今から30年ほど前、スーパーカーブームがありました。その頃、自分は小学生でしたが、その流行に乗りプラモデル、下敷き(ペプシコーラの景品?)等を夢中で集めていたことを思い出します。そう言えば、サーキットの狼なる連載漫画もありましたね。
さて、その当時、スーパーカーの中でも幻の車として話題だった、ランボルギーニ・イオタという車がありました。自分も小学生ながら「世界でも10台しかないんだ、最高速は340㌔も出るんだ―、凄い車なんだ」等と興奮しながら友達とイオタ談議をしていました。
懐かしいと思いながらも30年も昔の事なので、今ではこのランボルギーニ・イオタの事を殆ど思い出せません。もし、誰か思い出せた方いたら、イオタの事、 スでも良いですから教えてください。
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ランボルギーニ・イオタのこと何でも良いから教えてください - その他
ランボルギーニ・イオタのこと何でも良いから教えてください
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当時ランボルギーニのテストトライバーだったボブ・ウォレスにより1969年から1970年にかけてミウラのシャーシ及びエンジンをベースに作られたイオタは、正式には「ミウラ・コンペティシオーネ」と呼ばれました。実際にはシャーシの軽量化と剛性アップが施され、新造サスペンションを搭載し、ミウラとはまったく異なる正に「JOTA」が完成したのでした。60°V型12気筒3929ccのミッドシップエンジンは440ps/7000rpmまでチューンナップされましたなぜJOTAと呼ばれたのかは、このクルマがFIAの「国際スポーツ法典附則J項」のレギュレーションに乗っ取って作られたからです。ただし、イタリア語でJは使わないので、ギリシャ文字のIに当たるイオタと発音されました。
しかしOriginal JOTA誕生にはちょっとしたエピソードがあったようです。ミウラがベースになったことは事実のようですが、実はボブ・ウォレスが運転していたミウラの事故車両だったようです。濃霧の朝会社近くを運転していたボブ・ウォレスは視界不良のためにアスファルト敷き工事の現場に突っ込み、タール運搬車に激突したようです。入院中のボブは、どうせ廃車になるならばとタール漬けのミウラを楽しみの一環としてリビルドしようと思いつき、会社のテクニカル・ディレクターの承認を得て正式にイオタ計画がスタートしたようです。彼らの夢を具現化させてイオタはその完成後、世界のいかなるモーターショーにも発表されることのない伝説の車となってしまいます。
ランボルギーニの依頼によりミラノにディーラーを開いた貴族男性ジェリーノ・ジェリーニは、イオタのOriginal車両を購入した後靴の販売で財を成したミラネーゼ・ヴァルテル・ロンキに転売禁止の条件で譲渡しました。実際にはジェリーノのディーラーに預けたままで、時々ドライブを楽しむ程度だったようです。しかしJOTAはミラノ-ブレシア間で火災を起こし完全に消失してしまうのです。火災の原因はなんだったのか、その後の残骸はどう ネったのか、天国のロンキしか判らないようです。
現在ランボルギーニが「JOTA」と認める車両は、消失したOriginal JOTA(シャーシ#4683)の他、7台のレプリカが存在するようです。(以上の情報は色々な雑誌等から引用させて頂きました。)
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ずいぶん時間遅れのレスになりますが。
イオタ及びスーパーカーに関しては、福野礼一郎氏著の「スーパーカー型録」という本に詳しく書かれています。
(平成8年頃に雑誌のような形態で発行され、その後タイトル変更、加筆され、しっかりした装丁で発行されています。スーパーカー世代にはたまらない内容の本です。ぜひ探してみてください。)
それによると、
・ランボルギーニが生産した「正式なイオタ」は計7台で、仕様は4種類ほどらしいです。
(クライスラー参入前のランボルギーニは、ほとんど受注生産のメーカーで、カウンタックの内装は40種類近くあると本で読んだことがあります)
・本物の「オリジナル・イオタ」が事故を起こしたのは、ヨーロッパのある高 ャ道路上、運転していたのはオーナーのお抱えメカニックで、助手席の同メカのガールフレンドは即死だったとのことです。
(不謹慎ですが、「悪魔のZ」みたいでシビレル話でしょ)
福野氏の本には、載っていませんが、
「オリジナル・イオタ」製作のきっかけは、ミウラが道路上でタンクローリーかなにかに突っ込む事故を起こし、コールタールまみれのミウラが修理に入ってきて、再生不能と判断されたそのミウラのシャーシをベースに オたお遊びだったようです。
長々とすみませんでした。
イオタの話題がうれしくてつい。
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Mijuraをランボルギーニ社へ持ち込めば今でもjota仕様へと改造して貰えるようですね。
jotaはランボルギーニのテストドライバーであったボブ・ウォレスの提言によって開発が進められ1971年まで毎日の様にテストされていたのですが、ご周知の様に其の後、他の事にイッパイに成り手が回らずに其のままでしたが、其の存在を知ったミラノ在住のとある伯爵が買いたいと申し出てきた為、1972年8月2日ナンバーを取得した「Jota」が引き渡されたのです。エンジン№27044・シャーシ№5084・440馬力・トランスミッション・デフレンシャルともにZFを搭載した車は其の後にオーナーのミスによりモンツァサーキットにてクラッシュしボディーが真っ二つになるほどにダメージを受けてしまい廃車とされてしまったのです。
ちなみにCountach(イタリア語の発音ではクーンタッチ)カッコイイと言う意味です。私本人はカッコ良くないですが。。。 -
