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イイね!
2016年02月21日

1976年のカリーナのカタログ

1976年のカリーナのカタログ 今回は、初代カリーナの内、排ガス規制以降のモデルとなる通称”Bigカリーナ”を取り上げてみます。

この時期のモデルの例に漏れず、純粋なクルマとしては排ガス規制前の方に良さがあるというのが、通説となっていますが、あえてこちらを取り上げてみようかと。

整理が大変な排ガス規制期の変遷をまとめておきたいという私事情も大事です(笑)。
排ガス規制の詳細を知りたい方、あるいは排ガス規制って何?という方は、こちらからどうぞ(国土交通省の資料へのリンク)。


カタログ紹介に入っていく前に、前史を軽くおさらいしようかと思っていたのですが、お友達の大都会パート12さん初期型カリーナを取り上げられていますので、トラックバックさせていただく形として、こちらからはバッサリと省略することにします。

リンク先は、同じ初代カリーナながらも、初期型と最後期に近い型ということで、その変わりぶりを比べていただくのも一興だと思います。おそらく想像以上の変化なのではないでしょうか。


さて、登場以降、1400・1600・2000の3シリーズ、2・4ドアセダンとハードトップの3ボディ体制に広がって、最盛期を迎えていたカリーナですが、1975年2月にクリーンエンジン搭載車が追加されたのを皮切りに、同年10月に本格的な排ガス規制対応モデルとして、このBigカリーナが登場となるわけです。

この時点で、登場から5年近くを経ていたのですから、通常ならモデルチェンジとなっていたはずなのですが、自社の膨大なモデルを排ガス規制に適合させるという大命題を前には、そんな体制は組めずモデルチェンジは先送りという判断がされていますね。

その分、この変更は通常のマイナーチェンジの範囲を超えて手が入っていたりします。(新たに追加されたバンパーモールが非装着の)セダン1600DX同士で比較した場合、全長は45mm増の 4,200mm、全幅は25mm増の1,595mm、ホイールベースは70mm増の2,495mm、フロントトレッドは55mm増の1,330mm、リヤトレッドは10mm増の1,295mmへとそれぞれ拡大。特にホイールベースの延長が目立っていて、どうやらAピラーから前のフロントセクション部を大幅に変更したようです。

この変更は、排ガス対策でエンジンルームに余裕が必要なためとアナウンスされていますが、カローラ系とコロナがサイズ拡大される中で、立ち位置が苦しくなり始めたカリーナのポジションを再調整した効果もありました。

前段はこのくらいで、ここからはカタログの紹介です。
発行は、1976年(昭和51年)6月となります。



最初の見開きでは、セダンとハードトップ、各々の最も特徴的なデザインの部分が強調されています。

初代カリーナのセダンといえば、やはりこの縦テールですよね。
残念ながら好き嫌いは分かれたようで、販売の足枷となった部分はあるようです。2代目以降は縦の分割線を入れることでイメージを残しつつも、だんだんと横型のテールとなっていきます。
モデルライフ中の縦テールは、初期が一番シンプルで、法令改正に沿ってワンテールが廃された時に、新たに設けられたガーニッシュ内にバックランプとリフレクターが位置変更されています。ところが、Bigに至って、ガーニッシュが廃されて、初期にやや戻ったように映るのが興味深い点ですね。

もう一方のカリーナのハードトップといえば、リヤクォーターフィン。
サイドビューではファストバックの流麗さを見せつつ、ノッチバックの利点である後方視界の良さやトランク開口部の面積の確保を両立させたデザインとなります。三菱のギャランFTOが同様のデザインで先行しましたが、こちらがデザインの事例とされることが多いようです。
こちらは好評で、次世代でセミファストバックからノッチバックに変更されたセダンに対して、ハードトップはデザインイメージをそのまま残していますね。





Bigで、一新されたインパネ。画像はハードトップ1600ST。
セリカもインパネは一新されたのですが、あちらは従来のイメージを残したものだったのに対して、こちらは大きな変更となっています。

