中間報告(ほぼ愚痴)です。
前回の更新からだいぶ間が空いてしまいましたが現在も相変わらず療養中です。
自身が納得のいく復活報告にならなくてとてもがっかりしています。
いろんなことがあってどこから書けばいいのやら。
詳細なこと書くと大変な量になってしまうので主だったことを時系列でいくつかピックアップ。
◆2022.12月 <事のはじまり>◆
定期検診でエコー検査を受けるが結果は異常なし。
しかし後で知ったのですがエコー検査では必ず結石が写せるというわけではないとのことで、ここで大きな結石があるにも関わらず見落とすことになった。
ここから負のスパイラルが始まる。
◆2023.6月◆
衰弱して64kgの体重が56kgにダウン。
身動きできなくなり遠くまで救急搬送されるが低質な大病院Aで褥瘡という大きな負傷をする。
しかしここが受け入れてくれなかったら私はいま生存してない。
(詳細は前の記事にて)
◆2023.7月◆
自宅で治療を試みて、大病院Bに訪問診療と訪問看護に依頼。
回復の兆しなし。
◆2023.8月◆
遠方ではあるが予てから希望していた大病院Cに空きが出たので即入院へ。
プロ中のプロの集団による手厚い治療と看護を受け褥瘡が急速に回復。
ついでに体力回復プログラムも。
約3ヵ月の入院。
書く機会がなかったのですが実は私いま極々零細ながら2事業の経営者なので、自分が不在でうまく回るかどうか不安で大きなストレスを抱えていました。結果的には大丈夫でしたけど。モバイル時代の恩恵です。
体力回復プログラムであるスポーツと筋トレとバランス感覚再習練は真剣に取り組みました。
私は実年齢よりも10歳とかそれ以上若く間違われることが常なのと、そもそも幼少期から反射神経・バランス感覚・瞬発力・動体視力・空間認識力などは至る所でスゲェスゲェとひたすら言われ続けてきた人間なのです。生まれつきのチートです。入院中はマスクをしてることもあり、他の患者たちからは年齢不詳キャラ扱いされてました。退院直前に実年齢を教えたら皆ビックリ。信じてくれない人には免許証で。いつものことです。
スポリハでは他の患者では全く相手にならないので最後は指導員がマンツーマンで接してくれました。ツラい入院でもこの時間だけは楽しかったです。加齢によりかなり衰えてますが実年齢の割にはまだまだトップランナーであることがわかり
いつものごとく天狗になる。←
(↑ここまでは一つ前の記事)
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(↓ここからまた長丁場になることはわかっていたのですが、予想外のトラブルの連鎖がはじまるのだった)
◆2023.11月◆
地元の大病院Dへ転院。
週2回の通院・検査、週3回の訪問看護がスタート。
ここでは褥瘡痕のアフターケア・肘と腿の手術、腎結石の除去を受けます。
病院は絶句するレベルの過剰な混み具合。
まずは採血からということで採血室に行ったら100人以上待ちで2時間かかる。
レントゲンなどは即日だが造影剤を使ってのCT・MRI撮影は予約が2~3週間先という有り様。
試しにということでエコー検査もしてもらいましたが一つも写らなかった。
一番大きいものは12mmなのにそれすらもです。
医師も私もなるほどなと頷きました。
ここまでは状況を精査するための検査。
手術を受けると決心した場合、次は手術に耐えられるかどうかを調べる術前検査が続きます。
結石除去手術に辿り着くまでに数週間かかりそうだったので、その間についでに左肘と左腿のオペを受けた。
スポーツ後遺症ではないのだがときどき水と血が溜まってしまいパンパンになって関節が曲げづらくなり、痛みもセットでとても悩ましかった。水溜りと血溜まりはそれぞれ別個なのだが隣接していて見た目はひとつ。
過去いくつか病院を回っても病名すら特定できずたらい回しにされていたが、
この病院で対応してもらえてよかった。病理検査では良性。経過も良好。
