長女が旅行に招待してくれるというので、急遽10日前に予約して9/18-9/21の3泊4日で九州旅行に行ってきました。
非常に強い台風が九州上陸と言われていたのですが、こんな機会、めったにないので強行します。
(´;ω;`)ウッ
9/18(日) 朝7時台、政府専用機で出発です(嘘)
到着時の鹿児島空港は雨が降っていましたが、それもすぐに上がりました。
鹿児島空港からレンタカーで、鹿児島市側からフェリーで桜島へ。
桜島の山頂は見えませんでしたが晴れ間も出て暑かったです。
1泊目の宿、霧島温泉へ向かう途中、あの有名な「森伊蔵酒造」を発見。立ち寄ります。
が、店内には一切、売り物のサンプルすら置いておらず、「事前の電話申し込みで抽選で当たった人のみが2か月後に買える」システムとのこと、すごすごと退散しました・・・orz
9/19(月)
霧島温泉の宿の朝、桜島の全景が見えました。
台風が近づいているので、熊本からのフェリーの運行が心配でしたが、お昼ちょっと過ぎの便で島原へ渡りました。途中、雲仙岳の火砕流の被災地区を見学。
土石流に埋まった家が多数保存されています。
資料館で被災のビデオを見て、記憶のかなたになっていた災害のすさまじさが改めて思い起こされました。
これはyoutubeから
資料館で見たもう一つの映像は雲仙火砕流で命を落とした火山研究家クラフト夫妻のもの。
これまた、吹き出す溶岩に近づいた命知らずの数々の驚きの映像が見られました。
さて、2泊目の雲仙温泉での宿の部屋はこんな洋室で、4人快適に過ごせました。
台風が迫っていましたが、雨のしずくを浴びての露天風呂、なかなか趣がありましたw
9/20(火)
明け方に台風が通過したのですが、風の音がすごくて4時には目覚めてしましました。
朝の入浴、露天風呂が閉鎖されていたのが残念です。
雨風が弱まるのを待って、周囲の「地獄」を散策。
外観は傷んでいますが、中は綺麗な旅館でした。まさに「地獄」地帯の真ん中に位置しているのでロケーションは最高です。
「地獄」の散策道をしばらく歩きました。
お昼過ぎには長崎市内へ。
平和記念公園
原爆資料館を見学して宿に戻ってから、私は家族と別行動で、長崎に移り住んだ旧来のプリウス仲間と何年ぶりかの再開。
次はいつ会えるかわかりません。貴重な時間を共有しました。
家族と合流して、稲佐山からの夜景を。
9/21(水)
軍艦島上陸クルーズです。
上陸人数が制限されているため、船一艘のみが接岸でき、滞在時間も制限されています。
接岸待ちの間、軍艦島を周回。上陸後は立ち入ることのできない部分を海上から眺めます。
強風が吹いたり、波高が50cmを超えると上陸できないらしく、台風の影響で海がうねっていないか心配されましたが、奇跡のツアー運行と上陸。
台風のため、5日ぶりの営業だったとか。
事前の予約で21日の午前しか空席がなかったことが幸いしました。
なんとラッキーな!
∑ъ(`・ω・´)グッ
ガイドさんの話も興味深かったです。こんな小さい島に5000人の家族(居住エリアがわずか200m x 200m)が暮らした困難や重労働の逸話によるもの悲しさでしんみりしました。
ここに住んだことのある人もツアーに参加することがよくあるそうです。そういう人たちはこの朽ち果てた姿を見てどう思うんでしょう。一般観光客と違って、決して風化した建物の写真を撮らないとか・・・
日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパートだそうです。
左手の建物もアパートですが、15mの防潮堤でも高波を防げないこともあり、建物自体が第2の防潮堤の役割を果たしたそうです。
炭坑跡
高台の上にあるのは、三菱のお偉いさんが住んでいたアパート。他の住居と違って、内風呂が備えてあったそうです。労働者の家族は狭い共同浴場を使っていました。ここまでのすさまじい格差はどうかと思いますが、重労働とはいえ高給で雇ってもらえていたし、格差への憤りという感覚は当時はない時代だったのかも・・・
短い滞在時間でしたが、じっくりと堪能した軍艦島を後にします。
午後は路面電車を使って、長崎市内観光をしました。
長崎市内は急な斜面にたくさんの家が建っています。
ここはグラバー園に向かう斜行エレベータですが、一般の住民の足にもなっているそうです。
こういう施設があるだけでも恵まれていますが、ないところが普通だと思うので、日々の暮らしが大変そう。
久々に再会した友人から勧められた「食べるミルクセーキ」
名前から、こってりしたものを想像しましたが、暑さも手伝い、冷たく意外にあっさりでおいしかったです。
長崎空港からは21時過ぎの便。
売店で見つけた「森伊蔵」。やはりスペシャルなお値段なんですね。
んー、呑んでみたい(*´д`*)アハァ
懸念された台風の影響もほとんどなく、なんともラッキーな九州旅行でした♪
-おしまい--