
ネットでなぜか「忠犬ハチ公」関連記事を見ていましたら・・ちょっといい話が・・・昔のオリンピックには、いろんな涙の物語があったのですね。
以下引用しつつご紹介します。
城戸俊三陸軍騎兵少佐・・・ロサンゼルスオリンピック(1932)の馬術選手。
同大会ではバロン西が有名だが、馬術競技で西以上に世界の人を感動させた日本人選手がいる。耐久種目競技に出場した城戸俊三だ。この種目は32.29kmのコースに50の障害が置かれている山野を駆け巡るという過酷な競技だ。愛馬「久軍」で最初からリードを奪った城戸は、全コースのほとんどを走り終え、最後の障害物を残すだけのところまでやってきた。金メダルは目前だった。
ところが、ここで信じられないことが起きた。城戸が突然、馬から下りたのである。このとき久軍は馬齢19歳、人間で言えば70歳ぐらいだった。その全身から汗が吹き出し、息が切れそうだったのだ。しかし、この情況では、騎手がむちを入れ、馬に最後の力を振り絞らせるのが普通である。久軍がそれに応える可能性はあった。
城戸選手は、金メダルを目の前にしながら、走り続けようとする愛馬から降り、久軍を押しとどめたのだった。競技の放棄である。城戸選手は、このまま障害を飛び越えさせれば愛馬は死んでしまうという咄嗟の判断であったという。
その時、久軍は、主人の心を知ってか、城戸選手の肩に鼻を埋めて、まるで「ごめんなさい」と謝りながら泣いているようであった。その姿に数名の審査員は、思わずもらい泣きしたそうである。
当時のアメリカの日系新聞「羅府(ロサンゼルス)新報」の見出しには、「熱涙を呑んで/城戸中佐馬を救う/最後の障碍で棄権」と書かれていた。
この決断力と愛馬心に徹した行為を讃えて、アメリカ人道協会は2枚の銅版を鋳造し、1枚を1934年にカリフォルニア州のルビドウ山にある「友情の橋」に取り付け、もう1枚はリバーサイド・ミッションインという教会に保管されたとのことである。
・・・無理をして障害物を飛べば、久軍は死んでしまうかもしれない。そう思った城戸は金メダルの獲得より、愛馬の命を選ぶ決断をした。城戸は後にこう語った。
「自分は馬の使い方が下手だとつくづく感じた。久軍には気の毒なことをした」と。
アメリカの人道協会は、城戸の愛馬精神を讃えて、銅版の記念碑を製作した。そこには、
「彼は、大きな栄光の喝采ではなく、小さな慈悲の声を聞いた」
と書かれている。アメリカに保管されていたその記念碑と鞍は現在、秩父宮記念スポーツ博物館(東京)に展示されている。城戸の感動的な愛馬への行為は、金メダル以上の光で今も輝き続けている。
引用終わり・・・
未曾有の危機にある日本ですが、我々はこういったご先祖様を戴いています。
ありとあらゆる生き物に対する畏敬と労わり、そして慈愛を持った民族であることを誇りに、明日もがんばって生きましょう! ちゃんちゃん
Posted at 2011/04/11 23:34:33 | |
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