• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ぜーたのブログ一覧

2019年03月20日 イイね!

それで良い

生きていれば楽しい事もあるし、嬉しい事もある。

また、辛い事もあれば、苦しい事もある。

どうしてこんなにきつい思いをしなければならないのかと思う時、仏の姿が浮かぶ。

苦しむ衆上を見て仏は、必ず救うという誓いを立てた。

上手く生きられない人間を憐れみて、必ず助けると誓いを立て、それが成就した。

人はわがままである。

どうして上手く行かないのかと苦しむ人がいる。

一つは上手く行っていないのを認められない気持ちがある。

次に上手くいくはずだという傲慢さがある。

そして、手に入らないものを手に入れたいという抑えられない欲がある。

人はわがままである。

既に手に入ったものに興味は無く、感謝もしない。

望んでばかりである。

弱い者を見付けては勝ち誇った気持ちになる。

人に見下されたくないのは、自分が人を見下しているからだ。

意地を張り、顔を真っ赤にするのである。

そうやって言い訳ばかりしている自分の姿を想像すると、それが情けない事がわかる。

自分に都合が良ければ善で、都合が悪ければ悪だと、信じるものは自分だと考える。

ただの過信である。

どんなに楽しくても、本人が満足しなければ、この世は苦しいものになる。

どんなにきつい思いをしようが、本人が満足すれば、この世は幸福なのである。

自分のものさしを捨て、ただ仏に任せるのが、念仏者の生き方だと思う。

見栄を張った自分の姿に気付いたら、見栄を張りたい気持ちが自分の中にある事に気付く。

結局苦しむのは自分だと感じれば、見栄は張らなくなる。

優越感に浸りたくて、無理をしているのは自分である。

優越感に浸りたいのは、自分に劣等感があるからだ。

気付くのは、自分が人より劣っている事と、それが嫌だという気持ちだ。

結局、人より劣った自分を認められないのである。

現実はとても無慈悲なもので、物凄い美形に生まれる事もあれば、物凄い不細工に生まれる事もある。

金持ちの家に生まれる事もあれば、貧乏な家に生まれる事もある。

世の中はそれを何でも平等と無責任な事を言ってのけるのである。

とんでもない世界に生まれてきたものである。

不平等であり、不安定である。

酒を飲めば、こんなに楽しい世界に生まれてよいのかと、まるでいい加減でもある。

仏は人を選ばない。

信じるものしか救わないような仏は仏でない。

人より劣っていて良い。

負けて良い。

ゴミのように扱われて良い。

ろくでもない人間で良い。

弱虫で良い。

情けなくて良い。

貧乏で良い。

不細工で良い。

嫌われて良い。

少し気持ちが落ち着いたのなら、それで良い。

気休めでも良い。

人間に生まれる事はなかなか無い。

仏法を聞く事もなかなか無い。

しかし、人間として生まれている。

そして、仏法を聞いている。
Posted at 2019/03/20 21:05:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 浄土真宗 | 日記
2019年01月04日 イイね!

祖母の祈り

田舎の祖母は色々な話をしてくれます。(^^)


毎朝、必ずする事があるそうです。

お天道様、神様、仏様に祈るそうです。


まずは子供の事を祈り、


次は孫の事を祈り、


そして、ひ孫の事を祈る。


毎日続けているそうで、それをしないと一日を始められないと祖母は言います。(^^)


祖母は子供の頃は体育以外はオール5でとても成績が良かったそうです。

体育は金槌で泳げなかったので、それだけは4だったそうです。


今年で93歳になりますが、これまで病気をした事がなく、今でも元気に農作業をしています。

一昨年は祖父が死んで、少し元気が無さそうに見える事もあったのですが、今はとても元気です。


何というか、祖母は仏のような人なんです。

頭脳明晰で、決して怒らず、誰にでも優しく接する姿は仏様そのものです。


私から見て、祖母の家は貧乏だし、祖父もとても良い人間とは言えない人で、自分の子供にも色々と迷惑を掛けられて、周りの環境には全く恵まれなかったと思います。

しかし、その全て乗り越えて、今92歳になっても元気に生きてる姿は、私達に勇気を与えてくれるのです。

『人間のお手本』とでも言いましょうか。


祖母を見ていると、世代が違おうが、住む所が違おうが、何か共通の心理があるような気がします。

私も祖母の孫として、何かを受け継げないかと思ったりしますが、私は祖母のような人格者にはなれないのです。
Posted at 2019/01/04 20:17:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 浄土真宗 | 日記
2018年10月13日 イイね!

