20091024 小田原城 総構え その1
投稿日 : 2009年10月31日
1
小田原城の全長9㌔に及ぶ外郭である総構えの遺構を見ていきます。
八幡山古郭群の西部から北部にかけての尾根上には、総構えの遺構が比較的良好な状態で残っています。
普通に考えても大変な移動距離になることが見て取れるのですが、その時は出来ると思ったんだよね。何故か。
2
①小峯御鐘ノ台の総構え遺構です。
って、分かりますかね?
山の尾根の線に沿って、帯状になっている耕地が空堀の跡なんですけど・・・
確かに、まず最初に何も無えって思ったからねぇ。
3
②本来の山肌のラインからは、不自然な段差と平らな耕地が帯状に続きます。
もちろんこんなんでは防御性のカケラも無いですから、かつては深く掘り下げられ土塁が築かれていました。
小峯御鐘ノ台のこの辺りは、詩人北原白秋が好んだ景勝地だそうです。
天気さえ良ければ、確かに景色が良さそうなところです。
豊臣秀吉の小田原攻めの際には、谷の向こうの山に羽柴秀次,秀勝,蒲生氏郷が陣を構えていました。
4
③降りてみるとこんな感じ。
現在でも帯状の耕地と尾根上の道とは、10mほどの段差が出来ています。
この辺りを何故御鐘ノ台というかというと、軍勢の進退の合図に使う陣鐘が置かれていたからなんだそうです。
5
④桜ノ馬場と呼ばれる辺り。
尾根上は、かなり広く平坦な地形が広がっています。
6
⑤そんな畑の中に現れた、曰くありげな凹み。
何も案内などは出ていないけど、地図を見る限り位置的には、荻窪口という虎口のあった山ノ神堀切の跡と思います。
7
⑥堀切の先を奥まで行って見ると、当然、総構えの堀跡があります。
藪で何が何だか分からないけど(笑
多分、水が溜まり易いんでしょうね。
小峰の大堀切りの西堀付近の総構えもそうでしたが、藪になっている堀跡には、湿気を好むのか?同じような植物が生えてました。
8
⑦山ノ神台と呼ばれる辺りの総構えの堀跡。
この辺も遺構が分かりやすいです。
山越えの小道のあるところで、下っていくと関東学院大の小田原キャンパスのあるところです。
タグ
関連コンテンツ( 北条氏 の関連コンテンツ )
関連リンク
おすすめアイテム
[PR]Yahoo!ショッピング