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☆♪りょ~ちゃん♪☆のブログ一覧

2006年11月12日 イイね!

最後の菅田伝説 ~ラストダンス~

『最後の晩餐(後編)』

実は車の引き渡しとなるこの日までの間に二人は記念撮影にとばかりにE38A RS 2台でのドライブに行っていたのであった。

僕が自宅から中央道へ向かい、菅田宅に行き、そこから2台でのドライブが始まった。

中央道~小淵沢~某高原道路~パープルライン~佐久~軽井沢~菅田的裏道~藤岡~R17といったコース。

実は双方とも別々ではあるが何度も行っているコース。言わばドライビングコースというものなのだろうか。

談合坂PA。ちょうど昼食時となりここでひと休憩。
駐車場が見渡せるファミリーレストランにて昼食をとる。
1時間くらいいただろうか、落ち着いたところでココを出ることにした。

2人でしばらく怪しげな撮影会を談合坂PAの駐車場にて繰り広げ、双方気が済むと車へと向かった。それぞれ自分の愛機に乗り込みエンジンをかけると目の前をド派手な車が通り過ぎた。

最初に気付いたのは僕の方だった。
「ディアブロSVだ!」

何か妙な空気が流れたな~と思って菅田ギャランの方へ目を向けると、中にいる菅田先生がやっぱりというか、例によって確信犯的な笑みをこぼしてこちらを見ていた。

「ん?」
解ってはいたが、やはりというか談合坂PAの出口に向かって菅田号が走り始めた。
そう、あのランボルギーニディアブロを追いかけて・・・

「またかよ。ってゆーか速いって。」
こっちの空気も全く読むことなく菅田先生は行ってしまった。
僕も慌てて発進し、出口へと向かった。

僕が出口の本線合流の加速レーンに車を向けた頃には菅田号は既にフルスロットルで加速していた。僕も後を追うようにフルスロットルで加速する。ギャランのジェット機のようなターボパワーであっという間に180km/hに達しリミッターに触れようとしていた。

菅田号とディアブロSVは付かず離れずのバトルを繰り広げている。ここから先はしばらく登坂路が続く。追越車線と言えども180km/hに達するような車速で走っている車にとってすぐに前走車に追いつき、減速を余儀なくされてしまう。

そういった状況の中で加減速を繰り返している両者に追いつくまでそう時間はかからなかった。

「このディアブロSVを追い抜くためにはこれしかない!」

僕は左へ一気にレーンを移し、登坂車線へ車を向け、更に加速する。
菅田号を左から抜き去り、いよいよディアブロSVをしとめてやろうと思った。

この時の僕は、ここしか3車線はないとばかりに勝負にかかった。
しかし、間も無く河口湖へ向かう道路が現れ、周りの車も見え出したことから、これ以上は無理をせず諦めた。その時はもう2車線になっていた。

笹子トンネルを走っていると僕の車の振動は半端ではなかった。この当時は解らなかったのだがきっと足が完全にヘタっていたのだと思う。何せ、笹子トンネルを走っているときに何度か天井に頭をぶつけていたのだから。

そうして、併走したりしながら時にはカメラを片手に勘で撮影してみたりした。



小淵沢に到着し、ドン突きを右に曲がり、少し道路を登った辺ぴな所に料金所がぽつんと建っている。ここで幾らか通行料を払い、本線が真っ直ぐ進んでいるところを左にそれる地元道があり、そこを曲がって行く。

しばらくするとかなり広いダート道へと出る。ここは生活道路らしく実にキレイなダートであたかも北海道のそれのような広さとフラットさであった。ここにくると僕の車の走りが急激に変化する。

ダート仕様のせいなのか、ヘタっているアシでも菅田号を追い回せるのだ。これのは当の本人も驚いた。こんなにダート路面で安定するなど思ってもみなかったからだ。

後に菅田先生はダート路での走行をこう語っている。

菅田「ウッキー、ダートに入ってから凄かったな~。急に速くなったから驚いたよ。まさか追っ駆け回されるとはね。」

ダート路が終わると、2車線の舗装路となる。元々はダート路だったのだがそこは生活道路。だんだん舗装化されているのだ。そこを走り抜けると別荘地へと出る。
更にその別荘地を奥に進むと大きな道路へ出る。そこは通称パープルラインと言う。

