これなら道が糞尿に汚れる事もない。
かなり逆説的な論法ですが、自動車が普及し始めた頃は、自動車を評してこう言われていました。
写真は、19世紀末頃のロンドンを舞台にしたLittle Princess(小公女)の一場面です。
勿論、自動車以前の移動手段としては馬車が主流であり、街中を馬車が走り回っていました。
馬車と歩行者の事故などもあったようです。
当然、馬車を作る事を生業にした職人や工房などがその技術を競い、又、優秀な馬を繁殖、育て、販売する牧場主もいた訳です。
当時の自動車は、速度、安全性、信頼性において、まだまだ性能も低く、馬、馬車を超える物では
ありませんが、少なくとも自動車がうんちやオシッコをしないという事は、ある意味決定的な優位性を
当初から持っていたと言えなくも無い・・
今でも、馬の排泄の躾けが可能かどうかは知りませんが、考えてみれば、目抜き通りを優雅に
行き来する馬車が、突然・・・ジャーとか、ボットンとか、それは、当然の成り行きです。
通行人がその落し物を踏んでしまったり、又、清掃にも結構な予算が必要だったようです。
自動車と馬、どっちが速いか?競争もあり、当初は馬の方が勝つことが多かったようです。
自動車は、次第にその性能を格段に進歩させ、糞尿以上の優位性を持ち、やがて、町から馬車を
駆逐していきます。
当然、馬・馬車に関わる産業は急速に衰退していきますが、一部の事業者は新しい時代に
対応すべく変身を遂げていきます。
コーチビルダーと呼ばれる腕のいい馬車製造業者は、その技術・ノウハウを以って自動車の
車体製造に腕を振るいます。高級な木材・高級な皮革を使用した豪華な内装や上昇した
走行性能に見合った強固なシャシーなどは、自動車メーカーから注目され共同事業として
成り立っていきました。
ただ、誰もが自動車時代の到来を喜んでいたのだろうか?あの頃も「自動車なんて信用できねえ。
機械に自分の命を預けられるか!」という御者も居たんじゃないかな。
西部劇で見た、馬の背で気を失いかけていながらも馬は歩き続けて町までたどり着く・・とか。
自動車の発展は、生き物と生き物、交差する感情、そういった人と馬の交流を
否定する結果となりました。
もし、現代に自動車が無く、まだ馬車・馬が交通機関のままだったら、僕は、「こいつは速いぜ。
なんせハイセイコーの血を引いてるから、生粋のサラブレッドさ!」なんて自慢しているんだろうな。
「あ、いや、騎手が馬に追い付いていないんですけどね・・・」とか付け足してね・・
「今日の栗毛オフ会、行けなくなりました、相棒がちょっと血便出ちゃって・・・、
日頃のメンテ重要ですね。」なんてことも・・・・あるかもしれない。
事実、蒸気機関は産業革命を発起させる重大な役割を持っていましたが、飛躍的な発展を
遂げさせたのは明らかに内燃機関の功績に他ならないものと思います。
しかしながら、当然の如く・・或いは、皮肉にも、馬の排出する糞尿以上の目に見えない
近代的な糞尿にまみれてしまった現代の街中に、新しい時代の幕が次第にその姿を現し始め、
そして、ついにその幕が開こうとしている・・・・そんな気もします。
19世紀末は、馬VS自動車。21世紀初頭は、エンジンVSモーター。
発展は、新たな発見を呼び起こし、又、新たな問題点が必ず内包されています。
馬が自動車によって街中から消えてしまったのには理由がありました。
そして、これから消えようとしているものにも、消えるにはそれなりの理由があるはずです。
但し、正解かどうかは別の問題です。発展は段階を踏まなければなりません。
馬-糞尿、内燃機関-CO2/NOX、さて、モーターは?電磁波?とかね。
まあ、その発展の過程の中で、そう考えると、改造SW20なんて燃費ワル、騒音ダイ、
スピード&CO2出ちゃうぞー、仕様で、肩身の狭い思いをしなくちゃいけない所を、
こうやって大手を振ってブログまで書けちゃうのは、幸せなんだなあと、
なぜなら、自分だけの正解を導かせてもらっている訳ですから。
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Posted at
2009/11/13 01:11:04