ようやく解放されすっきりした気分です。
診察もオペも対応もすべてが素晴らしい医師を引き当てることができてヤッタゼ。
◆2024.2月◆
今回の結石除去で一番の問題になるのが全身麻酔です。
麻酔科にて相談の上、全身麻酔を使うべきか避けるべきかの最終決断。
というのも、私の場合は特殊な体質らしく全身麻酔との相性が非常に悪いことがわかっています。
20年くらい前に全身麻酔の経験があるのですが意識消失する前に呼吸が停止してしまうという災難を経験してます。つまり意識が鮮明なまま窒息する絶望的な感触をフルに味わいました。
それだけでも災難なのですがその次は自律呼吸が再開できない可能性が極めて高いとされています。
実際に当時の同病室の患者は生還できませんでした。
2023年秋に私が褥瘡治療で入院してたときにも同じ事情の患者がいて、こちらは全身麻酔なしでの結石除去に挑んでました。
その患者は若さと持ち前のタフネスさで生還できましたが想像を絶するとんでもないショック反応があり、私の場合は年齢ゆえに肉体が高負荷に耐えられる自信がありません。
究極の選択ですがここは全身麻酔使用に賭けることにします。
麻酔科での説明では、今回は先に薬で眠らせてから本麻酔を使うとのことで、窒息を味わうことはないとのこと。
万全の体調で挑んでくださいと同意書などの書類を渡されたのですが、「生命の危険、極めて高し」と書いてありました。
だはははは、やっぱりそうだよね、うん、わかってた。
弁護士を呼んで遺言状を更新しておきました。
覚悟決まったような、でもどこか他人事のような、何とも言えぬ奇妙で複雑な心境です。
◆2024.3~4月◆
相次ぐ術前検査を通過し、ようやく腎結石除去へ。
私がここで入院をするかどうか最終判断するため入院相談窓口で打ち合わせがありました。
私は就寝時は室温26℃厳守という絶対的な縛りがあります。
これは体質に加え衰弱している状況なのでワガママとか贅沢というものではありません。
そのため一般的な相部屋では室温が22~23℃に固定されているとのことで選ぶことができません。
窓口では事情は十分わかってます、大丈夫ですよ、グレードは選べないけど個室はたくさんありますので必ず使えます、とのことでした。
しかし、入院当日に病棟に行ったら「個室は空いてないし、そもそもそんな話は聞いていない」とのこと。
何のための打ち合わせだよ、何のための同意書だよ(唖然)。
このとき初めて入院病棟に入ったのですが、すぐに異様な雰囲気を感じました。
殺伐とした空気、いきなり逆切れ全開で高圧的で威圧的なナース、引きつったりパニクった表情でアタフタ駆け回るナース。場が上手く回ってない様子です・・・。
個室がないのは話が違うし、でも救急病院なのでもっと深刻度の高い患者を優先せざるを得ない可能性があることも知ってます。
しかし自分にとってはとても受け入れがたい展開です。
これはキャンセル止む無しとも思ったけど、ナースが「患者都合でのキャンセルでいいですか」と抜かすんですよね。
いやいや、俺の都合じゃねぇだろ、そもそも聞いてないってどういうことだよ・・・と言い返そうとしましたが、
ヒステリックな人に正論説いても通じないし、入院中はこのナースたちに世話にならないといけないし、一番困るのは私だしこれには参ったね。同時に他の思いも。
生死に係わるオペの際は立会人が必要なので、前もって知人に頼んで都合つけてもらっているんです。
キャンセルや延期になったらまた再調整してもらわないとです。しかも平日に。
それと術前検査は1ヶ月以内に受けないといけない規則があるのですが、
この混み具合からしてオペ再予約日程はしばらく先になるでしょうから、またいくつもの術前検査を何日もかけて受け直さないとです。さらにはまたその時も個室が空いてないこともあり得ます。
それにそこまで自分の体調が持つかどうか・・・とても自信がありません。