ここを北上し、飛ばすこともなくゆっくりと景色を堪能し、とあるスキー場のある交差点を右に曲がると後は佐久方面へ向かうのみだ。

佐久からはいつも通りに軽井沢へ向かい、中軽井沢の駅前にある『かぎもとや』にておやつとばかりに蕎麦を放り込み、星野へ向かう。温泉から白糸料金所までのダート道は必ずと言っていいほど軽井沢に来ると走っていた。

所詮はラジアルタイヤのノーマルで流す程度に走るだけだが、季節問わず実に楽しかった。ここは生活道路である上、1台分の道幅しかないゆえ、ブラインドは攻めると言えるほどのことでもなかった。





最後は碓氷旧道でのダウンヒルである。正直、菅田先生と2台での下りは緊張していた。
菅田先生が先を走り、僕が後から追い駆ける。僕がココを毎週のごとく走っていたため、圧倒的に僕の方が有利だったのか菅田先生はめがね橋手前で音を上げてしまった。

そうして2台のE38A RSが揃う最後の晩餐はこれを思い出に終わり告げた・・・



※高速道路での左からの追い抜きは法的に禁止されています。安全運転で走りましょう。
Posted at 2006/11/12 21:21:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 菅田伝説 | 日記
2006年11月12日 イイね!

最後の菅田伝説 ~その後の2人~

『最後の晩餐(前編)』


~これは僕が菅田先生の愛機を僕が譲ってもらった頃の話です~



菅田先生が愛機を僕に譲ったのには実は訳があった。あれだけ好んで乗っていたE38A RSを簡単と行かないまでも手放したのだから何かしらの理由はあって、当然とも言えた。
ただ、この時の僕には全く想像できるものではなかった・・・

ある日、菅田先生から僕のPHSに連絡が入り、いつもお世話になっている三菱のディーラーに来てくれとのことだった。そう、ここは僕自身もお世話になっているディーラーなのだ。菅田先生が三菱と言うメーカーに興味を持ったときからの付き合いである中島さんという方が今はここの店長である。僕も少なからずお世話になっているお方なのだ。

・・・余談ではあるが、この中島さんは菅田先生が知り合った当時、ディーラーメカニックをしており、少なくともメカニックとして将来展望があったと聞いたことがあるが、営業に入った結果、ご本人の意思はどうなのか解らないが店長になったのだ。・・・

そんな関係の中、菅田先生と僕は新小岩駅で待ち合わせをし、菅田先生の愛機で三菱のディーラーへと向かった。中島さんがいつものように僕らをテーブルに案内し、僕らもいつもどおりそこに座った。

中島「コーヒーでいいかな? ちょっと待っててね。」
そう言うと、中島さんは奥に引っ込み、女性の方がコーヒーを用意してくれた。

中島さんが1枚の紙を持って奥から戻ってきた。
テーブルに置いたその紙をよく見てみるとそれは商談後の契約用紙だった。

「先生、車買うんですか!?」

菅田「実はね・・・(笑)

予算的に厳しく新車なんて考えられないと言った菅田先生が、ギャランをメンテナンスして長く乗るんだといったあの菅田先生が新車を今ココで買おうとしているのだ。

僕はなんとまぁ、あっさりとその場に連れて来られてしまったことにぐうの音も出なかった。

「なんてことだ・・・」

ようやく事態が飲み込めた。車を全く買う気ないと言っていたことを素直に信じていた僕が馬鹿だったのか!? ・・・いや、そんなハズもない。きっと菅田先生が愛機を受け渡すだけ心を動かす何かがあったに違いない。僕はそう思った。

驚きの気持ちを隠せず、ドキドキしながら契約書を遠めに盗み読みしてみた。

「ラン・・・?」

「先生、ランエボ買うんですか!? えッ! マジで!!??」

流石にこれは驚いた。なんとGroupA最終型の通称エボ6.5と言われる車で、当時のワークスチャンピオンドライバーのトミーマキネンの名前が冠になっているターマックスペシャル仕様の車だった。

僕がただただ驚いたのには実は他にも裏づけ的な理由がもうひとつあった。
以前、僕が車に興味を持ち始めた頃、ランエボ5がデビューすることがキッカケで初めて『ベストカー』という雑誌を買った。

