真岡城〔芳賀城〕(真岡市)
芳賀氏の居城だった真岡城〔芳賀城〕
2023年01月22日
真岡城(芳賀城)は、宇都宮氏との縁戚関係にある芳賀氏(清原氏)の居城です。
真岡小学校が本丸、二の丸、三の丸の跡といわれており、小学校の校門前に説明看板があります。
芳賀氏は益子の紀氏とともに紀済両党と呼ばれ、太平記にも「元より戦場に臨んで命を棄てること塵芥よりもなお軽くす。」とその勇猛さを称された名族です。真岡城の築城には貞治元(1362)年15代高貞築城説(続群書類従)、天文元(1532)年21代高経築城説(広沢家古記録)、天正5(1577)年23代高継築城説(下野国誌)の三説がありますが、高貞が御前城(真岡市田町・現真岡東中学校)から移転築城し、高継が後北条氏の侵攻にそなえ堅固な城郭に改築したと考える説が有力です。
廃城は、宇都宮家が豊臣秀吉によって改易された慶長2(1597)年で、最後の城主は高武です。
寛文11(1671)年11月の『稲葉美濃守様芳賀郡御領分村々明細書上帳』によると、総回り十四町十二間(1534m)、東五町四間(548m)、西四町(440m)、北二町(216m)とあり、五角形の城でした。
現在の大通りは城と町を区切る掘であったが、明治以降拡張し掘り下げられたものです。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.12.27
住所: 栃木県真岡市台町4184
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