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2018年01月14日

第23回東京モーターショー、いすゞ扱いGMのリーフレット

第23回東京モーターショー、いすゞ扱いGMのリーフレット 今回の話に入る前に、多くの「イイね!」をいただいている前回の話を追加的に少々。

成人式ネタに絡めて1998年に登場したクルマでやったのですが、よくよく考えてみれば1997年4月~1998年3月の方が話的にはより正しいですよね。この期間だと、ラインナップが変わり、それに伴って解説部分も変わっていたかもなどと。もっとも、セダン豊作という点や結論は変わらない気がしますけれどね。


そんなこんなで、さて本題。

今回は久方ぶりの、古のモーターショーのパンフレットネタです。
棚から、第23回のモーターショーのGMのものが出てきましたので、これを取り上げてみます。リーフレットということで、内容としては軽くなりますが、いすゞ扱いということで比較的珍しいモノなのではないでしょうか。

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先ずは、表表紙と裏表紙に当時の取扱車が主要諸元表と共に掲載されています。

取扱車を諸元表の順で並べてみると、
 1.シボレー シベット
 2.シボレー サイテーション
 3.ビュイック スカイラーク
 4.シボレー モンザ
 5.シボレー カマロ
 6.シボレー マリブ
 7.シボレー モンテカルロ
 8.シボレー カプリス
となります。

当時のGM車は、この他にヤナセ扱いでビュイックの中大型車やキャディラックが輸入されていた他、ポンティアック系も一部輸入されていたはずですが、いすゞ扱いということからか、比較的ベーシックに近いクルマ達に絞っていたようです。

当時のアメリカ車は、オイルクライシスの影響が大であり、生産中止の噂の中を生き延びたカマロ以外は、大きな変革を強いられたクルマ達でもありました。
後で紹介するシベットを除いて軽く(?)解説しておきましょう。

当時のアメリカ車は、サイズ別の分類として上からフルサイズ、インターミディエート、コンパクト、サブコンパクトの4種が存在していました。この内、サブコンパクトは急速に増え始めた輸入車への対抗を主目的に新たに設けられたクラスとなります。
オイルクライシスへの対応では、各サイズを一クラス下と同等まで下げるのが最初の策であり、続いてはFF化が行われることとなります。

一番最初にダウンサイジング行ったのが、フルサイズに相当するカプリスです。
ダウンサイジング後と言えども、今目線で見ても十分大き過ぎる数字が並んでいるくらいですから、これ以前の一番大きかった時代はどれほどかと(笑)。以前に近いスペースを確保するため、必然的にボクシーなスタイルとなったようですが、加飾を省いたシンプルなデザインは結構グッドルッキンだと思います。

マリブとモンテカルロは、インターミディエートサイズにあたり、ダウンサイジング第2弾。
カプリス級から縮小されたこのボディサイズは、現在のEセグメントのサイズに近いところですね。しかしながら、当時のメルセデスだとEクラスではなくSクラスが同等サイズとなりますから、これでも十分過ぎる大きさではあります。
この急激なダウンサイジングはスペースの確保に苦労したようで、ボクシーなスタイルに加えて、こちらのセダンではリヤドアガラスを固定式にして室内幅を稼ぐという、半ば荒業も行われています。さすがにやり過ぎだったようで、後年にはキャビンデザインを変える大改良を受けています。
モンテカルロは、マリブベースのパーソナルクーペとなります。

サイテーションとスカイラークは、コンパクト。
マリブでもスペースの確保に相当苦労したGMは、次のダウンサイジングでついにFF化という一大転換を行うこととなります。大きいクルマばかりを作り続けてきたわけですから、現在のアクセラ・インプレッサ級のこのサイズでも成立させるのには相当な苦労だったようです。
Xカーと呼ばれたこの兄弟達(この2台の他、ポンティアックフェニックス、オールズモビルオメガも存在)は、その第一弾ということで当時大きな話題となったモデルでした。デザイン等は従来の路線を引き継ぎつつも、メカニズム等は一新するという意欲的なモデルでしたが、初物故の習作的部分やそれに伴う苦労があり、販売もその意程とはならずとなってしまいました。この辺り、アメリカ版T11と言えるかもしれません。

モンザは、サブコンパクト。
これらのダウンサイジングが行われる前の登場で、かなりのヒットとなっていた初代セリカを迎撃する役割があったよう。逆に後から登場した2代目セリカは、こちらのデザインとイメージが重なるのが興味深い所。2代目セリカは、トヨタがアメリカに設立したデザインスタジオ「CALTY」のデザインということで、この種が当時のあちらの流行だったのでしょう。
付け加えると、モンテカルロのデザインにも、3代目マークII・初代チェイサーのHTが重なりますので、ヨーロッパを向き始めていた日本車もアメリカ車からの影響は少なからず残っていたという見方も出来ますね。

最後はカマロ。
元々はコンパクトをベースとしたスペシャルティでしたが、そのコンパクトが大きく変わってしまったことで独自の立ち位置を形成することとなります。日本におけるアメリカ車の人気が落ちる中で、ファイアバードと並んで高人気を保ったモデルですから、あまり細かく触れずとしておきます。
2代目カマロと赤の組合せは、ドラマ「俺たちは天使だ!」の印象が強くなるというのは私感ですが、同世代だと共感される方も多いはず。よくよく考えてみると、ちょうどオンタイムで放送中の時期と重なります。実際にドラマの中で使われたのは中古車ということで、年式や仕様はこの画像とは異なっています。



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これらモデルに加えて、新たに導入しようとしていたのが、このシベット(現地名はシェヴェットとなるようですが、ここでは表記沿うことにします)でした。

2ボックスの成り立ちは、一見FFっぽく映るのですが、フロント&リヤのオーバーハングの関係からも判るように実際はFR。GMが70年代初頭に作ったワールドカー構想の下、アメリカにもその一角を担わせてようと1976年に登場したのが、このシベットでした。当初は2ドアのみでお手軽にというコンセプトでしたが、オイルクライシスの中で想定以上に売れたことによりホイールベースを伸ばした5ドアが追加という形となっています。

ここでお気付きの方も多いと思うのですが、GMのワールドカー構想の日本版にはジェミニが存在しているわけで、ボディ形状の違いやアメリカ車っぽいディテール部から一見では判りにくいのですが、実は兄弟車の関係にありました。よく見るとフロントドアにはその面影を見出すことが可能ですね。


ジェミニが存在する中であえてシベットを輸入しようとした目的ですが、この頃大きな問題となっていたクルマにおける貿易不均衡(貿易摩擦という言い方もされていましたね)を多少なりとも解消しようということだったようです。アメリカ車は大きいから売れないというなら、小さいクルマなら買うだろうという訳ですね。

目的とか動機の部分はよしとしながらも、問題は手段でありまして、ジェミニの兄弟車を左ハンドルのまま、お値段約2倍の200万円級で売ろうというのはさすがに無理筋ではありました。当時の日本車のお値段だと、マークIIやローレルの一番お高い3ナンバー級に相当ですからね。同じ輸入車でもVWゴルフのお値段は、もっと下にありましたし。

肝心のクルマ自体も、このサイズは新型車を中心に既にFF化に向けて動き出していた中にあっては、設計年次の古いFR車の入り込む余地はほぼないに等しいものだったのです。ジェミニですら、その点を指摘され始めていて、DOHCやディーゼルに新たな活路を見出している状況にありました。

そんな中でのターゲットとなると、おそらくリーフレット内のアメリカ車を買っているお宅のセカンドカーにいかが?という辺りだろうなと予想はできるのですが、その数がどれほどだったかというと、やはり無理筋の感強し。
案の定とも言うべきか、この翌年に僅かながら輸入されはしたものの、程無く導入中止という結果に至っています。

このシベットからすれば、サンタナはもちろんキャバリエですら、よく考えての導入に思える不可思議と。


日本とアメリカにおけるクルマの台数の問題というのは、この当時から問題視され続けていて、特に大きな課題として取り上げられた際にはこうした策が講じられるのですが、解決には至らないという結果も変わらずで現在に至っています。

その努力の仕方は見解が分かれそうに思うのですが、いくつかの方法が試されているのは間違いがなく、それらを踏まえて向こうのメーカーが諦めに近い境地となるのも仕方ないのかなと思ったりもします。

結果的に台数は少数に留まり、皆の記憶にも恐らく残っていない存在ながらも、そんな歴史の中の一頁を刻むに値する貴重な一台がこのシベットですね。
ブログ一覧 | 古のモーターショーのパンフレット | クルマ
Posted at 2018/01/14 09:27:22