ランエボは文字通りの進化系マシン。常に進化を続けるマシンなのだ。そんな中にあって、今回のエボ5はニューボディになってからの第2弾。おまけにこの時代では古風とも言えるボクシーなオーバーフェンダーに3ナンバー。ダンデライオンイエローと言われる眩しい黄色をイメージカラーとして鮮烈なデビューをした。

僕はメカに全く興味を示さず(多少は覚え出したが基本的にそれは今も変わらず。)ただただその勇ましいスタイリングに惚れ込み、それこそ馬鹿みたいにアイドルの写真集を見るかのごとく読み返して、もうその雑誌はボロボロになりかけていた。

当然、僕はそれを菅田先生に言わないわけもなく、例によって職員室に行き、話を聞きに言った。

「菅田先生、知ってます? 間も無くエボ5がデビューするんですよ。」

菅田「いやぁ、流石に今回のエボには心が動いたよ。でもあめーナ、もう既に見積もり出してもらっているよ。」

ちなみに「あめーナ」は菅田先生の口癖で、生徒に自慢し返す時などに良く使っていた。

「えッ!? もう見積もりしたって? 買うの??」

菅田「いや、まだ買うなんて決まってないよ。かみさんに相談してみないとな。買いてーけどな。」

・・・そんなやり取りがあり、結局この当時、菅田先生は色々と諸問題もあってか買うのを諦めたらしい。

な・の・に! TMエディションのエボの契約を今、それも僕の目の前でやっているのだ。ありえね~と思った。僕は菅田先生にやはり質問してみたくなった。

「あれだけ新車は買わない。・・・っていうか、買えないと言っていたのに、どうして買えるようになったの?」

今にして思うといかにも生徒らしい、超ド級の失礼な質問なのだが、菅田先生は普通に答えてくれた。

「そりゃ、説得するのは大変だったさ。まずはな、かみさんに向こう10年車を維持するのにギャランだとこの先、色々金がかかることを話し、今回新車を買うことによって10年間車をまた維持出来るじゃない。あとね、こんなランサーはこの先もう二度と出ないと思う、最後の『ランサー』なんだ。そう言って説得しきったよ。」

僕はそれを聞いて心の中で実にウケた。何故なら、きっと、理由は後者の方が菅田先生本人にとって遥かに重要であって、買うことへのプロセスに『説得』があったに過ぎないのだな。と思えたからだ。

しかも、契約したその車は三菱ディーラーにあるストック最後の1台。しかも『RS』。
これだけでもマニアな菅田先生らしいのだが、更に予算の都合もあってか?ルーフが薄板仕様になっていたり、リアスポがなかったり、サイドスポイラーがなかったり、エアロというものが全くなかった。リアから見たソレは一見すると商用車っぽくも見え、ド太い重低音のマフラーからソレと判断できるような怪しい仕様だった。実際確かに『RS』にすることによって『GSR』より100kg近く違うと聞くし、値段も簡素な分安かった。
なるほど、菅田先生らしい合理性と言えた。

数日が過ぎ、納車の日となった。納車の日は僕が同時に菅田先生の愛機、E38A RSの2代目オーナーとなる日でもあった・・・
Posted at 2006/11/12 03:38:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 菅田伝説 | 日記
2006年06月03日 イイね!

今月の某PD誌。

競技ベースを街乗りする「愉しみ」

っていう題で書かれている記事があるんですが、読まなくともこのフレーズを聞いてすぐ頭に浮かんでしまった人がいます。

そう、某教師グッド(上向き矢印)exclamation×2 菅田先生ですよ。

学生だった僕をギャラン『RS』に乗せてフェ○ーリ348tbを追撃したアノお方・・・

まさに、ソレを実践しているではないですか~冷や汗手(チョキ)



ちなみに、今の先生の愛機はランサーエボリューション6しかもTM仕様車exclamation 当然『RS』exclamation×2 ・・・しかも薄板仕様。更にエアロが全てなしげっそり

パッと見、商用車??と知らない人が見たら思ってしまう・・・
しかし、やたらと重低音な排気音。リアの出っ張ったご立派なフェンダー・・・ 後ろだけ見て煽ったりなんかしたら危険な車でっせあっかんべーグッド(上向き矢印)るんるん 何せ、何も付いてないから軽いし

と、ある人が頭を過ぎったのでしたわーい(嬉しい顔)手(チョキ)



詳しくは今月の某PD誌をご覧あれ~

P.S.全日本ラリー唯一の関東?いや南東北・・・マツダのラリーはどうなったexclamation&question
Posted at 2006/06/03 13:21:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 菅田伝説 | 日記
2006年05月14日 イイね!