究極の選択がまた来た。どっちもハイリスクです。なら急ぎましょう。このまま入院決行です。
オペの前日から入院で相部屋だったので他の人の会話が聞こえてきたのですが、
昨日錯乱して大暴れした患者がいて男性職員たちに制圧されたようです。
その患者は強制退院確定ですがすぐに転院先が見つかるわけではないのでまだここにいるようでした。
暴れちゃうのはテロ同等なので絶対にいけないけど、でもここの殺伐とした空気やナースの高圧的・威圧的で支離滅裂な対応が引き金になってそうな気がしました。
ただ医療陣も心身ともに限界に達しているわけで、負がさらに負を引き寄せてしまう、これぞまさに医療崩壊。
もちろん満床です。
私はおとなしくこの場を切り抜けて無事に帰宅することを目指します。あとは運頼み。
数日の入院。
低室温で過ごしたせいで案の定手足の先が冷え切ってしまってもう自分のカラダじゃない感じです。
オペチームが困惑している様子でした。
しかし手足をマッサージされてさらに電気毛布で包んで決行だそうです。
私「・・・。(マイガッ)」
やはり全身麻酔との相性が悪く、覚醒不良と遅延があり自律呼吸再開がスムーズにできませんでしたが生還。
何度も何度もカラダを揺さぶられたり頬を叩かれたり「意識を保て、呼吸を意識しろ」と激励されてた記憶。
オペは余裕を見ても1時間で終わる見込みだと聞いていたけど3時間かかった。
しかし呼吸器系に後遺症で麻痺が出る。
睡眠時だけでなく覚醒中にまで呼吸が一時停止するトラブルが頻発。
誤嚥も頻発するようになる。飲食の際だけでなく平時に唾液でも誤嚥が起き、会話が上手くできなくなる。
咳き込んでばかりになり食事も苦痛で衰弱に追い打ちがかかる。
ちなみにものすごい血尿です。
大きな結石は除去できたけど尿管のカーブの内側にある小さな結石にはうまく届かず残ってしまったとのこと。
これは様子見または自然排出を待つことに。
内視鏡操作テクに定評のある医師でもこうなので仕方ないかなと。
退院直前になって入院相談窓口の人が個室を用意できなかったことを謝罪しにきたが、私は面会を拒否。
◆再入院◆
体調不良のまま退院するも経過不良で微熱が続いていたがわずか数日後に一気に40℃で倒れる。
背中の中に腕を突っ込まれて内臓をフルパワーで握られてるかのような激痛。
そのうち痛すぎてどこが痛いのかわからなくなる。YAVAY。
だがどこに運ばれるかわからない。去年みたいに低質なところに運ばれたらまた振り出しに戻ってしまう。
それもYAVAY。
会話ができるうちにダメ元で訪問看護に連絡したところ、状況を即時に汲み取ってくれて受け入れの段取りをつけてくれた。このときは光り輝く女神様のように思えた。
ふとズボンを履いてないことに気付く。運ばれるときパンツ姿は嫌だなと思い、ズボンを頑張って履くが信じられないことに60分もかかってた。途中で何度も失神してたっぽい。YAVAY。
救急搬送され緊急入院。意識混濁。
手足の血管が見えず散々時間かかった挙句に4連続で採血失敗。結局、鼠径部から。
今度は個室。
点滴大量投与。
◆再々入院◆
退院になるが前回よりも明らかに体調不良で院内の廊下をまっすぐに進めないほどにフラフラです。
帰宅せずにそのまま他院へ直行すべき危険な状況とわかっていたが早く横になって休みたいという気持ちが勝ってしまい、
どうにかこうにか帰宅するがまたすぐに高熱で倒れ、また救急搬送される。
採血は手足からだとどうせ失敗するので最初から鼠径部にしてとお願いする。
主治医は他の上位の医師から激しく叱責されていて、担当医が交代することに。
今回は意識がはっきりしていたけど前回よりももっと危険な状況だとのことで長めの入院確定。
明言はないものの明らかに病院側の判断ミスゆえ、今度は全額無償で最上級グレードの個室が用意された。
次々と急患が入ってくるし捌ききれなくて受け入れ拒否もせざるを得ない状況で、オペ予約もびっしり詰まっているだろうし慢性的に満床ゆえに早く患者を退院させて現場を回さないといけないという事情はよくわかるが、再々入院になってはお互いに良いこと何もなかったのではないか。