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この記事へのコメント

2018年1月14日 10:21
おはようございます。
凄いものをお持ちなんですね。

いすゞとGMの関係は知っていましたが、直接販売にも関与していたとは知りませんでした。
しかも、ジェミニの兄弟車、シベットまで輸入していたとは。

多分、現在にも繋がる話なのですが。
外車の立ち位置を、どのあたりに持ってくるか? が難しいですね。

例えば、シベットがジェミニと同価格だったら。
ジェミニ以外の日本車も比較対象になるでしょう。
その時に、性能、品質等を単純に比較して、それでもシベットになるのかな?とは思います。

また、シベットの方がジェミニより高額だったら。
そこは、今も少なからずあると思う「輸入車のステータス」で、アリかと思います。
ただ、その価値が2倍かと言うと、それはちょっと・・・でしょうね。

確固たるブランド力が築き上げられていればいいのですが、そうでないとか価格設定が難しいでしょうね。
コメントへの返答
2018年1月14日 20:20
こんばんは
当時のモーターショーで普通に配られていたモノなのですが、販売元の変遷もあって貴重な類となってしまいました。

それほど台数が売れたとは思えず、大都市を中心とした一部販売店でのみ取り扱ったと推測します。両メーカーを結んだ伊藤忠の意向が働いていたのではとも。

ご指摘の輸入車の立ち位置は、今も続く難しい課題ですね。
日本車との比較が成立するのが理想の姿なのではと思う一方で、販売やサービスの体制はある一定量を支える前提でしか構築されていないですし。

その条件下でどのモデルをセレクトするのかという話はあると思います。
同時期にフォードはマスタングを廉価で入れていますし、クライスラーはオムニを輸入する際にセダンではなくクーペの024を選択しています。共に当時の市場様相では趣味性の高いクーペの方が売り易いという判断だったようです。シベットはそうした市場判断的なものや導入後の展望的なものもあまり感じないんですよね。

この種の小型車は、元々高めで売るのが難しい存在なのだと思います。一時期の成功はあっても継続的にとなると、ヨーロッパ車でもゴルフ等極一部に限られるのが実情ですね。
2018年1月14日 19:46
こんばんは。
>このシベットからすれば、サンタナはもちろんキャバリエですら、よく考えての導入に思える不可思議と。
ネオンやサターンも同じ末路をたどっていますね。
唯一ホンダが販売したチェロキーだけが成功事例かもしれません。
コメントへの返答
2018年1月14日 20:30
こんばんは
ご指摘のとおり、ネオンやサターンも一時期の話題にはなったものの定着には至らなかったクルマ達ですね。
チェロキーは、RVで後手に回ったホンダにとっても旨味のある商売だったと思います。先見の明があったと思いますし、提携終了の判断もまた早かったですね。
2018年1月14日 22:11
まず、すごいカタログだと思いました。
ラインナップもすごいのですが、
カマロは私が生まれる一年前の1981年に他界した祖父が
一時期ブルーのカマロに乗っていたと、
これまた亡き母が言っておりました。

5人家族なのに2ドアのカマロは大変評判が悪かったとのこと。
そんな訳でGX61マークIIグランデがやってきたようです。
(そのグランデは私もよく乗せてもらいました)
母曰く、祖父はそれでもガイシャに乗りたかったのだそうです。
(欧州車は高くて買えずカマロが安かった?とのこと)

さて、サイテーションは稀代の失敗作
みたいないわれ方をしていますが、
日本でも販売されていたというのが驚きです。
80年代に向けて車はどんどん合理化され、
実用的な5ドアハッチバックになっていく・・・・という考えを
当時はどのメーカーも持っていたのかも知れませんね。
まさか初代アテンザや二代目プリウスが
日本市場を切り開くとは思いませんでした。

そしてシベット。KP61みたいな緑で丸目の
2ドアハッチバックを連想していました。
フェイスリフト?でこんなに大人っぽくなっていたのですね。
サイズやキャラクターは良さそうですが、
左ハンドルと価格は売る気無さ?が垣間見られますね。
確かに左ハンドルを右ハンドルに改修する開発費や型投資は
GMにとってはあまり重要では無いでしょうからね。
キャバリエのときは随分とGMも協力してくれたんですね。
コメントへの返答
2018年1月15日 20:23
3ナンバーの維持費やガソリン代が今との相対比でかなり高かった時代ですから、当時カマロに乗っていたって、結構スゴイ話だと思います。