書き終わって・・・

菅田伝説という自伝的ストーリーを書いてみて、今になって思うこと。

それは相手の腕は別として自己満足に走っていたこと。
だって、今マーチで走ったほうが、あの当時E38A型RSに乗っていた僕より速いから~ッ。悲しいけど涙

でも、あの当時があって今があるから無駄な投資だったとは思わないですよ指でOK じゃなければ、今お付き合いいただいている皆さんとの出会いもなかったわけだし。

ギャランに乗っていたあの当時、いろは坂のDR30やZ32。はたまた、碓氷旧道でのR32とのヒルクライム。ブログには載せていませんが、箱根七曲りヒルクライムでのEG6、ダウンヒルでのエボ4。どれを見てもたまたま相手が僕より遅かっただけで、それに勝ったというだけで喜んでいただけだったから・・・

マーチに変わって、『運転する』という意味ではあの当時のノウハウが有って無いようなそんな程度だったと気付かされてしまったげっそり そういった意味では時間を無駄にしてしまったかもしれない。

奥多摩周遊道路でMR-Sに負けていなかったら、マーチに乗り換えないでギャランよりもっと速いエボ2を買っていたと思う。また丸和で、某ダーキンの運転するキットカーの横に乗っていなければ・・・

そんなことを思い出しつつ、菅田伝説を書いていました。『敵機発見』や碓氷が舞台の『敵機発見Ⅱ』は記憶の中にズーッとあったものなので、学生時代の思い出にと書いてみました。この当時があって今があるのだということも含めて。

・・・って全くまとまりがありませんが、要は当時が遅いくせに自己満足でただ速いハイパワーな車で走っていたことと、今だってヘッポコなのにこの当時は更にバカやっていたな~という思い出を『菅田伝説』として残してみた次第であります冷や汗手(パー)
Posted at 2006/05/14 03:05:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 菅田伝説 | 日記
2006年04月02日 イイね!

本編最終話 ・・・ということでこうなりました。

最終話

『ちゃんとする』

 「○○○、セッティングがちゃんとしてない4駆のターボ車で適当に走るなんて中途半端なことするなら、ちゃんとした車で、ちゃんとしたところで基本から学べ。」

・・・僕は高校の大先輩で、僕の恩師の同級生でもあり、古くからN○SにいらっしゃるHさんのこの一言でマーチから始めようと考えるようになった。

2000年の冬、Hさんに教えてもらい、丸和でのN○Sの練習会の見学に行った。嬉しいことにT社長より「W槻、ちょっと横乗せて走ってあげなよ。」と私を同乗走行に誘っていただいたのだ。W槻さんの格好を見てびっくり、なんと運転するには程遠いウインタースポーツ用のブーツを履いているのである。

当時、僕は俗に言う『林道暴走族』達と遊んだりしていた。そんな輩の4駆ターボの走るスピードを基準で見ていた僕にとって、W槻さん+N○Sキットカーマーチという組み合わせでの走行は、まさに、それまでの概念を覆す衝撃となった。それまで僕が知っていた林道暴走族の4駆ターボよりも、ウインタースポーツ用のブーツで運転するマーチのほうが遥かに速かったのだ。

「『ちゃんとした』ところで『基本』から学ぶと、こういったことになるのか・・・」 僕は決めた!マーチをちゃんと造って、ちゃんとしたところでちゃんと基本から無駄なく学ぼうと・・・



Posted at 2006/04/02 15:08:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 菅田伝説 | 日記

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何シテル?   10/21 23:27
『ちゃんとする』  「ウッキー、セッティングがちゃんとしてない4駆のターボ車で適当に走るなんて中途半端なことするなら、ちゃんとした車で、ちゃんとしたところ...
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これが最後のK11型かな。

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