茨城県の山奥にある明治隧道[月居隧道]
投稿日 : 2016年01月09日
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茨城県大子町に、明治19年(1886年、つまり2016年で130週年)に開通された隧道(トンネル)である月居(つきおれ)隧道が存在する。
2015年の2月に訪問した事を思い出したのでアップしてみます。
この時は12月からスタッドレスでしたが、今年は未だサマータイヤです。
以下、当時を振り返る関係者風に月居を解説します。
…(前略)月居山は茨城県久慈郡大子村、現在でいう大子町に位置する男体山に在りまして、応永の時代には袋田氏が月居城を築いて、袋田氏の本家である佐竹氏が入城した訳ですが、後に秋田に転封された際に主を失い、月居城は廃城となった訳でして、現在は郭の遺構のみが確認出来る有様です。
…(中略)こういった経緯もありまして、明治16年に水戸の罪人300名によって昼夜を徹しての突貫工事が行われた訳であります。この地は岩盤が堅い上に、水が頻繁に湧き出ましたので工事は困難を極め、度度中断したと伝えられております。
3年後の明治19年に2.3町(250m)の月居隧道として開通した訳でありまして、長らく大子町の産業交通を支えておりました。
昭和27年にコンクリート吹付やコルゲートパイプによる補強を受けておりますが、自動車が普及してきますと何分明治時代からの隧道でありますので、すれ違う事が出来ません。
隧道の中で車両が鉢合わせてしまうと、果してどちらが退がるのかという問題も度度ありまして、入り口に信号機を設置する策をとった訳であります。
昭和51年には国道461号線に新月居トンネルが開通しまして、月居隧道の利用者は瞬く前に減りました。
程なく、月居隧道のある県道日立大子線は国道に上がる事無く一般道に降格致しまして、現在は利用者のいない廃道と化しておる訳です。(後略)
今はもう信号機は撤去され、旧県道は入り口にAバリケードがおいてあります。
といっても轍があるように、数少ないながらも車両が通ります。
一部、山の道 様より引用させて頂きました。
http://yamanomichi.com/tsukiore
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この先に、上のような隧道があります。
Aバリケードはあるものの、半分しか塞いでいないので車での通行も可能です。
一時期封鎖されていたというハナシもありますが…。
民家はいくつかありますが、殆ど…というか全て空き家にも見えました。
通行する車は地元の方が殆どと思います。
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隧道の入り口付近、脇手には水道管と支持木が見えます。
まさか、これを手すりだとかは言わないと思いますが。
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隧道の内部は真っ暗です。
250mありますので、当然灯りがありますが実質廃道化してからは照明を落としているようです。
恐らく信号機撤去と同じ時期と思われます。
他の方のブログを拝見すると、2013年11月までは存在し、2014年1月までに撤去されたようです。
内部は昭和27年の改修工事によってコンクリート吹付となっていますが、それまでは素掘りであったと思われます。
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シーダーのお遊び備忘録 様より引用しました。
http://blog.livedoor.jp/cedar_field/archives/51920622.html
信号機がある方が不気味ですね。
というか、反対から来ても待避スペースがありません。
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隧道を出た先のAバリケード。
どかされていて、バリケードとしての役目を果たせていない。
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ところで、隧道の前にかかっている橋。
月居橋という、もう使われていない水路橋です。
石造りで特に補強もされていませんが、老朽化はあまり見られません。
築年数は不明です。
登って撮影してみました。
雪がありましたが、こういうモノを見る魅力の方が上ですね。
どこまで続いているのか、あるいはもう続いていないのか。
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手前には小規模の落石の跡。
水路の中には小さいですが立派な樹木が生えており、使われなくなってから長い年月が経っていることを現しています。
写真だと分かりにくいですが、この水路の壁は2m近くあります上に行き来を考慮されておりませんので、一度中に降りる(落ちる)と戻ってくるのは難しいです。
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