アインシュタインと仏教

ネットで見付けた記事です。

姥捨山の事を検索してたら、たまたま見付けました。

アインシュタインが来日した時に、浄土真宗の僧侶に『仏さまとはどんなおかたですか?』と聞いた時の事が書かれています。

法話31 姥捨山

こういう話は涙が出ますね。(´;ω;`)ブワッ
Posted at 2018/10/13 08:52:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 浄土真宗 | 日記
2018年03月03日 イイね!

私の仏教感

私の考える仏教を書きます。

これは私の個人的な解釈ですので、各宗派の教義とは関係がありません。

ただ、私の家が両親共に浄土真宗本願寺派なので、比較対象として途中出てきます。

また、出来るだけ簡単な言葉で書いたつもりです。

現代の方なら誰でも知っている事の寄せ集めかも知れません。


仏教で目指すところは悟りです。

悟りの世界(涅槃)とは、この世界が調和されている事の気付きだと思います。


悟るとは人ではなくなる事です。

悟った人を仏と言うとしたら、仏は人ではありません。


悟りには3つ分け方があります。

1つ目は「実際の悟りの世界」です。

この世界の事です。
法則に従い、あるがままに流れるこの世界の仕組みそのものの事です。


2つ目は、人が修行を積み、深い瞑想の中で体験する「悟り体験・神秘体験」です。

人の意識が、1つ目の「悟りの世界」を実際に体験する事です。
瞑想だけでなく、強い信仰心や、LSD等の薬物や手術の際の全身麻酔でも似た体験が出来るとも言われています。


