート・ダウニー・Jrが演じるだろうが、そのあともマーベルの映画をつくりたければ、新たなアイアンマンか新たな世界をつくらなければならない。それが悪いということではない。ただ、そのやり方ではスター・ウォーズは別のものになってしまうということだ。
「スター・ウォーズは、それ自体がひとつのジャンルなんだ」とカスダンは言う。「すべてのジャンルがそうであるように、スター・ウォーズも、どんなアーティストやストーリーをも受け入れることができる。『汝が為すこと、それこそがブッダである』という言葉があるが、スター・ウォーズも同じだ。そこには無限の可能性がある」
スター・ウォーズとはいかなるものであるかを、ルーカス以上に定義しうる人間はおそらくいないとカスダンは知っているはずだ。やや皮肉なことだが、カスダンがこれまで書いたセリフのなかでも気に入っているという1行は、スター・ウォーズではなく『レイダース』のものである。ケネディも同じところを引用していたが、「出たとこ勝負だ」というセリフだ。「あなたもわたしも、人間はいつだって出たとこ勝負だ。つまり、どう行動するか、生きていくうえで何を望み、何を望まないのか、どのように自分の人生をつくっていくか、そういうことだ」とカスダンは言う。「それはとても心強く、刺激的な考えだろう。自分で自分の人生をつくっていくことより大きな冒険はないのだからね」
それこそ、まさにジョージ・ルーカスが1970年代初めにしていたことなのだ。パイロットとして非凡な才能をもつ農夫の少年が世界を救う聖戦士となるという、ルーカスのなかに生まれ出つつあったパラコズムは、ルーカスの仲間たち(師匠のフランシス・フォード・コッポラも含め)がつくろうとしていた、荒々しく暴力的な物語にはそぐわなかった。
ルーカスの手元にあったのは、その長い物語の概要書だけだった。素朴でノスタルジックな物語だったが、奇妙な固有名詞やありきたりな展開のなかに、本物のヴィジョンがあった。「製作費は800万ドルだったわ。ジョージは大ヒットするなんて全然考えていなかった」とケネディは言う。「あれは、ジョージにとってとても個人的な映画だったの。彼自身、あの映画の意味を探し求めていた。あれは確かに、ジョージ・ルーカスという人間そのものだったわ」
それはまた、ケネディが直面している未来でもある。誰かが心から愛し、またわたしたちを熱狂させた世界の創造を受け継ぐこと。それは、他人が設計した教会の大聖堂を建設し続けること、あるいは何世代も続く宇宙船の指揮を執ることにも似ている。光栄なことだが、大変な重圧でもあるだろう。ケネディはそのキャリアのなかですでに100本近い映画を製作しているし、それは恐竜や光線銃の出てくる映画ばかりではない。ケネディはもしかしたら、ルーカスフィルムに、何かまったく新しい別の映画をつくらせようと考えているのではないだろうか?
「それについては、ディズニーの人たちとも話し合ったわ。アラン(・ホルン、ウォルト・ディズニー・スタジオズ会長)はとても熱心に耳を傾けてくれたけれど、同時に、まずやらなければならないことがたくさんあるとも言われたし、その通りだと思う」とケネディは言い、一息置いてからこう付け加えた。
「そのときが来たら、『インディ・ジョーンズ』の新作にも取りかかりたいわね」
☆★☆おまけ☆★☆
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ウィルヘルムの叫び(名付け親は音響監督のベン・バート)