
戦後80年
齢50を過ぎて
初めて靖国神社へ行ってきました
「戦争犯罪人の合祀」「御祭神として祀る」「英霊」等々、様々な物議・解釈があり人それぞれ思うところがある場所ではあります
国籍や立場が異なれば、たとえ同じ事でも見え方もとらえ方も正反対になることもあるでしょう
ただ、敷地内にある「遊就館」に展示・保管されている資料はぜひ日本人のみならず、今を未来を生きる全世界の人に共有・知って欲しい
明治維新からの展示が始まるが、やはり日清戦争から大東亜戦争にかけての資料には身が引き締まる
敗戦国となった日本がどのような扱いを受けたか、出来る限り事実を正確に後世に伝える教育が本当に必要だと思う
特別攻撃隊員たちの手紙(という名の遺書)や特攻へ向かう直前のなぜか笑顔の写真、人間魚雷回天を見て、涙を流さない人はいるだろうか

銃弾跡の残る彗星のエンジン

彗星と桜花
回天
実物大でその構造を見ることができます
と同時に、昭和天皇の玉音放送の全文口語訳を、恥ずかしながら初めて目にした
この戦争時の資料はほとんどが紛失していて教育しようにもできない、だから知らなくても当たり前に感じていた
ところが本当は、当時を記録した物はここ以外でも保管されていていくらでも知ることが出来たのだ
靖国の神々(という表現には抵抗ある方もいるだろうが)、つまり祀られている246万柱のうち1万柱の御遺影が一番最後に展示されている
このお姿を見て「祖国を守る」「平和な国家を建設する」という気持ちにならなかったら、人に非ず
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
日中戦争と大東亜戦争での、遺族に引き渡すことの出来なかった御遺骨が安置されている
上皇陛下の句

昭和天皇の句

戦没者数一覧
皇居のお堀

お堀の上の散策路、何も説明書きはないけれど丸いモノが複数並んでいる

これ実は、高射砲の台座なのだとか
静かに揺れる千鳥ヶ淵

今ある平和は当たり前ではない
Posted at 2025/08/16 16:35:16 | |
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HIROSY、そのひととなり | 日記