上三川城(上三川町)
宇都宮市の一族横田氏、今泉氏の居城・上三川城
2023年01月22日
上三川城(かみのかわじょう)は建長元(1249)年、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築いた城で以来、慶長2(1597)年に芳賀高武に攻められて落城するまで、348年間続いた城です。
宇都宮第五代当主頼綱の次男頼業はまず横田(宇都宮市兵庫塚)に築城し横田家を名乗りましたが、多功城築城の翌年、建長元(1249)年上三川に新たな城を築いて移りました。
以後上三川城主は横田家でしたが、第七代師綱のとき、康暦2年(1380年)、主家宇都宮氏と小山氏が合戦した裳原(宇都宮市茂原)の激戦で師綱とその長男綱業が重傷を負ったため、今泉郷に住む綱業の弟、元朝が上三川城主を継ぎました。
以降、上三川城主は今泉を姓としました。
慶長2(1597)年、宇都宮国綱には息子がいなかったため、豊臣秀吉は浅野長重を養子にするように働きかけましたが、反発した国綱の弟・芳賀高武は、長重を養子にすることに賛成していた今泉高光を攻め、上三川城は落城しました。
現在では、本丸を残し上三川城址公園として整備されています。
元は東西400~500m、南北1,000mの範囲に土手を巡らせた場所(郭)がいくつも並んだ、広大で堅固な構えを見せた城でした。
本丸のまわりには、城主である横田家の墓(善応寺)や今泉家の墓(長泉寺)などの城に関係のある史跡が残っています。
また、本丸の堀には、上三川城落城にまつわる「方目のドジョウ」の伝説が伝えられています。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.12.27
住所: 栃木県河内郡上三川町上三川
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