そのデザインは、大きな一枚ガラスのメーターに加えて、最上段に配された空調吹出し口に代表されるセンターコンソールのレイアウト等、当時としては画期的なものでした。
メーターの視認性を考慮した2本スポークのステアリングもセリカと異なるカリーナ独自の形状で、これも80年代的です。
このインパネは、3代目マークIIとも共通するイメージがあって、その先進性は高く評価されるべきだと思います。

もっとも2代目カリーナではメーターやレイアウト等、やや前代に戻されたのは興味深い点です。Big・2代目・3代目と並べた時に3代目に近いのは、モデルとしては古いBigだったりしますね。





ハードトップ1600STのインテリアです。
深く検証はしていませんが、シート等は大きな変更はされていないように映ります。画像は当時主流のハイバックシートですが、末期にはエクストラインテリアが追加設定されて、ローバックシートも選択可能となります。

空調は、インパネを一新する際に新設計とされたようです。
内外気の切替とエアコンスイッチをモード切替レバーから独立させたフルエアミックスタイプは、これまた当時としては先進的でした。頭寒足熱のバイレベルモードがない点を除けば、80年代以降現在まで続く空調の基礎がここで構築されたと言っても過言ではありません。

サイドデフロスターは、インパネ側方からではなく、両脇の吹き出し口を2段構成にすることで、その役目も負わせているのが、過渡期的ですね。





カタログ本来の順番とは入れ替えて、先にメカニズムの紹介です。
この時期最大の課題だったエンジンの排ガス処理には、当時盛んに宣伝されていた「複眼の思想」に沿うかのように、3種の方式が存在していました。

詳細は、カタログの記載を参考としてくださいませ。
この中ではTTC-V(複合渦流方式)は先行こそしたものの、ホンダが開発したCVCCのライセンスを取得し試作した色合いが強くて、本命はTTC-C(触媒方式)にありました。また触媒方式と同時に研究が進んだ成果が、TTC-L(希薄燃焼方式)としてこの時期に登場しています。こちらは触媒レスの反面、高回転時のパワーレスと、AT非設定というネガがありました。このTTC-Lは、名前こそ早期に消されたものの、触媒方式との組み合わせで53年規制以降にも残ることとなります。

セリカはTTC-Vの設定がなく、コロナはTTC-Lの設定がないという具合で、3種全てがあったのはカリーナのみでした。


サスペンションは、フロント:ストラットとリヤ:5リンクリジッドという、70年代後半から80年代前半のFR車に多く見られた組み合わせを、70年の初登場時から、いち早く採用していました。同時期のコロナは、フロント:ダブルウィッシュボーン、リヤ:リーフの組み合わせでしたから、足の違いが選択の決め手にもなったわけです。コロナも6代目以降は、カリーナと同じレイアウトとなりますね。





同じく順番を入れ替えて、装備等の紹介です。
8トラックとカセットのどちらかが選択可能なオーディオや、EDモニター等が当時らしい設定ですね。当時のアピール装備だったOKモニターは、コロナのように天井に備えることができず、メータークラスターサイドのやや苦しい位置に備えられています。改良型の一窓式が登場する前ですから、これも仕方がなかったのでしょうね。



ここからはバリエーションの紹介。
先ずはセダンシリーズからです。





規制導入に伴い1400が廃止されたことで、名目共に中心となった1600シリーズです。この時期にカリーナ=1600のイメージが定着した感が強くて、この後もカリーナの量販グレードは1600や1500が長い間占めています。
もっとも厳しい規制の前には、DOHC&ソレックスのGTは生産中止、SUツインだったSTはシングルキャブに変更されています。

自動車ガイドブックの掲載を引用しつつでまとめてみた、排ガス規制関連の変遷は、以下のとおりとなります。
 ・1975.10.24(11.1発売) マイナーチェンジで50年規制に適合(A-TA14) 
 ・1976.3.25(即日発売) TTC-L(51年規制)の追加(B-TA31)
 ・1976.5.21(即日発売) TTC-C の51年規制適合(B-TA30)





1400に替わって、新たに設定されたのが1800でした。
このことは、コロナの領域に近づくことも意味していました。

こちらの変遷は、
 ・1975.11.28(即日発売) 50年規制適合(16R-U)で新設定(A-RA10)
 ・1977.2.28(即日発売) 3T-Uに換装することで51年規制に適合(C-TA32)

R型では、マークIIやセリカの適合の関係で2000が優先されていて、1800は後回しだったことが垣間見える構図です。結局R型からT型に換装することで、期限切れぎりぎりに設定継続となっています。

当初のR型は、確かに表面上のパワーは1600よりも出ていますが、T型と比べて大きく重かったため、相殺された面もあります。その点、最後期の1800は、末期ということで注目を集めることこそありませんでしたが、同時期のベストグレードと言えそうです。


右頁は、クリーンエンジンとして鳴り物入りで登場したTTC-V
その割に出来は今一つで、酷評されたエンジン群の中でも最も最低の評価だったのが、このシリーズでもありました。

変遷は、
 ・1975.10.24(11.1発売) マイナーチェンジ(A-RA14)
 ・1976.3.25(即日発売) 51年規制適合と同時にパワーアップ(C-RA31)

早期の規制適合とそれに伴う優遇税制の適用、豪華装備等のアピールポイントはあったんですけれどね。


未対策時代は、スポーティグレードを中心に2ドアセダンの掲載が多かったカリーナですが、TTC-Vや1800では4ドアのみ。1600もスタンダードの室内写真以外は4ドアが掲載されているといった具合で、既に時代の主流は4ドアにあったことが判ります。実際に、Bigの2ドアセダンは、当時でも見かけなかった気がしますね。



ここからはハードップの紹介です。
セダンと異なる部分のみ取り上げていきます。





ハードトップでは、スタンダードが無い代わりにSRが設定されていました。排ガス規制に伴いシングルキャブ化されたのは、STと同様です。

トヨタの形式名は、50年規制までが数字の部分でボディ形式を類別、51年規制以降は数字の部分は共通となります。
ちなみに、最初のアルファベットが排出ガス規制の識別記号となりますが、51年規制では車重により記号が異なっています。このため、ちょうど境界線上にあったカリーナやコロナでは、グレード違いでBとC、両方存在する可能性があります。可能な範囲の検証はしましたが、例外や間違いがありましたら、ご容赦ください。

・・・ということで、ハードトップでは、50年規制が(A-TA18)、51年規制以降はセダンと共通の(B-TA30・B-TA31)となります。





1800には、あっても良さそうなSRが、実は設定されていませんでした。
型式名は、50年規制がA-RA16、51年規制はC-TA32となります。


TTC-Vのハードトップは51年規制適合時に追加されています。従って型式名はC-RA31のみです。


2000GTは、この時期のトヨタ他車の例に漏れず、最も速くかつ最も豪華なグレードでした。コロナにはセダンの設定があったものの、こちらは未対策時からハードトップのみで、セダンの登場は2代目まで待たされる形となりました。

変遷は、
 ・1975.10.24(11.1発売) マイナーチェンジ(A-RA17)
 ・1977.1.11(即日発売) 51年規制適合(C-RA30)
となります。


この他にも、2000のSOHC(18R-U)や1600DOHC&EFI(2T-GEU)の設定が可能だったはずですが、販売施策上の判断からか、初代では設定が見送られ、2代目で実現することとなります。





主要装備一覧です。
各グレードが設定されていたものの、オプションがレスも含めて豊富に用意されていたため、スタンダード以外ではオプションで補うことも可能でした。
1600が中心だったものの、1800やTTC-Vを同グレード間でもやや豪華装備にしてセールスポイントにしようとしていたことが判ります。





小さくて読み取り辛くなってしまいましたが、主要諸元表です。
ATの設定が少ない反面、5速MTが広く選択可能なあたりが、キャラクターを示していますね。

ボディサイズとしては、ちょうど中間。この辺りがファミリーカーとしてもスポーティカーとしても激戦区にありました。



といったところで、いかがだったでしょうか。

このBigカリーナ、カタログを眺めている分には、とてもいいんです。
前輪が前出しされたことで、ロングノーズに映りますし、広げられたトレッドをカバーするためにフェンダーの張り出しが大きくなっているのも、見栄えがします。特にハードトップのスタイリングのバランスは未対策モデルよりこちらの方が良好だと思います。さらに上でご紹介したように、インパネも改善が著しい。