ここで信じがたい追撃が起こる。
激務ゆえか狂乱状態になってるナースに雑に扱われたことで右肩腱板損傷を負う(わりかし大事故、完治不可、俺激おこ)。そのナースも半泣きになってたけど、俺のほうが泣きたい。
20年近く前にスポーツ事故で右肩腱板損傷を経験していて、
その際は神経の損傷もあって腕がほぼ動かずペンも握れず絶望視されていたが、
可動域が奇跡的に60%近くまで回復。
それでも日常生活は工夫でさほど支障なく送れていたのだが、そこをさらなる負傷なのでどこまで回復するか・・・。
事前に伝えておいたにもかかわらず入院中に病院送りにされるってどういうことですか。
繰り返される採血・点滴で両腕に長いトレインスポッティングができる。
抗生剤の点滴はダブルチェックが必要なはずだが、ときどきそれがない。
院内は過剰な混雑、人材不足、ただでさえハードワークなのにオーバーワークで潰れる人材、
人材不足を補うために本来なら採用されるはずのない低質低練度のナースで補充、
ミスのエンドレスリピート、組織間の連携不足とミス、書類もしょっちゅうミスってる、とめどない負の連鎖。典型的な医療崩壊状態。
患者ファーストにはまったくならず病院ファーストな状態。
でも誰も手を抜いてるようには見えないし最大限努めてくれているとは感じるので、
私は納得してないし不満だらけではあるが文句は一切言わなかった。
代わりにブログで愚痴っておきます。
◆2024.4月◆
やっと退院。結石除去だけで延べ1ヶ月の入院という結果に。
しかも退院後はインプラントをしたままさらに1ヶ月を安静に過ごさねばならず計2ヵ月の治療に。
さらには抗生剤点滴の大量使用のせいで激しい下痢が続き、回復に2ヵ月も要するはめに。
ハム一枚でもダメ、焼き海苔一枚でもダメ、サプリメントもダメ、最後はエネーボという栄養剤に泣きつくがこれも受け付けず衰弱に拍車がかかる。
トイレで失神することも何度かあった。
一番ひどいのは意識戻ったら3時間経過していて、寝室に戻ろうと思ったらまたすぐに失神してまた3時間。
お粥・素うどん・徹底的に湯がいた鶏ささ身などの少量の食事で慎重に過ごす。
右肩腱板損傷ゆえに反対側の左手を酷使せざるを得なくなり、
今度は左手首の大きな持病(スポーツ後遺症)であったTFCC損傷を悪化させてしまう。
うどんのドンブリを持てないほどの状況のまま20年近く誤魔化しつつ大事に大事に扱ってきたのに・・・。
私は幼少期より父同様にクロスドミナンスなので左右手とも器用に扱えるのですが、
いろいろできてしまうのが仇になりました。
両腕に深刻な制約を抱えてしまう状態に。もう満身創痍だろ。
◆2024.5月◆
GWに間に合わなかったがインプラント抜去。
VUR検査も異常なし。
これで結石除去に関してはひとまず終了。
あとは半年ごとに定期検診。
だが腸の具合が何かおかしいまま。
◆2024.6月◆
肩の炎症が治まってきたのでリハビリ治療スタート、週一で半年間受けることになる。
完治不可であるからこそ真剣に取り組む。
呼吸不安定・誤嚥に加え肩腱板損傷の鋭い痛みでうまく眠れない日が続く。
ブロック注射を希望するが関節の強度が落ちる可能性あるということで、
まだまだアクティブに活動するつもりだろうから打たずに頑張れと励まされる。
代わりにタリージェが処方される。
これは沈痛によく効くが毎日飲み続けないといけない。
自己判断で止めていいということだがいつ止めればいいのかわからない。
4ヶ月くらい経ったところでなんとなく服用を止めるが痛みがぶり返す、
・・・が冷や汗が出るのは一瞬程度なので我慢して、
動かしていい角度・やっていい動作の把握に努める。
手首のTFCC損傷についても完治不可で、現状で食い止めるためには手術が必要だが、
