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比延山城(西脇市)

比延氏の居城・比延山城
2014年03月13日
カテゴリ : 兵庫県 > 観光 > 建物・史跡
比延山城は、比延氏の居城です。
ほぼ独立した急峻な山である比延山(標高289m、比高220m)の山頂に延長180mにわたって曲輪が築かれています。大きく北郭群と南郭群に分けられ、両者とも階段状に小さな曲輪を連ねている点が共通していますが、細かく観察すると、北郭群は曲輪の削平が不十分で曲輪の斜面(切岸)も緩やかであるのに対し、南郭群はそれぞれの曲輪がはっきりし、曲輪間をつなぐ通路も設けられています。以上の点から北郭群は南北朝時代に築城されたまま残され、南郭群は室町時代に改修されたことがうかがえます。
黒田官兵衛の父は、黒田庄出身説をとれば、黒田城主8代重隆ですが、その妻女が比延山城主8代、比延常範の娘です。つまり、黒田官兵衛の母(懿賛院)にあたります。
比延山城初代は、本郷弥三郎頼兼と「播磨鑑」に記されています。近年日の目を見た黒田家略系図(荘厳寺蔵)と略系図を書き、荘厳寺に納めた勝岡嘉作孔美なる人の子孫が健在で、勝岡家の霊簿、勝岡家族譜より明らかになりました。
本郷弥三郎頼兼は、赤松則村(円心)の孫、本郷直頼の子で「明徳の乱」京都二条の戦いで黒田城二代城主重勝と共に戦功を挙げ、丹波との国境重要拠点へと派遣され、比延山山頂に城を築き比延氏を名乗るようになります。
比延山城成立年代は定かではありませんが、明徳の後となれば応永年間の早い頃(1394〜)と推定されます。
黒田城主2代重勝は比延山城主初代頼兼の妹を妻としています。当時は赤松一族の絆が強く黒田家略系図が語る率年より推測すると比延山城ができる前に娶ったと思えます。
懿賛院の率年が元亀3(1572)年5月(黒田家略系図)であることから、比延山城は好種から10代好冬まで、文禄、慶長頃まで存続していたと思われます。城麓には城主屋敷を中心に別所村として賑わいもあり、種述は勝岡と姓を改め、医を業として別所村に住す、と勝岡族譜は記しています。
城主の死亡と急激な社会変革についていけなかったものと思われます。
明治10(1877)年、比延村と合併し別所村も消滅しました。
(現地説明板より)
城跡は、城山公園のグランド奥から登ります。登るのに40分程度かかります。険しい山道で、ロープを使い登るところもありますが、西脇盆地の眺めは素晴らしいです。

Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.3.4
住所: 兵庫県西脇市比延町

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