ところが、それらの長所を全く覆すくらい、走らないクルマだったようです。走らないだけではなく、回転落ちも悪く、さらに燃費も低下というのも、よく聞いた話です。
50年や51年規制というのは、処理方式が定まらない中で、規制値をクリアすべく暗中模索を繰り広げた時期でした。各社、大なり小なり走りはスポイルされたようですが、その中でも最も大きな影響を受けたのがトヨタというのが当時の定評ですね。膨大な車種の対応に忙殺されていたのが、その原因だったようです。

そんな理由から、このクルマも少し前の安全コロナ同様、1980年代初頭までは中古車として再販されたものの、1982年頃には店頭に並ばないクルマとなっていました。年数換算でも早々に消えていった感が強いです。

だからこそ、今になってこうして見直してみるのもいいのではと思ったりします。見過ごされていた部分に光をあてる、それはここのお題目の一つでもあるのです。
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Posted at 2016/02/21 21:00:29

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この記事へのコメント

2016年2月21日 21:32
こんばんは

興味深く拝見しました。初代前期に比べて大幅に見映えが向上していますね。ライトとライトの間にスモールランプを入れる手法は、3代目でも踏襲されましたね。インパネもこの時期にしてはモダンな造形に映りました。
コメントへの返答
2016年2月21日 21:49
こんばんは

激戦区で埋没しないためか、商品力向上に余念がないですよね。
カリーナは、デザインアイコンが継続するクルマでした。FF化以降はだんだん特徴が薄れていってしまいますが。
インパネは80年代を先取りしたデザインでしたが、次世代でなぜか時間軸が戻されています。今でも不思議の一つです。
2016年2月21日 22:44
こんばんは。

ビッグカリーナは、少しアルファロメオっぽかったカリーナにアメリカンな味わいが加わり、独特な魅力を持っていると感じています。同時期のブルーバードなどもそうでしたが、この時期特有の重厚な感じとでも言いましょうか、私にとって「車らしい」スタイルの時期です。オーバーなフェンダー、ロングノーズ、派手なマスクなど、スカイラインやローレル、サバンナと並んでこのHTは、「少し悪い人が乗る車」だと記憶しています。

エンジンですが、昭和51年対策車はまずまずだったようですが、昭和50年対策はそれこそ、「どんな手でも良いから規制値に合わせた」ものでした。点火時期は遅らせるわ、排気ガスは保温をしたり径を絞ったりでした。また、当時の酸化触媒は48ヶ月ごとの交換が指定されていましたので、4年で廃車になった個体も多いのでしょうね。

おっしゃるように、昭和57年頃になると「コンピューター時代到来」という雰囲気でしたので、車に限らず’70年代感覚は早く捨てたい、という雰囲気に溢れていました。「よろしくメカドック」でも、初代セリカがあたかもポンコツであるかのように描かれていましたっけ。

この8、9年後にはEDが登場しているのですから、「意匠の技術」の進化は速いですね。
コメントへの返答
2016年2月22日 19:09
こんばんは

初代を評する際に、和製アルファという表現が見受けられましたね。アメリカンな味わいというのは、なるほどと思いました。セリカLBやコロナのような衝撃吸収バンパーの設定があれば、その風味が増していたかもしれません。
書き方が難しい感があるのですが(笑)、「少し悪い人が乗る車」に納得です。当時の中古車ガイドには、セリカよりも荒れたタマが少ないという書かれ方があったりですが。

50年規制は最低というのが定評でした。ただ早々に51年規制に適合したクルマも多くて、台数はあまり多くない感がありました。その51年規制も、53年規制からすると評価は低くて、大抵50年規制と51年規制はセットで酷評されていた記事が多かったですね。

57年頃には、新世代エンジンが出始めていて、初期規制車はもちろん、それまで持て囃された未対策車も時代遅れ的に言われるようになりましたね。廃車になるタマも多くて、ここからの4~5年が、未対策のスポーティカーの評価が一番低かった時代という認識でいます。

初代ED含めた3兄弟のデザインは、結構衝撃的で、市販車でここまでやれるんだと思いました。80年代はクルマの進化が一番著しかった時代ですね。
2016年2月21日 23:19
毎度楽しみに拝読しています。
鮮やかなスキャニング画像に脱帽します。よほど大事になされてきているのでしょうね。
未来に残すべき貴重な資料です。本当に有難うございます。
コメントへの返答
2016年2月22日 19:17
こんばんは

まだまだ試行錯誤しつつの画像なものですから、とても励みになるお言葉だったりです。
紙資料は、発行元が保管してくれているのが一番いいと思うのですが、なかなかそういう状況には至らないようですね。個人では、制約ある中での保存となってしまう関係で、理想的環境とは言えないのですが、何とか残せればと思います。
2016年2月22日 6:43
おはようございます。

グレードも前期後期もわかりませんが、小学校の通学路にこのカリーナのハードトップが居ました。
たしかブルーメタリックだったと思うのですが、このリアウインドゥ周りの処理が気になってしょうがなかった記憶があります。
スタイリッシュで目立つ色の為意識しなくても注目してました。

ほぼ毎日見ていましたが、ある日突然他の車に替わっていて寂しい気持ちになりました・・・。


コメントへの返答
2016年2月22日 19:39
こんばんは

幼少時代に気になったクルマって、時代を経ても記憶の中に留まりますね。
リヤクォーターとリヤウィンドーから構築されるデザインは、このカリーナハードトップの最大のポイントだと思います。このデザインが購入動機の方も多かったのではないでしょうか。

あの頃は、耐用年数が短い分、入れ替わりは多かったかもしれません。いざ替わってしまうと、新しいクルマがやがて風景として馴染んでいくの繰り返しでしたね。
2016年2月22日 22:16
こんばんは(*^o^*)

ビッグカリーナのカタログに全身が熱く興奮しております!!!!
当時のカリーナを取り巻く状況などは私にとって未知の部分なので、大変参考になりますm(._.)m

なるほど、フロントの拡大にはそのような裏事情もございましたかぁ!

もともと初代カリーナ(及びセリカ)はフロントトレッドが後ろよりも狭くなっていました。デビューした1970年あたりですと、フロントトレッドの幅広い車のほうが多いので(例、パブリカ、カローラ、コロナ等)、ビッグカリーナへの成長はコーナリング性能を格段に向上させたのではと思っています。

やはり排ガス規制によりT型エンジンの出力低下はカタログ値以上に深刻だったようですね・・・。
当時の方は未対策時代のエンジンに乗りなれていたと思うので、その落差は受け入れがたいものがあったのでしょうね。

ちなみに、マイ・カリーナは昭和47年式で新車当時はまだ排ガス対策が施されていなかったようです。
その後になって点火時期を遅らせる装置を付けた形と思われます。

もともと排ガス対策用に設計されていないエンジンですので、私の47年式でも装着により若干の変調をきたしているのかも知れません。

それでも、信号スタートから力強く動き現代の流れに問題なく付いて行けます♪
コメントへの返答
2016年2月23日 22:23
こんばんは

同じ初代カリーナということで、意外な違いを発見しつつで楽しんでいただければ幸いです。内容はリアルタイムギリギリということで、講釈師ながらも大きな間違いはないと思います(笑)

フロントトレッドの拡大ですが、カローラが30になってワイド化された影響はあると思います。フロントセクションは、新設計に近い状態ですから、次世代での使用も見据えて、広げてしまえという判断かもしれません。元々リヤリーフ全盛時にコイルをやっていましたから、ご推測のとおり、足のいい奴に磨きがかかったであろうことは間違いないと思います。

その足の良さを生かせるパワーはなかったのが規制期でしょうね。何せ走らないのと回転落ちが悪いというのが、定評だったようです。

点火時期を遅らせる装置ですが、書かれている通り、48年ぐらいからではないでしょうか。後付も比較的多かったようですね。
故小林彰太郎氏が後年、当時を振り返って、「点火時期を遅らせたために、ノッキングしながら走っているクルマも多かった」という話をされています。有鉛から無鉛に替えたことと相まって、そのような状況だったと推測するところです。