全身麻酔必須とのことなのでいまはそのリスクを負えない。保留中。
下痢はやっと治まったが誤診され致死性の大病を告げられる。
その瞬間はとくになにも感じなかったが、数日経ってから精神にズシっと圧し掛かってくる。
こんなに頑張ってきたのに・・・ハードモード過ぎやしませんか。
こちらの科では担当医とナース陣が良好な関係ではない様子が見て取れたので、
こちらへの入院は避け、遠方になったとしても他院を探すことに。
◆2024.8月◆
病院から帰宅するためにタクシーに乗ったら急発進・急旋回・急制動で段差に特攻自爆事故が発生。
天井に頭を叩きつけてしまうのではないかというくらいの強く大きな衝撃を受け、過去に経験したことのない電撃痛が走る。首と背中を酷いムチウチに。
シートベルトしててよかった。
その晩から激しい吐き気・不可解な異常発汗・発熱・痺れ・眩暈・耳の閉塞感(酷い難聴)に。
この影響で睡眠時に口呼吸になってしまう。口呼吸防止マスクを試すがなかなかうまくいかない。
首肩周りが岩のようにカチカチに。上を向こうとすると激痛でうがいができない・粉薬が飲めない。
相手側の保険会社による補償のもと通院治療を続けているが約1年後の2025.7月の時点でまだ完治せず。
◆2024.12月◆
口呼吸・誤嚥が続くせいで気管支炎と肺炎になり40℃の発熱。
2週間ほどで回復。
◆2025.1~2月◆
県内最高峰とされる大病院Eへ紹介状を持って受診。入院は個室で3日間(大腸内視鏡検査・手術)へ。

こちらもすさまじい混み具合だったが医師もナースもしっかりした対応でトラブルなく安心して過ごせた。
ちょっとした異常は見つかったけど大病ではなく安心した。病理検査は良性。経過良好。
先の病院Dがなぜ大誤診に至ったのか推論での説明も受け納得(溜飲が下がる)。
しかし体重がさらに落ち、通常64kgだったのが48kgに大幅減少。
16kgダウン、25%もの減量、激痩せ中。
◆2025.5月◆
長かった訪問看護も徐々に回数が減り、ようやく終了。
こちらの訪問ナースチームはみなハイレベルで心身ともにどれだけ救われた事か。大感謝。
通院も週2回から月1~2回へ大幅に減る。
ようやく生活にも気持ちにも余裕が戻ってくる。
ようやく解き放たれた気分だ、でも肉体はまだ鎖に繋がっている。油断はいけない。
今年の目標設定・・・再度群サイを走ること、24時間耐久ツーリングに行くこと、など。
両腕がこんな状況で荷物運べないからキャンプは来年以降かな。
◆2025.7月 <現況>◆
褥瘡痕のケアと保護(被覆材の貼り替え)は今後も毎日続けないといけない。
(現在所要時間わずか30分にまで大幅に短縮できているが面倒であることには変わりないし、出費も続く)。
誤嚥はいまだにときどき起きるものの呼吸はさほど違和感ないところまで回復。
肩腱板損傷は完治できないことがわかっているものの日常生活なら工夫することでどうにか可能に。
ムチウチ症状も完全には回復しきってないがいっときに比べればだいぶ改善した。
左手首TFCC損傷の手術(全身麻酔)をいつ受けるか悩ましく先送りに。
僅か3年で体重が25%もダウンしたのが気がかりで検査継続中だけどいまのところ病気などの異常は何も見つかっていない。どの医師からも元々生まれつきの特殊な体質(激レアな爆発的な代謝能力)と、そこへ加齢による急激な体質変化が重なったからでしょうねと(そんなことある?)。
だいぶ端折ったけどそれでも長くなってしまった。
まだ詳細書きたいこともあるけどそれは別記事にします。
ちっとも復活できてないけど当ブログを再開します。
回復には程遠く、もしかしたら手負いのままいくことになるかもしれません。
実はそれでも去年7月から少しずつ86に乗っています。14ヶ月ぶりに運転しました。
まだまだ制約だらけで思うようにはいきませんが、
それでもリハビリを兼ねて軽いツーリングもすでに再開しているので追ってUPします。
ひとまず「ただいま」ってことで。