松源寺(高森町)
井伊直親ゆかりの寺院・松源寺
2017年05月10日
松源寺は、山号は雲竜山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
創立されたのは、永正8年~10年頃(1511~1513)とされ、開基は松岡城主松岡伊予守貞正、開山は貞正の実弟、文叔瑞郁禅師です。
最初の寺は、牛牧村の寺山に建てられましたが、天正10年(1582)織田軍の兵火により堂塔が焼失し、江戸時代初期の1600年代に朝日受永の寄進等により松岡城跡五の曲輪内に移転再建されました。
明治30(1897)年に焼失したため、現在の本堂は明治33(1900)年に再建されたものです。山門は、江戸時代中ごろ大風で倒壊しましたが、残った部材を使い、延享3(1747)年に再建されました。また、山門前の門前桜は推定樹齢は300年の立派なエドヒガンです。
そして松源寺は、井伊直親ゆかりの寺院でもあります。天文13(1544)年井伊直満と井伊直義が今川義元に謀反の疑いで殺害され、井伊直満の子、当時9歳の亀之丞(後の井伊直親)も命を狙われました。
家臣の今村藤七郎は亀之丞をわらの袋に隠して運び出し、浜松市引佐町渋川にある東光院に逃げたと伝えられています。
ここにも追手が来たため、亀之丞は東光院能中和尚の案内で松源寺へ逃げました。 松源寺を開山した文叔瑞郁禅師は、当時の松岡城主、松岡貞正の実弟で遠江三ヶ日で布教中、井伊直氏から
龍潭寺の前身である自浄院に招かれ住持となりました。
天文元(1532)年、井伊直平は文叔瑞郁禅師の弟子である黙宗瑞淵禅師に、龍潭寺の創建にあたらせました。そんな縁から松岡貞正は快く亀之丞を迎え入れ約12年間、武道や学問を指導しました。
(現地説明板・パンフレットなどより)
平成29(2017)年の大河ドラマ「おんな城主直虎」第5回「亀之丞帰る」の直虎紀行で紹介されました。
Photo Canon EOS M3
H29.4.22
住所: 長野県下伊那郡高森町大字下市田4389
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