家で乗っていた2代目マークIIも48年規制車でしたが、無鉛で問題なく走っていました。シングルキャブの大人しいモデルの方が相性が良かったのかもしれませんね。
2016年2月22日 22:44
こんばんは

小学生時代に友人の家が縦型テールランプのカリーナでした。
おぼろげな記憶によると2ドアだった気がするのですが、縦型は4ドアセダンなのですね。
国産では他にはない独特な形状のランプだったので凄く印象に残ってます♫
コメントへの返答
2016年2月23日 22:26
こんばんは

縦型テールランプの2ドアとなると、ハードトップではなく2ドアセダンだと思われます。未対策期のモデルだと、比較的2ドアセダンも見かけたような気がしますね。
縦型テールは、初代の最大の特徴でしたね。これ昼間もそうですが、夜間が特に印象的でした。
2016年2月22日 23:00
こんばんは!
お友達のお誘いとトラックバック、ありがとうございました。
実は嬉しくて興奮醒めやらぬ中コメントさせていただきます (笑

私はカリーナを取り上げたのはただ単にpari-siroさんのブログのスタンザと同クラスのトヨタ車をテーマにしたかったからなんです。本当ならスタンザと同年デビューの2代目40系カリーナ前期を取り上げるべきなんでしょうけどFR時代のカリーナのカタログは初代最初期しか持ってなかったものですからね。

ビックカリーナは当時はそこそこ見かけたものの排ガス規制適合でパワーダウンが顕著だっただけにpari-siroさんのブログの説明通り早々市場から姿を消して行ったようですね。

このカタログで特に驚いたのは「クリーンエンジン」のTTC-V車がビックカリーナでも存在していた事です!
実はこの「クリーンエンジン」車の存在をハッキリと知ったのはここ1〜2年でして、月刊自家用車75年4月号での紹介&インプレでした。ビックカリーナのひとつ前のモデルでこの時はワングレードしかなかったんですね。
それがスーパーデラックスとデラックス、ハードトップにまで拡大されて密かにパワーアップもされていたんですね!
安全コロナも含めてTTC-V車は再販されずに下取り入庫したら即解体だったそうですから、実車を目にするのはもはや無理そうですね。

だからこそこのような語られる事もなくもはや忘れ去られそうなクルマについて大きく取り上げて見直すという事は大いに共感致します!
今回も実に見応えがありました。また時々繰り返して読ませていただくようになると思います(笑)
黄緑色のハードトップ(グレードまでは失念)は同級生の家で小学校低学年の時に乗ってまして時々乗せて貰ったので懐かしいですね。
コメントへの返答
2016年2月24日 19:31
こんばんは
返信が大変遅くなって、すみません<(_ _)>

初代スタンザですが、以前、早期に落とされたTS系について調べたことがありまして、前期の変遷と装備の違いをブログに残しておこうと思ったのが、きっかけだったりします。ビッグカリーナは、本文で触れたとおり、規制期の変遷です。
アプローチは違いながらも、ほぼ同時期に初代カリーナに至ったという所には、偶然を感じずにはいられません(笑)

規制期のクルマに関しては、都市伝説の類も含めて、メーカーが奨励金を出して下取り車を潰させたという噂になったクルマがいくつか存在します。書かれているTTC-Vは、その中の一つですね。「間違いだらけ~」を筆頭に自動車関連各誌の評価は最低でしたから、中古車となったとしても売れなかったでしょうし、不遇な扱いも仕方ないかなと思う所です。

このTTC-V、作り手側としては、初期対策時には何気に力を入れていたようです。51年規制対応時には、カリーナ・コロナ共々グレードを拡充し、特にコロナのカタログでは結構大きく取り上げていますね。
その一方で、東京トヨペットでは標準在庫とはしていなかったことが確認できていて、あえての指名買い以外には勧めていなかったと推測できます。
さらに、1976年6月に2000のTTC-Cも51年規制適合になって以降は、段々とカタログでの取り扱いも小さくなっていきます。もっとも、コロナの後期にも設定はあったようです。さすがに売れていても極少数だけだと思いますが。

