金戒光明寺(京都市左京区)
京都守護職会津藩の本陣だった黒谷・金戒光明寺
2005年12月18日
黒谷の金戒光明寺は、山号は紫雲山で浄土宗の大本山です。
承安5(1175)年、法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結んだのがこの寺の始まりであるとされています。
以後、浄土教の念仏道場として栄え、後光(ごこう)厳(ごん)天皇より「金戒」の二字を賜り、金戒光明寺と呼ばれるに至りました。
また、正長元(1428)年、後小松天皇より、上人が浄土教の真実義を悟った由緒により「浄土真宗最初門」の勅願を賜りました。
御影堂脇壇には、京都七観音・洛陽三十三観音の一つ、吉田寺の旧本尊と伝えられる千手観音立像を安置しています。また、御廟には上人の分骨を納め、廟前には熊谷蓮生坊直實と平敦盛の供養塔二基が建てられています。
寺宝としては、山越(やまごえ)阿弥陀図・地獄極楽図等の屏風や法然上人直筆の一枚起請文など数多くの文化財を蔵し、墓地には、国学者山崎闇斎、茶人藤村庸軒、筝曲開祖八橋検校などの墓があります。
徳川家初代将軍家康は、二条城の外城として、徳川家の宗旨である浄土宗の黒谷金戒光明寺と知恩院を城のように造らせました。
幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を構え、新選組誕生の地でもあります。
特別拝観中に大方丈では「謁見の間」「虎の間」「松の間」の拝観と回廊式庭園「紫雲の庭」、平成24(2012)年に作られた庭「ご縁の道」が散策できます。
境内には幕末不幸にも命を落とした会津藩士の墓もあります。
H16.5.28
Photo Canon EOS 30D
H19.11.30(写真差し替え)
住所: 京都府京都市左京区黒谷町121
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