第6回 サクラオートヒストリーフォーラム その2
投稿日 : 2016年05月22日
1
日野・コンテッサ1300クーペ
日野自動車が最初にして最後のオリジナルの乗用車です! このクルマのデザインを手がけたのは、プリンス・スカイラインスポーツのデザインを手掛けた、ジョバンニ・ミケロッティでした!
エンジンは、日野・ルノー4CVの拡大版であったコンテッサ900に搭載された、900cc(GP20型)から一転し、日野の自社設計による総排気量1,251cc、出力55psの(GR100型)が搭載されました!
昭和41年には1500ccエンジンが試作されるも、同年にトヨタ自動車との業務提携を締結し、トヨタ車との競合を避けるために、翌年の昭和42年に乗用車の自社生産から撤退しました!
2
コンテッサは、RR(リアエンジン・リアドライブ)なので、冷却のためのこのフィンが特徴的ですね!
乗用車生産撤退から49年、その美しいスタイルはいつまでも色褪せませんね!
3
トヨタ・セリカ 1600GTV
カリーナのシャーシとエンジンをベースに誕生したのがこの車で、スペシャリティカーの先駆けともいえる車でした!
車名のセリカとは「天上の、空の、神々しい」という意味のスペイン語からきています。 GTVのVは「Victory」=勝利を意味します!
4
プリンス・グロリア6ワゴン
プリンス自動車における、スカイラインを上回る高級車としてデビューし、ブリジストンタイヤ創始者でもあり大株主の石橋正三郎氏のこだわりの詰まった車でもありました!
ハチマキグロリアとも呼ばれる由来ともなった、一周するモールは、石橋正三郎氏のこだわりだったと言われています!
6ワゴンは、名称こそワゴンですが、車体形状では貨物車となっていました!
5
日産・フェアレディZ・432
初代Zは、1960年代当時、米国日産の社長であった片山豊氏の働きかけで誕生したスポーツカーで、日産のイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立したクルマでした!
432とは、スカイラインGT-R(PGC10)用のS20エンジンを搭載したモデルで、432は「4バルブ、3キャブレター、2カムシャフト」を意味する記号でした!
6
S20エンジン!
レースではS20は調整が難しく、完璧に歌わせられるのは日産の追浜ワークスのベテランメカニックだけとさえ言われるほどでした!
7
トヨタ・クラウン スーパーサルーン
S110系クラウンのセダンタイプになります! ハードトップとは少々デザインが異なり、テールランプ、ヘッドライトは専用品となります!
8
プリンス・スカイライン 2000GT-B
昭和38年の第1回日本グランプリで、大敗を喫したプリンス軍団がトヨタ、日産、いすゞに負けないクルマを!と開発されたのがこのスカイラインGTで、ホイールベースとノーズを20cm延長して、グロリアのG7型直6エンジンを搭載していました!
第2回日本グランプリでは、ポルシェ・904を一周ながら抜き去ったという奇跡を起こし、「羊の皮を被った狼」と呼ばれ、スカイライン神話の1ページを刻んだクルマでした!
装備は、ラジオやヒーターは無く、代わりにオイルクーラー、リミデットスリップデフ、ウェーバーキャブ3連装など、バトルマシンには必須といえる装備満載でした!
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