娘が生まれてから小学校に通い始めるまでの頃には港区芝浦に住んでいました。
マンション最上階(といっても当時は14F)からはまだレインボーブリッジが無い東京湾が一望でき、都心にも近くいいところでした。ちょうど”ウォーターフロント”なんて言葉が使われ始めた頃で、インクスティックやゴールドやジュリアナなんて遊び場が徒歩圏内でした。
先週、家族3人で懐かし散歩に行ってみました。猛暑の中を水分採りながら。
住んでいたマンションを通り、毎日遊んでいた公園を通り、最後に歩いてみたのがここです。元々は初期の埋立地である芝浦側から1国に出るトンネル。トンネルと言っても上を東海道新幹線、東海道本線、山手線、京浜東北線にプラスして多くの引き込み線の下をくぐるガードです。
線路が多いので長さは200m以上もあるのですが、高さはなんと170cmほど!
背が高めのヒトはずっとかがんで歩く必要があります。たぶん疲れるでしょう。166cmの私でもやはりちょっと首をすくめて歩いていました。ママチャリで通るときはロードレース風前傾姿勢。
今はすぐそばに山手線の新駅である高輪ゲートウェイ駅(恥ずかしい名前)ができてしまい、近いうちにここは廃止になってしまうようですが、人間の通行はまだできるようになっていました。
「人間の・・・」って、そう、新駅工事まではクルマも通れたんです。入口にあった警告板には「通行1.5M以下」とありましたが、よく通りました。聞いた話では、東京のタクシーの屋根上の行燈はここに合わせた高さで作られていたんだとか。今のJAPAN TAXIでは完全アウトですね。パトカーもむっちゃ低速で通過してたのを覚えています。ガードの天井は擦り傷だらけ。
東京にこんなガードがいくつもあればワンボックスやSUVだらけの東京にはならなかったかもですね。
1国側に抜けたら新駅周りの新エリアの工事中で、そこでこんなのが見られました。
少し前に発見の報道があった「汽笛一声新橋を・・・」時代の線路遺構の一部だと思います。石垣のようなものが見えて、石のひとつひとつにラベルのようなものが付けてありました。私は鉄チャンではありませんが、こういうものは上手く残せるといいですね。工事は遅れるでしょうけど。
クレーン車のむこうに見えるヘンな形の屋根が隈研吾さん設計の新駅舎です。このあと娘が通った幼稚園まで回り道をしてから新駅に行ってみましたが、ちょっと空港風でした。
1国に出たところにはこんな係員のかたが。
工事の人件費にはこんなのも、ですね。案内看板じゃだめなの? 暑いなかおつかれさまです。
で、最後に娘に言われました。「駅までも遠いのに、ここから小学1年生に電車乗り継いで世田谷の外れにある学校まで通わせた酷い親だったのね。」って。
Posted at 2021/09/01 12:02:31 | |
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