大徳寺大光院(京都市北区)
豊臣秀長の菩提寺として建立された大徳寺大光院
2022年03月21日
大光院は、 大徳寺瑞峯院は大徳寺の塔頭の一つで、臨済宗大徳寺派の寺院です。
文禄元(1592)年、豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔うために秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、所領である大和郡山に建立しました。大光院の名称は秀長の戒名からとられています。
しかし、秀保が早世したために家が断絶すると、秀保の家臣だった藤堂高虎により慶長4(1599)年に本山である大徳寺の山内に塔頭として移されました。以降、江戸時代を通じて伊勢国津藩藤堂家により援助が行われました。
文化3(1816)年に焼失しましたが、文政年間(1818年〜1830年)に藤堂氏により再興されました。
もともとは現在の京都市立紫野高等学校のテニスコートがある場所にありましたが、紫野高等学校の校地整備が行われることになり、昭和30(1955)年に現在地に移転しました。
表門は創建当時の慶長4年(1599年)のもの、客殿・書院は文政年間(1818~1830)のものです。
客殿の襖絵「雲龍画」は狩野探幽筆の屏風を直したものと伝わります。もとは奥州の伊達政宗が仙台城に飾るため狩野探幽を招いて描かせた、5双の屏風であったといわれています。
襖絵「雲龍図」に均等の間隔で入った縦の傷は、屏風を襖に表装し直した跡といわれています。客殿の前庭は、白砂と苔の枯山水庭園です。
茶室「蒲庵」は黒田如水(官兵衛)好みで、如水の子の黒田長政、加藤清正、福島正則の3人の武将がそれぞれ一つずつ石を寄進したことから「三石(みついし)の席」とも呼ばれます。現在、三石は一緒に移築されなかったため、名前だけ残っています。
第56回京の冬の旅
(令和4(2022)年1月8日(土)〜3月18日(金))
受付時間
10:00~16:30(16:00受付終了)
料金
大人(中学生以上)800円 小学生400円
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.3.12
住所: 京都府京都市北区紫野大徳寺町92
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