3つ目は「人が頭の中で理解する悟りの世界」です。

体験ではなく、そういうものがあるのだと、頭の中で言葉やイメージとして理解する悟りの事です。


人は輪廻転生しません。

人はそもそも動物であり、最初に生まれた生物から、長い期間をかけて進化してきた動物です。

その為、魂や霊は存在しません。

人が生まれる前は無であり、死んだ後も無です。

悟りの世界(調和の世界)は人の生死に関わらず、常に存在する絶対的な世界です。


喜び、嬉しさ、楽しさは人を生へと向かわせる心の働きの現れです。

苦しみ、悲しみも人を生へと向かわせる心の働きの現れです。


仏教は悟る事が目的なら、それと同時に人が人として生きる事を肯定した教えです。

様々な心の変化で、人は喜んだり、苦しんだりして安定する事はありません。

思い通りにならない事も沢山あります。

しかし、それが人の心の働きであり、人である証拠です。

人の心の働きが原因で喜んだり、苦しんだり、思い通りにならないと感じているのだと気付く事が、最初に書いた3つ目の悟りに当てはまると思います。


お釈迦様は悟って仏となられました。

しかし、その後に人の世界へ帰ってきて、教えを説かれました。

上座部にしろ、大乗にしろ、私達が悟りを学べるのはお釈迦様あっての事なのです。


人が善い行いをするのは、悟る為ではありません。

人が人として生きる為です。

人の考える善行は、人の勝手な解釈の中で行われるからです。

善悪の概念は時と共に変化するし、その善悪を判断するのも人だからです。


浄土真宗は一神教的な、キリスト教は一神教の教義を持ちます。

「信じれば救われる」というものです。

私の考えは「人は誰もが救われている。その事を気付かせる為に現された仏や神が阿弥陀如来やヤハウェだ。」というものです。

浄土や天国のような死後の世界を説くのは、人の死こそが、人の心の働きから開放された無の状態だからです。


お釈迦様は殺すなと言いました。

そう考えると、お釈迦様は悟り体験を通して、人として生きる道を選ばれたのだと思います。

人は生きてる間には悟れないのです。

1人の人が他の人を全員を殺したとしたら、その善悪を判断する者は最早そこにはいません。

人は悟り体験をしたとしても、仏にはなれないのです。

人は悟れないのです。


浄土真宗では、悪人こそが阿弥陀如来の救い対象だと説きます。

キリスト教にも、言い回しは違いますが、原罪というものがあります。

絶対的な存在の下では、人はどうやっても悪人としてしか生きられないのです。

しかし、それで良いのです。

悟りの下では、悟れない人という存在は悪人でしかないけれど、それを知りなさいという事なのです。

悪人を救うという方便を通して、悟りが何なのかという気付きを与えるのが、目的なのです。

悪人こそ救われると肯定的なのはその為です。

浄土真宗とキリスト教が似てると言われるのは、この部分が類似しているからだと思います。


人がどれだけ善行を頑張っても、悟りにはまるで関係がないのです。

人の善行は人が人らしく生きる為のものなのです。



書きたかった事が抜けているのと、うまくまとめるつもりがまとまらなかったので、大分支離滅裂になりました。

思った事を書こうと考えていたのですが、何を思ったか忘れてしまいました。

書くのに疲れてきて、細かい説明ができませんでした。



悟り体験を目指す事、悟りを知る事を通して人らしく生きる事、どちらも仏教だと思います。

とまとめます。
Posted at 2018/03/04 00:03:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 浄土真宗 | 日記
2017年08月05日 イイね!

指導所のCD

ヤフオクで購入しました♪

このCD発行元は式務部・勤式指導所なので、本願寺派の僧侶方に勤行の指導をしているところになります。

標準的な読み方で録音されているので、安心感があります。

2枚組で、日常行う勤行のほとんどが録音されています。





一応、私の勤行は、本一冊覚える為に、日替わりで行っています。


月曜日:浄土真宗の生活信条、正信偈、回向、聖人一流章

火曜日:浄土真宗の生活信条、讃仏偈、短念仏、回向、信心獲得章

水曜日:浄土真宗の生活信条、重誓偈、短念仏、回向、末代無智章

木曜日:浄土真宗の生活信条、十二礼、短念仏、回向、八万の法蔵章

金曜日:浄土真宗の生活信条、仏説阿弥陀経、短念仏、回向、白骨章

土曜日、礼讃文-三帰依文-、正信偈、和讃、回向、領解文

日曜日、礼讃文-三帰依文-、正信偈、和讃、回向、領解文



以前より多少は上手くなったと思うのですが、CDを聞いてみると足元にも及ばないと感じます。

流石プロです。

声に艶があり、滑らかで、音程が変わっても声質が変わらないし、聞いていてとても癒されます。(*´ω`*)

いやー、発声練習からやり直さないといけないですね。



最近、月曜から金曜まで三帰依文に変わって読み始めたのが「浄土真宗の生活信条」です。

親鸞聖人の教えではなく、社会福祉に貢献する事を勧めて、教団が考えた文章だと思います。


一、み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます

一、み仏の光りをあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます

一、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます

一、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽します


なかなか良い文章ですよね。

特に弱々しくて暗い性格の私にとって「強く明るく生き抜きます」の所は心に沁みますね。( ^ω^ )
Posted at 2017/08/05 17:34:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 浄土真宗 | 日記

プロフィール

「私は基本的に政治に無関心なので、政治に文句言うこともない。世の中は移り変わるのが当たり前なのだから、それに合わせて上手に生きていけたらと思うだけ。」
何シテル?   11/19 20:02
ぜーたと申します。 自動車が好きなのですが、日に日に弄る頻度は下がっています。 私が唯一登録しているSNSがみんカラです。 適当に思う事を呟いてい...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/4 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

愛車一覧

マツダ アクセラセダン マツダ アクセラセダン
3代目愛車。 マツダ車のカチッとしたハンドリングに惚れて購入しました! アテンザは大き過 ...
日産 セドリック 日産 セドリック
2代目愛車。 後姿に惚れてY34を購入しました♪ 【ドレスアップの決まり】 ☆純正を壊 ...
その他 自転車 その他 自転車
一人暮らし用のサブ車です。 セドリックを購入して1年半、地元を離れ、一人暮らしを始めまし ...
ダイハツ ソニカ ダイハツ ソニカ
初代愛車。 初めての車という事で、親に勧められるがまま軽自動車を買いました。 当時、車に ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation