先の3連休、会津へ行ってきました。直前まで、目的地は複数あって、丹後・能登と越前、若しくは紀州の何れかだったんです。最近は、長距離ドライブも無理が効かなくなってしまっていて、ひと月前の秋田往復も必ず昼寝を挟んでしまう始末で、観光出来ず仕舞い。気分的にイマイチな感じで帰ってきたんです。なので、今回は”無理しない”ドライブをすることに決定。
さて、目的地の候補に会津が入ってませんです。金曜、仕事を終えて、とりあえず高崎のネット・カフェへ向かいました。方角的には家から東です。目的地は全て西、それだけです・・・。まぁ、秋田旅行の帰路、会津若松のネット・カフェに泊まって、何も食べず、視れずで通過のみだったことの後悔が背中を押した感じでしたが。
出発時刻は0時頃。国道で西に向かい桐生から北上し、足尾を抜けて日光へ向かいます。この頃には眠くなってしまって危ない感じでした。でも、こんなところでストップ出来ません。少なくとも日光は超えないと、混雑に巻き込まれたら意味無いですから。頑張って鬼怒川を超えて暫く行ったところの退避エリアで停車し、持参の毛布に包まって寝ました。
翌朝、山中の街道というのに、結構な車の音で目が覚めました。もう9時頃で相変わらずの遅い起床です。寝ぼけ眼でステアリングを握り、とりあえず道の駅で一服。ところが、ここからペースが上がりません。会津までは、まだ結構な距離。結局、会津若松の鶴ヶ城に着いたのは正午頃でした。
鶴ヶ城は、中学の修学旅行以来だったので、30年振りという事になります。場内の展示物は、それなりに充実していて刺激にはなったものの、鉄筋コンクリート仕様の城は、やはり味気ないですね・・・。
お腹も空いてましたが、近隣探索は止めにして、一旦南に戻る事にしました。往路の途中で見かけた標識、大内宿というのが有名らしく、向かってみる事に。
この宿場町に向かう道が意外だったんですよ。というのも、鬼怒川から会津に至る道の西側、約5kmも無い位の距離に平行に有りました。下野(しもつけ:栃木県を指す)街道と呼ばれる道は、河川に沿う訳でも無く会津盆地の南端から一気に稜線を1000m近くまで登り、下ったところに宿場町が存在していました。宿場には本陣跡も在り、大名行列も往来してたそうですが、僕の感覚では、”高低差の緩い河川の有る渓谷を通らず、険しいところの街道なの?”って事なんですが・・・。とまぁ、謎という新鮮な発見がありました。
時刻は昼過ぎで、腹が減ってます。しかし、どの店も満員で名物だという(?)蕎麦に有り付けそうにもないので、店先で売っている、これまた名物(?)栃餅を頼んで頬張ってみました。が、ベタベタのギトギトで美味しくないです。食べなかった蕎麦は、軒並み1000円越えで呆れました。葱蕎麦というのが有ったんですが、箸の代わりに葱で食べる縁起物のようです。こういうのは縁起の風習時にするのもであって、観光客への受け売りは唯の食材ロスなだけですね。止めた方が良いでしょう。なので、余り良い気分には成れない土地でした。
大内宿を跡にして、途中で気になった看板、『伊佐須美神社』目指してみます。場所は会津盆地の西方でした。で、この御宮さん、山門は大層な造りなんですが、本殿は簡素な。驚いたのは山門におわすのは、古代の尊が睨みを利かせて屹立していたことですね。由緒正しき神道の神社である事が伝わってきて、十分に堪能出来ました。
さて、いい加減に腹も減ってます。いい加減、食べないと何の旅行なのかも解りません。そこで、進路を北西に採り喜多方市でラーメンを食べることにしました。と云っても、スマートフォンも無いし事前検索もしてません。”まぁ、駅前近くを走ってれば、見つかるだろう”程度です。で、行き当たった店が『来夢』というラーメン屋。屋号に少々気後れがしたんだけれど、17時というのに混雑してそうで、”有名なのだろう”と思いました。頼んだのは、炙りチャーシュー(卵トッピング)。えぇ、美味しかったです。チャーシューが少々くどく感じた程度で、スープもグイグイ飲めて、満足出来ました。ラーメンが出てくる頃には、店外にまで行列が出来ていて、”入って良かった”という気分になりました。
喜多方から会津までは無料の準高速道路が伸びていて、終点から程無い地点にネット・カフェが在り、其処が宿泊地となりました。夏の秋田旅行でも泊まった場所でもあります。〆
Posted at 2020/10/10 23:42:30 | |
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Stella | 日記