雄島(松島町)
松島の地名発祥の地で霊場として知られた雄島
2009年08月08日
雄島(御島)は古代から松島を代表する島なので「松島」という地名の発祥の地と伝えられています。
中世の松島は「奥州の高野」と称される死者供養の霊場で諸国から松島に集まった僧侶、巡礼の人々が修行したところでありました。 橋を渡り道を左に曲がって短いトンネルをくぐると、三方に岩窟のある崖とわずかばかりの平地があります。ここが見佛上人が12年間もの長きにわたって修行を続け法華経6万部を読誦した「見佛堂跡」があり、鳥羽天皇からその功徳を讃え、松の苗木本尊を下賜されたので御島と呼ばれました。
朱塗りの渡月橋を渡ると、108の岩窟があったといわれていますが、現在は50程度残っています。
島内に点在する岩窟は卒塔婆、仏像、五輪塔、法名などが彫れたり安置されたりしており、全島が霊場だったと言うことが知られています。
島の南端に建つ奥州三古碑の一つ「頼賢の碑」はその様子を伝えています。
松尾芭蕉も瑞巌寺に詣でた後、この島を訪れており、弟子の曽良による「松島や鶴に身をかれほととぎす」の句碑があります。
また、江戸後期のころ、江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、乗り合わせていた白キツネに救われた話をもとに、 海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られています。
令和5(2023)年8月19日放送のNHKの「ブラタモリ」#244「松島」で紹介されました。
H21.7.25
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.5.4(写真差し替え)
住所: 宮城県宮城郡松島町松島字町内91番地
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