伝説が一人歩きしすぎです。
当時(というか80年代前半まで)のスーパーカーは、パイプフレームに必要な部品を組み付けて、それにボディをかぶせてあるだけの構造です。
しかも、量産車でさえ、フレームは冶具にあわせてパイプを手で溶接して作るし、ボディは鉄板などから手で叩き出して作っていたわけですよ。
実際は、Jotaの設計図は部分的に残ってるそうですが、そういう構造だから、元々設計図は必要なかったんですよ。
研究途中の車両だし、必要ならミウラの図面や冶具と製作中の実車から採寸して、手が空いてる職人使って部品を起こせばいいんだから。
だから、ミウラベースのJota仕様で絶対不可能なのは、フレームを加工して低くしたルーフであって、ボディなんかは、経験と感覚で造形してた、当時の板金職人が居ないからなかなか作れないというだけなんですよ
ちなみにエンジンは、現在でも全く同じチューンが可能です。
ただし、ゲンロク誌か何かに出てましたが、イギリスの方に、残存する図面や写真を元に、完全にオリジナルと同じ状態まで持っていったJota仕様が存在するようです。
あと、車両重量890kgはかなり眉唾。
当時のスペックは1~2割サバ読むのが普通なので、 タ際は1000~1200kgというところでしょう。 -
スーパーカーブーム真っ只中に小学生だった私は友達とJの研究をしていました。
当時もかなり情報が錯綜していて真偽のほどは不明でしたが私としての認識を書き込みしてみます。
・本物のJは1台の開発テスト車両であった。
・本物のJは改造に改造を重ね設計図など無いに等しい状態でボディやエンジン等ほとんど全てミウラとは別物。
・当時のランボルギーニは経済的に苦しく新型車の開発費を捻出するため社長のフェルッチオがJを売却してしまった。
・Jを購入したオーナーが田舎道でコースアウト横転し、Jは炎上して失われた。
・その後、他の顧客からのオーダーでJのレプリカが数台製作されたそれが所謂Jotaでありそれはミウラをベースとした物でJとは全くの別物であるなぜならJの正確な設計図は存在しないので作りようもない。
異論も多々あると思いますがどうでしょう。 -
うら覚えで正確かは判りませんが、イオタは当時何台かのテスト車両がありテスト中にも改造変更が行われていたので、
多少のバリエーションがあったと言うような事を以前雑誌で読んだような覚えがあります! アラブ?の大金持ちが一台購入し全損させた話もありましたし、当時開発?したイオタのパーツをミウラに移植し、ランボ公認のイオタが数台作られているような記事もあったと思います! けどどこまで本当かは判りませんね~! 判らないからいいんでしょうけど! あとミウラは日本人デザイナーの三浦さんがデザインしたからミウラって名前なんだってよた話があったの知ってる人はいるかな? ランボは牛の品種の名前を付けているから大嘘ですけどね! 最初のカウンタックは正式にはクンタッチの発音で、驚いた!びっくりした!と言う意味だそうです! エンツォフェラーリに相手にされなかった悔しさのあまり、たしか農業を営んでいた車好きのランボルギーニが、エンツォを見返してやろうと作ったのがカウンタックだったとか! 話変わるけど、ガヤルドってV10でしょ~! 12気筒しか作らないんじゃなかったの? エンツォも12気筒じゃなきゃフェラーリじゃないとか言ってて、息子が死んだ 辜Rロッと変わったみたいだし! メルセデスもBMWも5ナンバー車は作らないって言ってたのに、街には5ナンバーのベンツ・BMWがあふれてるし~!そう言や~308ベースの2000ccターボ?の5ナンバーフェラーリってあったよね~! なんだかな~! 話はずれてすんませんした! END・・・・ -
イオタは、世界に1台しか存在しません。それも、所有者(たしかイタリアの大金持ち)自身のミスドライブにより、クラッシュ、全損しました。
以下、あくまで記憶頼りなので、誤りがあったら指摘してください。
ランボルギーニの創設者、フェルッチオ・ランボルギーニ氏が、フェラーリに対抗すべく同社を起こした話は有名ですね。生まれた車が、公道車として世界で初めて12気筒エンジンをミドに搭載したミウラです。このミウラは、開発中からバックオーダーを抱えるヒット作となりましたが、フェルッチオは莫大な金がかかるレース参戦には否定的でした。しかし、スーパースポーツカーを制作するうえで、レーシングカーのノウハウは不可欠ということが分かり始めます。そこで、レース参戦はしない、という前提で、ミウラのレーシングバージョンを1台、開発します。当時のレースレギュレーションの「J項目」をクリアすべく制作されたので、そのスペシャル・ミウラは、ランボルギーニ社内で「J」(ギリシャ語でイオータ)と呼ばれます。これがイオタです。
イオタは、その後のテストで様々なデータを取られますが、その後、ランボルギーニ社の開発主眼がカウンタックへと移り、イオタは倉庫で ト眠をむさぼります。
ある日、ミウラの注文が入ります。注文主は、先述の大金持ちです。ランボルギーニ社は、何とも「イタリア」な、ほのぼのとした話ですが、あろうことか、イオタをレストア工場に運び、ミウラの車番を打刻して新車として売り払ってしまいます。そして、後にクラッシュ、全損と。
なお、イオタのスタイリングは世界的に馬鹿受けし、これを受け、ランボルギーニ社では長く、ノーマルのミウラを「イオタ・ルック」に変更するレストアを正規に受け付けていました(もしかしたら、いまもやってくれるかもしれません)。ですから、世界中に何台も、イオタ仕上げが施されたミウラが存在します。スーパーカーブーム華やかなりしころの東京モーターショー ノも、出品されたはずです。しかし、それら「イオタ」は、あのスペシャルエディションの「イオタ」ではありません。本物のイオタは、もうこの世に存在しないのです。
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