維持費がかかるために、中古車の値下がりは大きかったのですが、それでも日本車を買う感覚とは明らかに違っていたのではとも。あくまでも遊び車の想定で作られていましたから、確かに5人家族で使うには厳しかったでしょうが、それでも選びたくなるクルマだったという気持ちが解る気がします。70年代まではアメリカ車が輸入車の中心で、憧れの存在でしたね。

サイテーションですが、評価が悪化したことで比較的早期に輸入が打ち切られたものの、前評判や当初の評価はそれほど悪くなかったんです。限られたサイズでユーティリティを求めるということで、5ドアに可能性を見出していたことは間違いありません。ブランド別で4ドアと5ドアを併存させていたのも巧みです。結局あちらもノッチバックに回帰していってしまうんですけれども。

シベットは長く作られていますから、その中で変遷していっていますね。フロントマスクの変わり方は挙げられているKP61に近いものを感じたりです。フォードフェスタが、この少し前に150~170万円ぐらいで売って結構ヒットしていましたから、シベットも・・・という観測があったのかなと推測するのですが、それにしてもあまりマーケティングが感じられない例は珍しいと思います。

キャバリエも、結局上手くいったとは言えませんけれど、日本市場への対応の仕方は全く違いますね。
2018年1月14日 22:19
こんばんは
これまた懐かしいクルマ達ですね!
私もこの頃の東京モーターショーは親父に連れられて行っていました。
紹介されているアメ車他、葉書の1.5倍くらいの大きさの外車の紹介カードみたいな物が現存しております。
ガイドブックも買ってもらってボロボロになるまで見ていたのですがいつの間にやら無くなってしまいました。
アップされているモンテカルロは大好きでした(^▽^)
ダウンサイジングされてもまだまだ国産車に比べて大らかなデザインに思えました。
コメントへの返答
2018年1月15日 20:27
こんばんは
輸入台数が少なかったため、同時代の日本車以上に見かける機会が少ないクルマ達ですよね。

当時のモーターショーって、クルマ好きの子供たちには2年に一度の楽しみだったように思います。中々あれだけのクルマを見られる機会もなかったですし。あの重いガイドブックもお宝でした。モーターショーと同時発行と思っていたガイドブックが毎年発行されていたことを知った時には驚愕したものです(笑)。

紹介カードは、とても貴重な品だと思います。あの時分の外車って、各メーカーが日本法人を作る前でしたから、輸入組合主導でノベルティを作っていたのでしょうね。

モンテカルロは、ダウンサイジングされつつも、この少し前からGMがやっていた復古調のラインが残っているんですよね。比較的好評だったようで、FF化が進む中80年代後半まで生き延びましたね。
2018年1月15日 8:16
今から30年近く前、デトロイトに留学してたのですがこのカタログの車は
全て現役でした。特にサブコンパクトクラスは、現地でも人気がなく高校生の通学車の一端でしたが、小さい車=危険と考える親の家庭はピックアップを使っていました。
話がそれましたが、サブコンパクトはかの地での評価も単なる安グルマな上に、作りなれない物を作るのでそれ自体も酷い車でした。でこれを日本で「外車」として売るのは無理なわけです。GMに限らすクライスラーもKカーで似たようなことをやってましたが、グループで自前で用意ができるフォードだけはそれなりの評価だったと思います(ピントは除く)
コメントへの返答
2018年1月15日 20:49
留学経験をお持ちということで興味深いコメントをありがとうございます。

当時のサブコンパクトって、大型トラックのメーカーが軽トラを必要に迫られて急造で作るような感覚かなと思ったりです。主力は中大型車ですから、力も入りませんしね。ビッグ3は、各々の方法で対応しましたが、やがては欧州や日本の技術が主導になって作るようになっていきますね。
他社の力を借りつつとは言え、独自でこのセグメントを作ったのは空前絶後に思いますので、それはそれで貴重なのかもしれません。

プロフィール

「日毎に暖かくなる季節の中で http://cvw.jp/b/1984303/47641110/
何シテル?   04/07 21:25
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