慈徳寺(福島市)
伊達輝宗が火葬された慈徳寺(寿徳寺)
2014年06月08日

慈徳寺は、山号は宝珠山、曹洞宗の寺院です。
16世紀頃開かれたといわれ、当初は「寿徳寺」と称していました。
天正12(1584)年10月、18歳で伊達氏17代の家督を継ぎ、米沢城主となった伊達政宗は、翌天正13(1585)年4月、安達郡小手森城に籠城した大内一族を撫で切りにしました。
二本松城主、畠山(二本松)義継は、宮森城に在陣する父輝宗のとりなしにより、政宗に和を乞いました。
義継は10月8日、御礼言上に宮森城に参上し、対面が終わって玄関に送る輝宗をいきなり捕らえ、二本松へ引き揚げを図りました。突然のことで、伊達家の家臣はただ後を追うのみで、阿武隈川の高田の渡しに近い粟ノ須に至りました。対岸は二本松領です。
凶変を聞き政宗は小浜城から駆けつけました。この時、輝宗は、「速やかに義継を撃て。父を顧み家門の恥を晒すな!」と叫びました。政宗は断腸の思いで父の言葉に従いました。輝宗は義継に刺殺され、義継主従は伊達勢の銃撃に斃れました。輝宗は行年42歳でした。
政宗は父の遺体を信夫郡佐原村にあった寿德寺(現在の慈徳寺)で火葬にしました。導師は米沢の資福寺住持虎哉宗乙禅師、奠茶仏事師を寿德寺の二世昌室恵慶繁大和尚が勤めました。
現在は慈徳寺の火葬跡に、「伊達輝宗公の首塚」があります。もとは五輪塔であったと思われますが、現在は二輪塔のみ残っています。宝珠に伊達氏の略紋「笹に雀」が刻まれています。
火葬跡の供養塔ですが、古来人々は「首塚」と呼び伝えてきました。
寿德寺は、その後伊達氏が岩出山に国替えになった際、移転し、更に慶長6(1601)年の仙台築城にあたり、城下に輝宗を開基として建立されました。(仙台市青葉区国見)
ちなみに輝宗の墓所は山形県高畠町夏刈の資福寺跡境内に、位牌は前述の仙台市の寿德寺に残されています。
その後、江戸時代になり寿德寺跡に慈徳寺が再興されました。
境内には慈徳寺の種まき桜といわれるしだれ桜があります。
花が咲くと、苗代に種をまいたためこの名があります。樹齢は300年以上と推定されています。伊達輝宗が横死の際、遺骸が安置された小浜城から運び込まれた桜という説があるようですが、確証はないそうです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.5
住所: 福島県福島市佐原寺前9
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