技術的な文献には記載があれども、売り手や買い手視線からTTC-Vを取り上げたところはあまりないと思いますので、興味を持っていただければ幸いです。当時のバイヤーズガイドとしてなら、絶対にお勧めはしませんが(笑)、今から振り返るなら時効ですよね。

ビックカリーナは、黄緑色のハードトップがイメージモデルでしたから、結構な台数が出ていると思います。カナダ縦走もこの仕様でしたね。
2016年2月23日 9:18
管理人様と同世代と拝察致しますが、生まれ月こそ3月と12月と違うものの、小生とこの初代カリーナはいずれも1970年生まれと言うことで色々意識します。

この年にモデルチェンジした210サニー、20カローラ、ブラボーコロナとビッグネームに代表される様に、モデルライフの中で一気に排気量拡大、4年を経ずして次期モデル投入と言った『 大きい、新しいことは良いことだ』という『時代の流れ』を感じていたものですが、言われてみると一方、初代カリーナのように途中ビッグマイナーを挟んで長期間生産されたものもありましたね。
セリカ/カリーナがその代表でしょうが、他にもビックマイナー後は2代目とカウントされることすらあるカペラ、新規格対応後も車名も変えて生産されたフェローmax/maxクオーレ、セダンは4年待たず早々にモデルチェンジされるも、新規格対応後も車名を変えて生産されたフロンテ/セルボ。

同じ年生まれながら、なぜこの様に極端に差が出たのか?
全てが『売れずにモデルチェンジを前倒し/延期せざるを得ない』と言うわけでも無さそうで、排ガス規制/オイルショックなど色々原因はありそうですが、この僅かな期間に起きたパラダイムシフトに翻弄された歴史には感慨深いものがあります。

まあこれは私共世代にも言えることですが(笑)
コメントへの返答
2016年2月24日 19:59
こんばんは
返信が大変遅くなって、すみません<(_ _)>

まぁ、表だって年齢を書いてはいないのですが、ブログから推察できますよね(笑)。ご想像のとおり、初代カリーナと前後して生まれております。

コメントされている内容は、何気に鋭くて、車名別だと1970年に登場したり、モデルチェンジしたりしたクルマは、この前後数年と比較しても最高台数だったりするんですよね。そうして登場したクルマ達のその後については、確かに様々に分かれていますね。

このカリーナとセリカに関しては、後から追加されたハードトップとリフトバックが好評で台数を稼いでいたことから、モデルチェンジを先延ばししても大丈夫という判断があったと推測しています。マークIIとは、モデルチェンジ周期が逆転していますが、これら追加ボディとの関係に限れば、順当な順番なんですよね。20世紀に限れば、カローラ・コロナ・マークII・クラウンという主力モデルのモデルチェンジ周期が全て5年となったのは、この時期に限られますから、それだけこの排ガス規制が大変な事態だったと言えるとは思います。

排ガス規制に限らず、第一次軽自動車ブームの終焉やオイルショックによるロータリーへの大打撃等の大変化も一気にこの時期に訪れています。
これらのパラダイムシフトは、最近のクルマを取り巻く環境の大変化と似ていると思っていまして、国産車は散々翻弄されつつも、ここから復活したことからすれば、現況からの復活も可能なはずと期待していたりもするんですよね。
2016年2月23日 23:19
こんばんは。

Bigカリーナですか・・・これは我が家も手を出さなかった一台です。
我が家は母親だけが免許を持っていて、最初教習車だった130セドリックの中古を買おうとしていたらしいのですが、社宅ゆえのご近所づきあいで紹介いただいたのが東京トヨペット。その中で最新鋭の小型車がカリーナってことで、71年から車検半年残りで代替えしていました。
カナダを縦走するカリーナのCM見ていて、「もうすぐうちにもこれが来るんだなぁ」と、思っていたのですが、一向に代替えの気配なし。結局、いつもの営業氏に「過度的モデルだから、様子見ましょう。特に走りっぷりは旧型のほうが良いですよ」と言われて、40系予約って形になっていました。
1800って響き、すごく憧れたんですよね。触れてる通り、インパネもカッコいいし、力強さの増したデザインも、結構気に入っていたのですが、新型我が家に来たときは、「やっぱり待ってて良かったな」と、あっさり宗旨替えしてるんですから現金なものです(笑)
結局、この商売についても、一度も下取ることなく、いまだに触れたことのない一台ですが、かのカリーナ牧場にも入ったことが無いことから察するに、乗ってみるのはほとんど無理なのですかねぇ。
コメントへの返答
2016年2月24日 20:50
こんばんは
返信が大変遅くなって、すみません<(_ _)>

