小さなルーフを持つこのクーペ・ボディを見る今日の読者は、ひょっとしたら一種の同類項として、登場したばかりのスズキ「ツイン」をイメージしたりするかもしれない。そのツインは2003年に、爛熟の(?)日本マーケットに出現、そしてこの「マツダR360クーペ」のデビューは1960年であった。
そしてツインが、クルマが隅々までゆきわたったが故に、逆に、機能を絞り込んだ作り方の方が新鮮であろうという提案であるのに対して、このR360が登場した時は、まだ多くの人がクルマなんか持っていないよ……という時代だった。
そもそもダイハツや「くろがね」とともに、オート三輪メーカーとしての長い歴史を持っていたマツダ(当時は東洋工業)にとって、これは最初の軽自動車であり、さらにはこの「クーペ」が、メーカーとして初めて世に問う四輪車でもあった。そういえば「クーペ」と名乗ったのは、日本のクルマ史上ではこのモデルが最初だったはずだ。
ただ、マーケットがそんな草創期であるのなら、もっと量販が見込めそうな、そしてユーティリティ機能も高くできそうな、たとえばワゴン・タイプでも作った方がよかったのでは?……と、今日の読者なら考えるかもしれない。
ただ、当時の感覚では、だからこそのクーペ・スタイルだったように思う。ともかく自動車というものが“高嶺の花”であった時代、小さくて軽量なクルマなら、それは少しでも安価に仕立てられるかもしれない。現に2年前の1958年に登場していたスバル360は、その見慣れない格好で42・5万円で、これは日野ルノーが60万円以上していた当時としては、普通車と軽自動車という違いがあったにしても、大幅なバーゲン価格といえた。
そんな時代に、「スバル」をもっと突き詰めれば、クルマはさらに安価になるのかもしれない? そんなイメージを庶民に抱かせたのが、このクーペだった。R360はMT仕様で30万円というプライスで(AT版は32万円)登場、スバル360以上に、クルマが身近になったと庶民の夢をかき立てることになった。
「2+2」といった言い方は、当時はまだなかったはずだが、実際にもこの小さなクーペの後席は子どもしか乗れないミクロ・サイズで、実質は二座席のクルマだった。クルマを小さく作れば、鋼板などの材料も少なくて済み、販価も下げられる。それと同時に、軽自動車というジャンルであっても、実用性重視のセダンやバンばかりでなくて、スタイリングを愉しむことをしてもいいはず──。このクルマを日本初の「クーペ」に仕立てたメーカーには、こんな意図と提案があったと見る。
そして、提案といえばほかにもあった。このクルマはスタイル追求だけのクルマではなく、たとえばエンジンは、小排気量では2ストロークが普通であった時代に、先進・軽量(アルミ合金使用)の4ストローク・エンジンを採用していた。そのV型2気筒エンジンはリヤに置かれ、「RR」として後輪を駆動した。
また、普通車であってもマニュアル変速(MT)が常識だった時代に、このクルマはいち早く、AT搭載モデルをそのラインナップに持っていた。軽自動車というジャンルで、ツーペダルでドライブできるAT(トルコン)を装備したのは、このR360が初である。そしてその特性を生かした、手だけで運転できる(いまの言葉でいう)福祉車両も、1961年にラインナップに加えていた。
ただ1960年代、時代の変化は急だった。クルマが“遠い夢”であった頃が意外に早く過ぎて、とくに1966年にサニーとカローラが登場してからは、庶民にとってクルマを買うことがあり得ないことではなくなった。そしてその時、このクーペの小ささとユーティリティ性の少なさは、やっぱりちょっと“非現実的”に過ぎたようだ。
もちろん、メーカーとしてのマツダ(当時は東洋工業)も、当然そのことは読んでいて、このクーペを追うかたちで、セダンとしての軽自動車キャロルを1962年に登場させている。とはいえ、この先駆としてのクーペはすぐに消滅することはなく、キャロルと併売されて、その後もマーケットに残った。
(2002年 月刊自家用車「名車アルバム」より 加筆修整)
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2017/01/02 12:11:22