今日は免許の話を…(^^ゞ
高校から大学へは指定校推薦で高3の秋口にもう大学が決まっていたので、教習所へは高校生の時から通っていたのですが、大学に上がると同時に家を引っ越す事になり、通うのがちょっと困難になった為、結果大学に入った6月に普通一種免許を取ることができました☆
初めは家の車で、ちょっとしてから親戚の伯父さんが板金工場を営んでいた関係でボロいくるまをもらってそれで練習に励んでいました♪
その後プロフィールにも書いてありますが、サラリーマンを数年やってから色々と考え、取り敢えずもしサラリーマンをやっていたら取れなかったであろう大型1種免許を近くの教習所に取りに行きました☆(^^ゞ
その時、実家が会社を興したばかりでかなり金銭的にも逼迫していたので、その当時乗っていたR32のGT-Rなんかも売って資金に充てたりしました(ノД`)
好きなように生きるのは良いのですが、仕事をしないのはマズいので好きな車にずっと携われるキャリアカーの仕事の門を叩いてみました☆
車の営業職は知人がやっていてあまり魅力が感じられなかった(やっている方がいたら申し訳ありません。車に付随する多種多様なサービスがポイント制となり、車を売るだけでは済まない事は分かっていましたので…)ですし、サラリーマンになる気はもう無く、職人みたいな感じでいけるこの仕事なら家の仕事が軌道に乗るまで続けられるかなぁ~と軽い気持ちでやり始めました(*⌒▽⌒*)
で、そこにいた先輩が「実は俺、大型2種取ってバスに乗りたいんだけど、埼玉じゃ多分取れないと思うんだよ…」と意味深な発言が…
その当時(今から10数年前)は教習所では取れず、鴻巣免許センターと言う埼玉で1つしかない試験場で公安委員会の試験官の採点で日本で1、2を争う難しさだとその先輩は言っていました。
まあ、若かったので怖いもの知らずと言うこともあり、後輩の元トヨタ系のディーラーマンの奴と3人で鴻巣に休日を使ってゲーム感覚でチャレンジしに行きました(´ー`)
最初は筆記試験で一種より多少難しい試験を受けたのですが、先輩と後輩はそこで脱落…(ノД`)
実技以前の問題じゃないかと思いつつも、先輩と後輩はかなりショックが大きかったのか、その後半年くらいは試験場に来なかったですwww
筆記試験の合格から確か半年以内に実技に合格出来ないと筆記の合格が無効になるので、自分独りで休日に鴻巣に通い、本当は自分的には全くもって必要無い免許だったのですが、何とか練習場(埼玉だと上江橋モータースクールなど)に通わず5回で合格することが出来ました♡(^^*)
試験場の走り方、例えば水切り線に沿って左折する、ウィンカーを出す位置、3点、6点確認の励行などなど、ポイントをある程度把握しない限り合格は超困難なので、これに関しては情報交換を絶えず試験場内でしてました(´ー`)
サーキットを走ってソコソコのタイムで走ったりしていたので、運転に関して天狗の部分もあったのですが、それとは全く違う安全に人を運ぶ技術を学べた事は大変良かったと思います(^^*)
3回目くらいで何とかなるかな?と思い、最後の時はリラックスするためにTシャツにスニーカーと言う出で立ちで臨んだのが功をそうしたのかなと…(周りは皆スーツ姿で、自分が合格したのを知ると凄い視線を浴びました。あんな、ふざけた格好でみたいな…www)
自分が合格したときは、午前、午後合わせて50人くらいの受験者がいて確か合格者が5人くらいだったかと…
あまりにも合格率が低く、鴻巣免許センターでの受験者数が膨れ上がってしまい、この後受験が1ヶ月に1回しか出来ない状況になってしまったそうです(;´Д`)
この免許は運転が上手い事を証明するのではなく、乗客を乗せて安全、スマートな運転が出来るかを判断して貰えたものと思っています(●^o^●)
これを取ってからは飛ばさなくなりましたし、後ろから煽ってきても気持ちに余裕が出来て「ぶつけてくんねーかなー…慰謝料たっぷり貰えるし…」とわざとスピードを落として不適な笑みを浮かべて運転してますwww
幾らでも煽り返せますけど、公道は小さい子供やお年寄り、体の不自由な方がいっぱい共存してますからね…
そんな人々を巻き込む訳にはいかないので…
そうそう、一緒に受けた先輩と後輩、自分が受かったのを機に一念発起し、それから一年後、20回くらい受けて無事に取れましたよ(^^ゞ
先輩は実家の九州に戻り市営バスの運転士(運転手ではないです)をしています☆
マイカーで旅行した時、運転士だから料金頂戴と言って奥さんに殴られたようですが…www
画像はトヨタ博物館の入り口に止まっていた昭和30年代のバスです!
そのうち、トヨタ博物館の写真をフォトギャラリーにupしたいと思います( ̄∇ ̄)
Posted at 2012/11/23 01:00:19 | |
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