初代カリーナの回ということで、お待ちしておりました(笑)
先ず、130セドリックの中古を買おうとしていたというのが、初耳で驚きました。そのまま買っていたら、その後の車歴は大きく変わっていたのだろうなぁと想像するところです。

50年規制ではトヨタは出遅れていて、ギリギリまで未対策を売っていたくらいですから、カリーナのリピーターである営業部長さんのお宅に対して、「様子見しましょう」と言ったのは解る気がします。
1800に憧れていたのだとしたら、同じ東京トヨペットの安全コロナを勧められそうな気もしますが、そこには何かしらの理由があるのでしょうね。40系は、若干大人しくなった感はあるものの、7年近い年月を経てのモデルチェンジということで、各所に改良がされていましたから、待つという選択で正解だったと思います。

このビックカリーナ、本文で触れたとおり、中古車として再販されていたのは80年代初頭までですし、街中で何気に見かけたのも80年代中頃ぐらいまでだったと記憶していますから、下取りでも入らなかったというのは納得です。
実はその牧場主の界隈で、ビックのハードトップは一度見ていたりします。その時からもうかなりの時間が経過していたりですが。
2016年2月28日 0:07
実はこのカリーナセダンが以前太陽にほえろの“マミー激走!”に出ていて、見覚えがるけど車名が分からずみん友さんに教えてもらったことがあります(笑)。

ハードトップの方は特にリヤが記憶に残っていて分かりやすいのですが、セダンのリヤは記憶から消えかけていました・・・。実際はセダンのリヤの方が凄く個性的なんですけどね(~-~;)。

それにしてもこの当時のHTは開放的ですね。安全性など規制の低い時代だったでしょうから、デザインも相当自由度があったように感じますね。
コメントへの返答
2016年2月28日 9:46
”マミー激走!”は、この時期では数少ない手持ちのライブラリにない回でして、ダブルさんの特集ブログを見返してしまいました(笑)
あの回は1984年ですから、初代カリーナも消えつつあった頃なのですが、壊されることはなかったようですね。

カリーナは、両ボディともリヤデザインが印象的でしたね。どちらも60年代後半から70年代初期のアメリカ車に似たデザインがありますが、上手く処理していたように思います。

ハードトップは極太のCピラーが多かった時代には珍しく、ピラーの細いデザインですね。窓を開けることの多かった時代ということで、窓が全開できることとかが要件だった、まだまだノンビリした時代ですよね。
2016年2月29日 0:36
こんばんは。

うちはおじがディーラーにいた関係で、一時期は親戚一同すべてカリーナに乗ってました(笑)。ですのでカリーナシリーズにはすごく思い入れがあります。ちなみに父は結婚前に買った40系コロナから初代最初期型(ワンテール)の4ドア1600デラックスに買い替え、以後2代目の4ドア1800SE、初代カリーナED2000Gリミテッドと乗り継ぎ、その後はクラウンに替わりました。

BIGカリーナはおじがハードトップの1800STに乗ってました。カペラロータリークーペからの乗り換えでしたから、今考えたら走らない車だと思ったことでしょうね。
コメントへの返答
2016年2月29日 21:36
こんばんは

親戚一同でカリーナというのは、すごいですね(笑)。トヨタ店にお勤めだと、クラウンかカリーナとなりますから、理由からすると納得です。
車歴を拝見して、排気量的にも順調なグレードアップに映りました。買い替える度にクルマが良くなったことを実感されたのかなぁと想像するところです。

カペラロータリーからの乗り換えだと1800でも動力性能はだいぶ大人しくなったはずです。もっとも燃費の差も大きかったはずですから、割り切れる部分はあったかもしれませんね。

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